ダブル・アイソレーション
五月下旬。新月の日。
家の近くの小さな山の頂上で、アルミラを呼んだ。
そこには広場が設けられている。薄い紫を広げる藤棚もある。その下に設置された、丸太を縦に半分に切って横に倒したようなベンチに座って、俺たちは会話を交わす。
長いベンチが四列。テーブルなどはない。俺は一列目の右端に腰を下ろした。かたやアルミラは、四列目の左端に座を占めた。
しかも二人とも、相手のほうではなく、藤棚の外に目を向けている。
「いつもならこの藤棚は、きれいな影を作るのに……もう、それも見られないんだな」
「日の出が訪れて、あたりが暗くなれば、見事な光の模様ができあがるぞ。……それはそうと玉山コトブキ。貴様、高校はだいじょうぶなのか。平日の『夜』に余に会ったりして。今は授業がおこなわれる時間だろうに」
「通信制高校なんだよ」
「ヒマなのであるな」
「……それ、通信制に対する典型的な偏見だぞ。ヒマじゃない。やることに、ちゃんと時間をかけている」
「あ、すまん。どうも日本の学生像というものを、アニメやマンガ、著作権切れの昔の文学作品で勉強してしまったせいか、そういうのに疎くてな」
「じゃあアルミラのほうは、普段なにしてんだ」
広場を囲う柵の向こうの、眼下に広がる町……それを視界に入れたまま、俺は軽い気持ちで聞いた。
「どうやって生計を立てているんだ? 働いてたりすんのか」
「いや余は働けん。十二歳だからな。この国の法律では、子役とかでもない限りは労働できないのではないか。余も容姿や演技力には自信があるが、目立つわけには……いかんし」
「ちょっと待て、十二なの?」
一瞬だけ俺は上体をひねり、背中を向けるアルミラを目に入れた。
(身長は百六十センチほど。十二にしては背が高いが、そんな女子もいないわけじゃない。といっても、姿勢や態度、口調や表情が、あまりにも大人びている。とても小六や中一くらいの雰囲気じゃないぜ。せめて俺とタメ……本当は、もっと年を重ねているんじゃないか)
「サバは読んでおらんよ」
まるで背中に目があるかのように、彼女が体の向きを変えずに答える。
「言ったろう、アルミラージュ・ムースクイーンは自家受精をおこなう生物だと」
聞いたところによると彼女は、自分の体内のみで異なる配偶子を生成・接合できるらしい。
配偶子が合わさったあとは、人とほぼ同じ過程が起こる。ただし新たな個体は自身の似姿であり、かつ、脳が一定の質量を持つようになる生後五年相当の状態で生まれるとか……。
「元々の親から独立したあと、余はおのれのコピーをひとりで産み続けている。一個体につき、ひとりずつ。コピーはオリジナルの記憶を受け継ぐ。オリジナルは出産から九か月ほど経過したのちに死ぬ」
「……なんだそれ、一定期間ごとに新しい自分に転生してるってことか」
「ちょいと違う。継承されるのはあくまで記憶だけであり、親子の人格は別々だ。クローンとも異なり、まあ年の離れた双子と表現すればわかりやすいか」
「で、その新規のコピーとしてのアルミラが現在十二歳という話なんだな」
続けて俺は「だったら金は本当にどうしてんだ」と尋ね、話題を戻そうかとも考えた。
が、しつこいやり方を彼女が嫌うのは、もうわかっている。
(そもそも半端な気持ちで他人の経済事情に踏み込んだ俺も、悪かったな……)
俺は上半身だけを倒して、ベンチの上に背中を預ける。淡い紫の藤の花が、まるでシャワーのように整然としだれているのが見える。影がないので立体感が薄いものの、かえってそれが絵画的な美を演出しているような……はっ! だめだ、流されては!
目をとじる。左右の手の平をからませて枕を作り、後頭部に添える。
「ともかく……そういうのが、アルミラのさびしさの正体と」
「ひとりだからさびしいのではないよ。別にひとりでもさびしくないのに、ひとりなのは不幸でさびしいことだと誰かに勝手に決められるのがさびしいのだよ」
「わからんでもないなあ」
「こういうのを日本語で、『傷のなめ合い』『負け犬の遠ぼえ』『不幸自慢』『お気持ち表明』と言うんだったか」
「ほかには『やせ我慢』『強がり』って言葉もある。ま、本人でもないならどれが正解か、あるいは全部見当外れなのか、わかんねーけどさ」
「ふうむ、確かに、たとえば……似た思考回路の持ち主とはいえ、余の親たちは純粋に自分の境遇をさびしいと思っていたかもしれんよな」
「そいつらの記憶、受け継いでんだろ? 覚えてないのか」
「脳にもメモリー容量があるわけだから、知識に絡まない感情的な記憶のほうは、どうしても忘却が優先されるのだ……」
あでやかでキーンとした彼女の声が、急に大きくなる。
「……で、肝心の貴様のさびしさをよこせよ。余と交渉したいのだろうが。質が悪ければ、当然ながら応じんがね」
その声に反応してまぶたをあけると、俺の左隣のベンチにアルミラが移動し、こちらと同じポーズで藤棚を見上げていた。横に突き出した俺の左肘と彼女の右肘が、もう少しで当たりそうである。
真上に広がる薄紫色を視線で追いながら、俺は答える。
「個人的に感じるのは、郷愁というものかな、過去への。輝く太陽……ほの明るい月……物体のあいだにできた暗い影……闇の静寂、そういうものを失ったむなしさがある」
「へえ、てっきり余は、双子の玉山トワについて気持ちを表明するかと」
「安らかに生きているなら、さびしくないさ。俺もシスコンの自覚は持っているが、さすがに、なんでもかんでもトワと結び付けて語ったりしねえよ」
「そんなに、前の世界がよかったか。……だったら少し、ほだされてやる。七夕の当日に加え、貴様の姉ないしは妹が目覚めた二日後にも明暗を戻そう」
「なんで二日後」
「起きてから最低二十四時間は、この世界に慣れてもらうために必要だろうて。……トワが病院から解放されるのは、いつだ?」
「正確な日時は不明らしいぜ。トワが夏にしか覚醒しないのは、気温が理由というわけでもねーしな。体にリズムができてるんだってよ。体内カレンダーの、だいたい九月から五月までの部分がぬり潰されている状態って言えば、わかるか」
「わかるよ、じゃあな」
アルミラは、そのひと言と共に、ベンチから消えた。光のなかに溶けていった。
多少の譲歩は引き出せたものの、結局、夏までに世界を元どおりにしてもらうことはできなかった。