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Rd.12 コールド・パス・ウォーニング



******


ワシトミに呼ばれたハイドウは、艦内の薄暗い通路に足を踏み入れた。

照明は最低限しか点いておらず、壁に反射する冷たい光が

ここがただの廊下ではないことを告げている。


次の瞬間、ワシトミの大きな手が、がっしりとハイドウの腕を掴んだ。

その力は、逃げ場を与えない鉄の枷のように重い。

「なぁ…ハイドウ。お前、何考えてる?」

低く響く声に、押し殺した苛立ちと、抑えきれない焦燥が滲んでいた。


「ワシトミさんには関係ないでしょ?――っ!」

腕を振りほどこうとした瞬間、掴む力はさらに強まり、骨に響く痛みが走る。


「俺には関係ある。いや、関係なきゃいけんのや」

ワシトミの目が鋭く光る。

「お前が色々、まだ裏で何かしてるのは知ってる…マキタに何かしたのもお前やろ?」

ハイドウの胸が一瞬だけ詰まる。

図星を突かれた反応を見逃さず、

ワシトミは「もう、やめとけ」と、声を潜めて続けた。


「ここは外部完全非公開の機密の場所や。お前の行動は、この艦隊の規律を破ることになる」


その言葉は、単なる説教ではなかった。

むしろ“警告”だった。


「……」

ハイドウは無言のまま、唇を噛みしめる。

ワシトミは一拍置き、さらに深く踏み込む。

「……あの時、イナガキが情報操作しとらんかったら、お前はあいつらにレース中で殺されてもおかしくなかったんやぞ!」


声が低く唸るように響く。

思い出すだけで背筋に冷気が走るあの一件――。


「テラダの暴走は、お前が同じチームメイトだった頃から何度かあった。その件に関して、マキタと裏で情報交換をしていたのを、治安部隊に嗅ぎつけられたんやろ」


ハイドウの胸に、過去の光景がよぎる。

制御を失ったテラダのマシン。

あわや大惨事になりかけたあの瞬間。

そして、マキタの必死の目。


「……」


「危うくパイロット――チームシートを降ろされる所を、イナガキの情報操作で何とか疑いは消えた。だが、お前がまた動き出せば、次は助けられんぞ」


ワシトミの言葉は重く、冷酷な現実を叩きつける。


「治安部隊に睨まれたら最後や。規律を守らなかったパイロットドライバーは――」

そこでワシトミは息を呑み、声をさらに低く絞った。

「――レース中にマシンに細工をされ、『見せしめ』としてクラッシュさせられる。あるいは、最悪口封じとして処分される」


艦内に漂う沈黙は、まるで凍り付く空気のようだった。


ハイドウは沈黙を保ったまま、ただ強く歯を食いしばる。

その奥で燃える決意を、隠そうともせず。

「お前は一体、何を掴もうとしているんや」

ワシトミは問い詰めるように言葉を重ねる。

「ダイキの兄と同じや。無茶しすぎなんや。あいつも“真実”に近づこうとして、危うい橋を渡った。……結果、どうなったかはお前も知っとるやろ」


重苦しい名前が出された瞬間、ハイドウの胸に鋭い痛みが走った。

だが、その痛みすら、彼にとっては後戻りを許さぬ証のようだった。


「……離してください」

ようやくハイドウは声を絞り出す。


顔を上げ、まっすぐにワシトミを見据えた。

その瞳には、揺るぎない執念が宿っていた。


「俺は、大丈夫ですから。ただ……真実を知る必要があるんです」


決意の言葉が、かすかに震えて艦内に響いた。


ワシトミは拳を震わせた。

「今は動くな。明日の出撃を終えるまでは、大人しくしておけ。もし何かあれば、その情報は……お前が死ぬためのトリガーにしかならん」


「離してください」

再び同じ言葉を返すハイドウ。

その声には迷いがない。


――もはや、止めることはできない。

ワシトミは、そう悟らざるを得なかった。


ワシトミは最後まで腕を掴んだまま、何度も言葉を探すように沈黙した。

やがて、重たく息を吐き出すと、ようやくその手を離す。


「……お前は頑固やな。ほんま、ダイキの兄とおんなじや」

それだけ残し、ワシトミは背を向けて歩き去っていった。


足音が遠ざかり、通路に再び静寂が戻る。

照明の青白い光だけが、冷たくハイドウを照らしていた。


残されたハイドウは、その場に立ち尽くす。

振りほどかれた腕には、まだ鈍い痛みが残っていた。

まるで「今すぐ止まれ」と刻まれた烙印のように。


――わかってる。

ワシトミの言葉が、嘘でも脅しでもないことは理解していた。

治安部隊に狙われるという意味。

規律を破った者がどういう末路を辿るか。

それは十分すぎるほど知っている。


過去に失われた仲間の姿が脳裏をよぎる。

叫び、炎に包まれるマシン。

レース中の突発的なクラッシュに見せかけた、あからさまな処分。


「……大丈夫、なわけないよな」

誰にも聞かせるつもりのない言葉が、口から漏れた。


恐怖はある。

命を失うかもしれない未来のイメージは、はっきりと脳裏を焼いている。

それでも――ハイドウの心を縛るものは、恐怖ではなかった。


「……知りたいんだ」


強く握った拳が震えていた。

ダイキの兄が何を追い、何を掴もうとしていたのか。

その果てに何を見て、何を失ったのか。


ワシトミの言葉を振り払うように、ハイドウは背を向けて歩き出した。

通路の先に見えるのは、自室へと続く無機質な扉。

だがその扉の向こうで眠れるのは、安らぎではなく、

明日を生き残るためのわずかな休息にすぎない。


ワシトミの足音が遠ざかり、通路には再び静寂が戻る。

掴まれていた腕の痛みをさすりながら、ハイドウは壁に背を預け、息を吐いた。


「……ダイキの兄、か」


ワシトミが口にしたその名が、心に重く響く。


――無茶をしすぎたパイロット。

だが、ハイドウにとっては「真実に踏み込んだ男」でもあった。


当時、ダイキの兄は治安部隊や艦隊の規律をものともせず、

レースの裏に潜む闇を追いかけた。

危険は承知の上で、仲間やマシンの記録を独自に調べ続けた。

何度も処分寸前まで追い込まれ、

レース中のクラッシュに見せかけて命を奪われそうになった。


だが、最終的に彼は生き延びた。

――ダイキの父が裏で手を回し、

別の艦隊、別カテゴリーのレースへと“逃がした”からだ。


「……あの時、あの人が居なかったら……」


助かったのは事実。

だが同時に、それは“追放”にも近い形だった。

生き残る代わりに、同じ場所では走れなくなった。


いま、ダイキの兄は遠い別の舞台で走っている。

それは命を繋いだ結果であり、同時にすべてを捨てた選択でもあった。


ハイドウは目を閉じる。

――あいつの背中。

泥にまみれ、罵声を浴びても、それでも走り続ける姿。

そこには恐怖よりも強い「真実を掴む意志」があった。


「俺は……逃げない」


小さな声で呟く。


ワシトミの言葉は正しい。

規律を破れば、待つのは処分か、表向きの事故死だ。

だが、ダイキの兄が命を繋いででもなお追い続けた“真実”を、自分も見たい。


それが愚かだと笑われても構わない。

――明日を越えた先にこそ、その答えがある。


ハイドウは静かに立ち上がり、通路の先へと歩き出した。

その背中には、恐怖を押し殺した固い決意が宿っていた。

ワシトミの足音が消え、通路は再び冷たい静寂に包まれる。

ハイドウは腕をさすりながら、ふと遠い記憶に囚われた。


――ダイキの兄。

ワシトミが口にした名は、ハイドウにとっても忘れられない同期の名だった。


同じ時期に訓練を受け、同じ夢を語り合い、同じシートを競い合った。

不器用で直線的、だが底知れぬ執念を持つ男。

教官や上層部から「問題児」とされながらも、

ハイドウにとっては唯一無二の戦友だった。


「無茶すんなよ」

そう声を掛けたことが何度もあった。

だが彼はいつも笑ってこう返した。

――「知りたいんだよ、俺は」


危険な調査。

禁じられた記録へのアクセス。

そして治安部隊に目を付けられたあの日。


結局、彼は艦隊に居場所を失った。

だが、ダイキの父が裏で手を回し、

別の艦隊、別のカテゴリーへと移されたことで、命だけは繋がった。


それから数年後――。


ある遠征先で、ハイドウは偶然スクリーンに映る彼の姿を目にした。

別カテゴリーのレースで、堂々と走るその背中。

観客の歓声に包まれながら、彼は相変わらず無茶をし、

限界のさらに先を狙うような走りを見せていた。


懐かしさと同時に、強烈な焦燥が胸を焼いた。

――あいつはまだ“真実”を追い続けている。

自分は……何をしている?


以来、ハイドウの心に空いた穴は、埋まることがなかった。

そして今、再びその穴を埋めるかのように、

同じ道を歩き出そうとしている。


「……俺は、逃げない」

呟きは、自分自身への誓いだった。


ワシトミがどれだけ止めても、恐怖がどれだけ迫っても――。

真実を追い求めた同期の背中がある限り、自分は進まざるを得ない。


ハイドウは立ち上がり、無機質な通路の先へと歩き出した。

冷たい光に照らされた背中には、孤独な意志と決して折れぬ炎が宿っていた。



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