彼女のいのちのつなぎ方
残暑を感じる三月八日、午後三時過ぎの暗い昼――。
高三の俺・玉山コトブキは自分の家の部屋で、キャスター付き椅子に座っていた。
電気を消しているため、室内は明るい。
……俺に近づいてくる「彼女」の姿もよく見える。
身長は百六十センチほど。容貌自体には幼さが残るものの、所作や雰囲気が大人びているため、子どもっぽい印象は感じさせない。
彼女の皮膚は白い。よく見ると、淡い紫を含んでいる。
肌をつつむのは、紫がかった黒い衣装。首輪もブラウスもアームカバーもスカートもニーソックスも、同じ色で統一されている。
胸部の真ん中で、ひし形のレインボームーンストーンのペンダントが揺れている。
その透明な天然石が、虹色の光をつつましやかに放つ。……すべての影が明るくなった、この世界で。
ムーンストーンの左右には、青い髪のふさが垂れかかっている。
深い海を思わせる髪が、アルミラの輪郭をかたちづくっている。
そのなかでワインレッドの双眸が、冷たく輝く。
彼女の正体は、血を吸わず、暗闇で灰になる自称ヴァンパイア……アルミラージュ・ムースクイーン。
このアルミラが世界の明暗を逆転させてから、もうすぐ二年がたとうとしている。
今や、季節の順番さえ狂っている。
俺の双子のきょうだいであるトワも、目覚めなくなった。
だから、そんな世界にした元凶のアルミラを――俺は灰にしようとした。しかし失敗した。
とはいえ、どのみちアルミラは、もうじき死ぬらしい。
ほかならぬアルミラ自身が、さきほど、そう口にした……。
当の彼女が、一歩一歩……俺の座る椅子に向かって足を踏み出す。
「――玉山コトブキ」
こちらの頭をキーンとさせる、氷のような声を出す。
「貴様は……余が寿命を迎えると聞いて、安心したか」
「した」
「自分の手をよごさなくても、よくなったからか」
「アルミラージュ・ムースクイーンを殺す手が、ようやく転がり込んできたから」
「余が勝手に死ぬのだぞ。どうして『殺す』と表現する」
「俺がアルミラの助かる手段をまったく考えずに、ひたすら待つと決めたから」
「いいじゃないか。ここで善人のフリをされても興ざめだ」
椅子に座る俺の視界のなかで、彼女の黒い衣装が限りなく大きくなる。
「……『なぜ黙っていたのか』と聞かんのも好印象だな。余は貴様に片思いの友情をいだいていたにすぎん。いちいち出産や死期を報告したりするものでもなかったんだよ……」
彼女の左右のつま先が、俺のつま先にそれぞれ、ふれる。
「立て」
命令に逆らえず、俺は腰を上げた。
アルミラをしとめ損ねたことで感じていた冷や汗や動悸は、だいぶ落ち着いた。体に熱も戻ってきた。
しかし……近い。
深い海のような青い髪が、俺の目の先にある。
見下すような視線と共に、アルミラが上目づかいで俺を見る。
「身長、伸びたな」
「……ちょっとだけだ」
「余の発育はストップしたよ」
アルミラの吐息が、俺の首を真正面から冷やしてくる。
「ちょうど十八か月前……すなわち、おととしの九月八日……コトブキと皆既月食を見て互いに別れた日に、余の内部で異なる配偶子同士が結合した」
アルミラは、自家受精をおこなう生物。
異なる配偶子を、自己の体内で生成・接合できる。
そうやって、ひとりだけでコピーを新たに産んで、いのちをつなぐらしい。
コピーはオリジナルの記憶を引き継ぐが、両者は別人格。
配偶子が合わさったあとは、人と同じ過程をたどる。つまり約九か月でコピーを産むと考えればいい。
オリジナルは、出産後……さらに九か月ほどが経過したのちに死ぬ。
配偶子を結合させて十八か月目を迎えたアルミラは、まさに今、死のふちにあるということだ……。
――かつて彼女から聞いた話を俺はあらためて思い出し、脳の情報を整理した。頭が混乱しないように。
そんな俺の耳に、冷たい声が続く。
「……無論、余のなかで異なる配偶子同士が発生・合体する条件は『興奮』ではない」
「恐怖か」
「安心だ」
彼女の両手が前に出され、俺の二つの手をつかむ……。
「子をなすのに、もっとも重要なことは『安心できる環境』なんだよ。自身が危なくなったら子孫を残そうとする考えもわかるが……そんな危機的状況のままだと子どもが死ぬ可能性が高い。多くの仲間がささえてくれる種ならともかく、余は失敗できんのでな……」
「まさか、俺と皆既月食を見たから安心したって言いたいのか……?」
「残念ながら違う。貴様と別れて安心したのだ」
彼女は俺の首を間近で見て、言葉を継ぐ。
「明暗の逆転した……余だけが満たされるはずの世界において、コトブキもトワも楽しそうに過ごしていたよな。まあ貴様に関してはトワが起きるまで、そうではなかったかもしれんがな。とはいえ伝統的七夕のときはトワと共に、透明な夜空と闇の星々に魅了されていたであろう……? それで余は『自分が許された』という第一の安心を得た気になった」
アルミラの目が、こちらの首に当たりそうだ。
ここまで接近されて俺は気づいたが……彼女からは、なんのにおいもしない。一方、脈動のようなものが手を介して伝わってくる。
「……だが余は怖くもなっていたよ。双子のあいだに入るのが。はたから見ても貴様たちは、お熱いものな。余の心情としては『おりひめ』と『ひこぼし』の邪魔をする天の川になりたくないという感じか? だからおととしの九月八日、貴様たちから無事に逃げられて……ほっとしてしまった」
すかさずアルミラは体を前後に振る。
その揺れに伴い、彼女の首にかかったムーンストーンのペンダントが俺のあばらをたたく。
「ただ……トワはこのペンダントを、コトブキはコンパクトミラーをプレゼントしてくれたよな。それらを手放すことだけは、できなかった。貴様のもとを去ったあと……明るい影のなかで余はコンパクトミラーを開閉し、ムーンストーンを虹色に輝かせてみた。そのとき、どうも温かくってなあ……晴れて『おめでた』となった次第。――もちろん貴様の責任ではないさ。アルミラージュ・ムースクイーンのいのちは、アルミラージュ・ムースクイーンが勝手につむいでいくものだ。人間の感覚では簡単すぎるかもしれんが、余がそういう生物なのだから、しょうがない。こういうのを、日本語で『ちょろい』とでも言うのかな」
「……今までアルミラは、まともな『安心』を感じていなかったのか」
「余の体質上、中途半端な安心を得るわけには、いかんよ」
「だから、いつも冷たい態度や表情だったのか……簡単に安心すれば、十八か月後には死ぬってことで」
「見当外れと言わざるを得んな。子が産まれる前にも親心は存在するということだ。わが娘には……どうせなら限りなく穏やかな状態で、地上に迷い込んでもらいたかったのだ。だから余は半端な安心を拒絶する一方で、特大の安心を探してもいた。『こんな世界があるなら……こういう生き物がいるなら……余のコピーも安心して生きられる』と確信させてくれるほどのそれを。貴様のさびしさを求めて孤独をうめようとしたのも……本能的に安心を欲していたからなんだよ」
「もう子育ては終わったのかよ」
「人とは違い、娘は五歳児相当の姿で産まれるし、今までのアルミラージュ・ムースクイーンの記憶も多く受け継いでいるから……九か月弱で終わることだ。あとは一定以上に親の模倣をさせ、かつ別個体として存続するために模倣から脱却してもらい……余が死ぬ前に独立と相成った」
「一方のアルミラは……つまり俺の目の前にいるオリジナル――世界の明暗を逆転させた元凶のほうは、死に向かって力を失いつつある状態か……。光のなかを移動する速度も落ちているしな」
「おまけに、首輪を外して文句を唱えても、もう世界を変えることはできん。ただし、いまわの際であろうが……常人に殺されるほど落ちぶれたつもりもないさ」
そしてアルミラは、俺の手から手をはなす。
体を回転させ、背中を向ける。
「しかし貴様も……余の言ったことを真に受けすぎだな。ウソと考えんのか。まともな人間なら……」
「どこかの誰かによると、俺は十二分に狂っているらしいからな。それに……なんだろうな。今まで俺はアルミラのことを、明るいのが好きで暗いのが嫌いな自称ヴァンパイアとばかり思っていたけど……、本当はアルミラも、一個の……ひとりの生物だったと納得しちまって」
「余だって……なんでもかんでも好き嫌いだけで生きているわけではないよ」
と、この瞬間……。
俺に背を見せているアルミラの両手が、また俺の左右の手をつかんだ。
「余が死ぬのは、二週間後の満月の夜だ」
「正確な予測なのかよ」
「今までの余は月影ならば耐えられたが、すでにそれも無理そうだからな。ついてはコトブキ……、余の死に様を見取る気はないか」
「願ったりかなったりだ。アルミラが灰になる瞬間を肉眼で見ないと、安心できない」
「では、その夜に余を呼んでくれ。トワのためにも……きちんと明暗が戻るといいな」
これまでにない、溶けかかった氷のような声を出し、彼女は体をかたむける。
後ろに倒れ、こちらの胸に背中と髪を押しつけてきた……。
「コトブキ……すまんな。今の余は、光に入るにも時間を要する。しばらく、この体勢で我慢してほしい。なんなら……今すぐにでも灰にするか……?」
「消したいのは、やまやまだが……できねーよ。こっちの両手は、もう押さえられてんだ。だから、しゃーないわ。アルミラ、死ぬ前に花火でも見に行くか。次の日曜日にでも」
「くく……」
前にトワも含めた三人で訪れたプールで、一回だけ聞いた音だ……。
アルミラが笑顔を見せたのは、あのとき以来のような気がする。「く」と「ふ」の中間くらいの音を出し、僅かに顔を綻ばせている。
「このタイミングで花火のさそいか。さっき余を始末しようとしたヤツのセリフとは思えんな……。なんともドキドキするじゃないか」
「せっかくだからな。デートしてやるっていう嘘の約束を、本当にしてもいいかなと思ったんだよ」
「お調子者めが……」
あごを上げ、アルミラが比較的柔らかな顔を見せる。
「プランは任せる」




