Rd.11 光影のゼロ・グリット
フィネス艦隊の艦内。
明日の出撃要請で来ていたノト・ダイキは窓台にもたれて
漆黒の空間を眺めていた。
電灯や賑やかな地上の光とは違い、宇宙空間に浮かぶ艦隊の星々は、
やはり格別だ。
ここに来る度にそう思うのは、ダイキの数少ない楽しみのひとつだった。
(あっ…)
ふと目をやった先、空間の向こうで一瞬光が散ったような気がした。
思わず目を見開く。…が、
一瞬でも「綺麗だ」と思った自分に恥ずかしくなって即座に赤面する。
強度ガラスに映る自分の顔を認めたくなくて、視線を逸らす。
人工的な光は、星のように儚く美しかった。
ほんの少しでも美しいと思った自分を、まだ許せない。
多くのドライバーは、自分より巨大なロボット兵器のパイロットになるしかない。
レーシングドライバーはパイロットになる決まり。
家族でさえ、この秘密を伝えられない。
外部完全非公開という機密事項の中、父や兄の存在がせめてもの救いだ。
幼い頃から父や兄と同じ道を歩むのが当たり前で、
パイロットになる心構えは必要なかった。
でも、ダイキには引っかかるものがあった。
幼い頃の記憶の中に、抜け落ちているかのような断片がある。
最後のパズルピースのような小さな記憶は、
思い出そうとすればするほど、眩暈や鈍痛を伴う。
身体が勝手に記憶を遮り、意識を拒む。
今も背中に冷や汗を感じながら、窓台に突っ伏すダイキ。
(どうして…こうなっちゃうんだろう…)
その時。
右肩から小さな影がひょいと降りてきた。
白銀に光る小型兵器だ。
偵察用に開発され、計画が白紙になったのだ。
愛らしい小動物のように見えるそれは
腕を伝ってダイキの顔の近くまで来ると、
ヒゲのようなアンテナを揺らし首を傾げた。
「心配…してるの?」とダイキが問うも、
そうだとでも言うように短く鳴く。
ダイキは思わず微笑み、指で撫でる。
その瞬間、手のひらほどの光がふわりと浮かぶ。
小さな女の子――モカだ。
カフェオレ色のおかっぱに琥珀色の瞳。
アイボリーのダッフルコートにはウサミミのフード、
小さなブーツを履き、表情は人間そのもの。
「…あれ?もしかしてさっきから居た?」
「え?あれじゃないよ。何回呼んでも気づかないんだから!」
だから姿を見せたら気づくんじゃないかな〜って思ったの。と、
小さな体で両手を腰に当て、頬を膨らませるモカ。
その仕草は人工知能とは思えないほど人間的で、
ダイキは思わず苦笑する。
「ごめん。ちょっと考え事してて…」
「もしかして、子供の頃のこととか?」
ここに来てダイキが考えるのは、いつも幼い頃の記憶だ。
モカはそれを見抜き、ダイキも優しく頷く。
「うん、ここに来るたび懐かしい気持ちになるから、色々考えちゃって…」
「まぁ…ダイキのお父さんなら、自分の子供くらい連れて来るのはあり得るけど」
モカの首がわずかに傾く。
「やっぱり何か気になるの?」
「うん…兄さんは覚えてないって言うし、
父さんも僕がここに来たのはパイロットになってからだって…。
でも何か引っかかって…思いたくないけど、もしかしたら――」
言葉はそこで途切れ、決心がつかずに詰まる。
「否、あまり考えると調子崩すし…ごめん、何でもない」
モカはダイキの肩に視線を向け、軽く笑みを浮かべた。
小型兵器もそのそばで、安心したように身体を寄せる。
「おいで」と声をかけると、白銀の小型兵器はダイキから飛び降り、
モカの近くまで来ると毛繕いを始めた。
モカは嬉しそうに小さな体を寄せ、「モフモフだ〜」と声を上げる。
「そういえば、この子の名前、決めた?」
「うーん、まだかな」
「え?貰って結構立つのに…もう付けないつもり?」
「名前を付けたら、愛着が湧くから…地上に帰る時、余計寂しくなるんだ」
ダイキはモカの頭を撫で、微笑む。
「これ以上愛着が湧くと…兄さんが余計寂しくなるんじゃないかって」
「…わぁ…っ」
「ちょっと、わぁって…どういう意味?」
「ごめんごめん。本当にダイキはお兄さん想いなんだなって思って」
モカの言葉にダイキは赤面する。
「今の顔、お兄さんにも見せたいなぁ」と、モカは微笑み、茶化した。
すると――
「ダイキさんもモカも、二人して何話してるんです?」
軽快な足音と共に声が響き、振り返った先にいたのは
若手パイロットの シライシ・レイ だった。
赤いパイロットスーツを身に纏った彼は、
ひときわ鮮やかな色合いが照明に映えている。
その表情には、年相応の無邪気さと、どこか挑戦的な光が同居していた。
「……レイ?」
ダイキがわずかに驚いた声を漏らす。
「楽しそうだったから、つい来ちゃいました。先輩とモカさん、妙に秘密めいてるから気になっちゃって」
軽く手を振りながらレイは窓際に歩み寄る。
モカは小さな顔を上げて、「あ、レイだ!」と弾む声を上げた。
「来るなら来るって言ってよ。びっくりするじゃん」
「はは、ごめんごめん。二人の空気があんまり仲良さそうだったから、割り込むのも悪いかなって」
レイはそう言いながらも、結局はずかずかと近寄ってくる。
「……仲良さそうって、そう見えた?」
ダイキが半ば照れ隠しのように問い返すと、レイはにやりと笑った。
「ええ、見えましたよ。先輩、普段より柔らかい顔してましたし」
その言葉にダイキは反射的に頬を赤らめ、モカは「でしょでしょ!」と得意げに胸を張る。
小型兵器はそんな三人を観察するかのように、アンテナをぴくぴく揺らした。
「それにしても……」とレイは窓の外を見やり、言葉を続ける。
「やっぱり宇宙は綺麗ですね。地上でどれだけ派手なレースを見ても、ここからの景色には勝てない」
彼の横顔は普段の無邪気さと違い、わずかに憂いを帯びていた。
モカが小首をかしげる。「あれ?レイでもそんなこと言うんだ。ちょっと意外」
「僕だって感傷的になる時くらいありますよ」
レイは苦笑しつつ、肩を竦めた。
「……明日の出撃が近いからかもしれません」
その言葉に場が少しだけ引き締まる。
ダイキは無意識に拳を握りしめ、モカは小さな手を胸の前で組んだ。
「明日……か」
ダイキの口から自然に零れた言葉は、重みを持って宙に落ちた。
レイは少しの間黙り込んでから、視線をダイキへ戻した。
「先輩。明日、無茶はしないでくださいね。僕は……先輩の背中を追いかけたいんです。
その背中が無茶で壊れちゃったら、追いかける意味なくなっちゃうんで」
真っ直ぐな眼差しに、ダイキは一瞬返す言葉を失った。
モカは二人の間を見比べ、ふっと小さく笑う。
「ねぇ、レイ。ダイキのお兄さんにも同じこと言ってあげたら?
あの人も無茶しすぎだから」
「……あはは、それもそうですね」
レイは苦笑しながら頭をかく。
「でも、僕はまず目の前の先輩に言っとかないと。明日は絶対に一緒に帰ってきましょう」
その真剣さに、ダイキの胸の奥で何かが温かく揺れた。
彼は窓に映る自分の顔を見つめ直し、そっと息を吐く。
すると突然、白い毛玉の小型兵器がキイッ!と高く鳴き、レイをじっと睨んだ。
毛を逆立て、爪を立てている姿は威嚇してる様にも見えた。
「え…えええ…どうしたの?」
ダイキが慌てて宥めるが、毛玉は動かず、レイだけを敵意むき出しで見据えている。
「はは……嫌われてるみたいですね」
レイはわざとらしく肩をすくめ、笑ってみせた。
「小動物系は苦手なんですよ。なんででしょうね」
彼は困ったように笑いながら、毛玉をそっと抱き寄せた。
「ごめん、レイ。こいつ、滅多に人に懐かないから」
「いえいえ、気にしません。僕は犬にもしょっちゅう吠えられるんで」
軽口を返すレイ。
だがモカの耳には、彼の笑い声が妙に空洞に響いて聞こえた。
温度のない音。人間らしいはずの抑揚の中に、わずかに違和感が混じっている。
(なんだか…こわい)
モカは胸の奥でデータの整理をしながら、ダイキの袖を小さく引っ張った。
「……ダイキ。今夜は早めに休んだ方がいいよ」
「え?」
「……何でもない。ただ、そうした方がいいと思うの」
レイはそのやり取りを横目に、にこやかに笑い続けていた。
だが、小型兵器のアンテナはなおも鋭くレイを向き、低い音を漏らし続けている。
やがてレイは笑顔のまま軽く手を振り、ダイキとモカに別れを告げた。
「それじゃあ、先輩。また明日」
軽やかに踵を返し、廊下を歩いていく。
背後からはダイキとモカの声が遠のいていき、
やがて人工灯だけが静かに灯る通路に一人きりとなった。
――その瞬間だった。
「……っ……はぁ、はぁ……?」
胸を押さえ、レイの足取りが急に乱れる。
脈が異様に早まる。呼吸が浅く、荒い。
額に冷たい汗が滲み、視界の端がかすんでいく。
「ま……たか……」
呻くように声を漏らし、壁に手をついた。
次の瞬間、激しい鼓動に合わせるように背筋を駆け上がる“熱”が走った。
体内の何かが蠢く。
レイは苦痛に顔を歪め、視線が宙を泳ぐ。
やがて――
彼の瞳の色が、ほんの一瞬だけ深紅に変わった。
「……ふ、ふはっ……やはり……」
声の調子が変わる。
若さを帯びた明るい声音は影を潜め、代わりに重く冷徹な響きが広がった。
「確かに“反応”があった……聖痕を宿す者。あいつか」
笑った。
それは先ほどまでのレイではない、別の何者かの笑み。
「隠すまでもない。近いうちに……必ず見極めてやる」
廊下の灯りが一瞬だけ明滅する。
その言葉は誰にも聞かれていない。
しかしレイの体を通して、確かに“別の存在”が語っていた。
数秒、いや数十秒か。
異様な存在感が空間を支配した後、レイは膝をつき、深く息を吐く。
「……っ……俺はいったい……」
気づけば元のレイに戻っている。
だが彼自身、その一瞬の記憶は曖昧で、まるで夢の中の出来事のようだった。
*******
「……突然だなんて、明日出撃なんて聞いてないよ……」
重く告げられた要請が、ミナモの顔に疲労の影を刻んでいた。
普段より少し速めに艦隊へと向かったことが、かえって裏目に出たのかもしれない。
その加速が身体に直撃したせいで、宇宙酔いとは無縁だと思っていたミナモも、
この急激な動きを受け止めきれなかったのだろう。
地上のレースがちょうど中盤を終えたあたり。
レースの疲れを癒やしていたミナモたちに、唐突に出撃命令が下された。
しかも、実行は明日。休む暇などほとんどない、苛烈なスケジュールだ。
艦内には、長距離航行の疲労と、急な気圧変動とが重なったような、
重苦しい空気が充満していた。
「……さすがに、みんなぐったりしてるね」
ミナモは、まぶたをわずかに伏せながら、そんな呟きをひそやかに零す。
彼女の視界の隅に、椅子にもたれかかるようにして深く沈むキョウスケの姿があった。
その顔は青ざめ、目元には影がくっきりと落ちている。
疲労の色は隠し切れておらず、力なく頭を傾けたその様子は、
まるで砂のように重さを帯びていた。
「……慣れてても、あの揺れ方じゃあ酔うってもんだ」
彼の声はかすかで、けれども艦内の静寂を押し裂くように響いた。
ミナモの身体に入ったままのルシアは少し躊躇いながらも、優しい声をかけた。
『ミナモ、大丈夫?』
彼女が身体の奥底に語りかけるような短い言葉には、
心配と気遣いとが混じっていた。
ミナモは一瞬、口を開きかけてから唇を閉じ、かすかに首を振る。
「……うん、大丈夫。
ただ、さっきの揺れがひどすぎて……身体がずっと重くて、ふらふらする感じ」
その声には、疲労の輪郭が滲んでいた。
頼もしさを滲ませながらも、安堵と申し訳なさが入り混じる瞳でルシアを見返す。
艦内の照明はほんのわずかに揺れ、静かなモニターの光が壁面を反射する。
しばし、言葉のない時間が流れた。
ルシアはそっと身を寄せて、ミナモと肩を並べながら、
肩越しに視線を送って囁くように言った。
「無理しないで。少し休んだ方がいいよ」
その言葉を聞いたミナモは、一瞬胸が揺れたようだった。
だが、すぐに視線を伏せて応じる。
「……ありがとう、ルシア。そうだね、少し休む」
そのとき、そっとスポーツドリンクのボトルが差し出された。
差し出された先を見ると…アカリだった。
「宇宙酔いにはスポドリ飲むと…ちょっと楽になるから。ほら、飲んでみて」
そう言って、彼女はミナモにボトルを手渡す。
「え……?」
驚き交じりに受け取ろうとしたミナモの隣で、
アカリはそのまま同じようにキョウスケにも一本投げ渡す。
「ほら、キョウスケも。具合悪そうだったから」
体調が優れぬ彼は、無事にボトルを受け取ると、重く垂れた手をかすかに振って、
言葉の代わりに“ありがとう”を伝えるような動作をした。
「そうなんだ……知らなかった、ありがとアカリ」
ミナモは少し照れ笑いを浮かべつつ、キンと冷えたドリンクを手に取る。
「アカリって、最初は話しかけにくい人かなって思ってたけど……思ったより優しいんだね」
「そ、そんなこと……」
「だって、ちゃんと周りを見てるっていうか、気にかけてくれてるって感じがするし」
その言葉には、感謝と驚きが混じっていた。
アカリは顔を少し赤らめながら、照れ隠し気味に言い返す。
「あんたが具合悪そうにしてたからよ……別にあんたじゃなくても、声かけるわよ」
その口調には、天然の優しさとかすかな照れ隠しが混ざっていた。
艦内の重い空気の中に、ほんの少しの温もりを呼び込むような瞬間だった。




