アルミラージュ・ムースクイーン
世界の明暗を入れ替えた元凶……アルミラージュ・ムースクイーンを始末するべく、俺は彼女に闇を浴びせた。
自室におびき出したのち、部屋の照明のスイッチを入れ、室内を暗くする。
そのうえで懐中電灯を使用し、闇を照射した。
アルミラは、闇で灰になるヴァンパイア。
だから、これで始末できたと思ったのだが――。
――彼女は依然として、そこに平然と生き続けていた。
思考が停止しそうになる俺の両耳に、冷たい声が入り込む。
「抜けたか……力と腰と魂が。しかし、気だけは抜いてくれるなよ。日本語の言い回しは、面白いなあ、コトブキ」
体が震え、冷や汗がとまらない俺の顔に、ワインレッドの視線が刺さる。
「……ともあれ、体のバランスを失ったなかで、闇を余に照射し続けているのは見上げたものだがな」
アルミラは、ベッドの上に立っていた。
おかげで、今は俺よりも身長が高く見える……。
左手にパラソルを持っている。それを頭上にひらいている。
パラソルの下には影ができ、明るい光で彼女をつつむ。
……いや、この程度は予想していなかったわけではない。部屋が暗くなる瞬間に飛び起き、すぐさまパラソルを展開すれば、しのぐことは可能……。
問題は、懐中電灯の放つ闇をどう防いだか。
その答えが、アルミラの右手にひらかれていた。
それは、二枚貝のかたちをしていた。
アルミラはそれを顔面の前でひらき、内部に取り付けられた平面鏡と凹面鏡を俺のほうに向けていた。
その正体は、ただのコンパクトミラーだった。
しかも、それは俺の知らないものじゃない。
「アルミラ……! そういうことか……コンパクトミラーで、闇を防いだのか……! 確かに今の鏡は光だけでなく闇も反射する」
「見てのとおりな」
見間違えることはない。
なぜなら、アルミラの片手にひらかれている、その二枚貝に似たコンパクトミラーは、ほかならない俺自身が彼女に――彼女に……。
「そう、貴様がプレゼントしてくれたものだ。おととしの八月……伝統的七夕が来る前に」
位置を固定したまま、ひらいたコンパクトミラーを微動させるアルミラ……。
「後生大事に取り込んでいたカイがあったよ。ありがとうな……コトブキ。余は貴様のおかげで、貴様に殺されずに済んだ」
「く……ぐ……っ!」
俺は、一瞬の暗闇のなかで立ち上がる彼女を反射的に捉えていた。
だから、懐中電灯の闇をアルミラの顔面に照射した。潰すなら目……それがセオリーのはずだった。
が、思考は向こうに読まれ、コンパクトミラーで完全にガードされた。
(せめて……もっと大きめの懐中電灯だったら……。服に隠しても厚着でごまかしやすい、寒い季節に実行すべきだったか……いや、今さらそんなことを考えても無意味だ……切り替えろ)
相手の持つ鏡は、そこまで大きなものではない。
(アルミラの右手の届かない箇所に……そうだ、足を灰にして)
だが俺が下方に闇を向けた瞬間――。
彼女がしゃがみ、射線に鏡を移動させた。
「しまえ」
曲げた両膝越しに、冷たい目と声が突き刺さる。
「別に貴様が余を殺そうとすること自体は、かまわないさ……。余は基本的人権の外に住む『現象』のようなものだ。その現象に害があるなら滅する――なんとも当然の流れだよなあ。よって貴様を非難する理由はない。ただし、その理屈がとおるなら……余も余を攻撃するすべてのものを殺す。最期まで生きていたいからな」
「……俺も悔やんではいないし、謝る気もない」
俺は懐中電灯の電源を切って、闇の照射をとめた。
ゆかに放り投げる。円筒形のそれが、部屋のデスクの下に転がる。
続いて、俺の背後の壁にあるスイッチをもう一度背中で押して、電気をオフ状態に戻す。
すると、室内にふっていた闇が消え、あたりが再び明るくなった。
光で満たされた部屋を歩き、俺は窓のそばに寄る。
カーテンをしめ、完全に太陽の闇を排除する。
そして俺は、デスクの横に置いていたキャスター付き椅子に手をかけ、引っ張っていく……。
窓からも壁のスイッチからも、ゆかに転がった懐中電灯からも離れた場所に移動し、椅子の座面に腰を下ろした。
アルミラはそれを確認し、しゃがむのをやめた。
再びベッドの上に直立する。
「聞き分けのよい、利かん坊だな」
「次の手を考えているだけさ」
俺は両手を膝に置き、やや高めの位置にいるアルミラをキッと見る。
彼女も闇を完璧によけたわけでは……ないようだ。
その証拠に……黒い衣装のあちこちが灰となり、ベッドの上に落ちている。
――アルミラの、紫がかった黒い服装。ニーソックス、ティアードスカート、手袋と一体となったアームカバー、ノースリーブのブラウス、金具付きの首輪。……黒くはないが、トワからもらったレインボームーンストーンのペンダントもある。
なかでも俺が注目したのは……。
「そんなに首輪が気になるか」
アルミラがコンパクトミラーを握り潰し、もう一度手をひらく。
すると右手が、からになっていた。その指を持ち上げ、首輪の金具を小さく引っ張る。
「懐かしいなあ、コトブキよ。貴様と初めて顔を合わせた、おととしの五月上旬に、余は首輪を外して『世界よ、戻れ』と言ったわけだ。あのときは、少しだけ元の世界の明暗を返してやった。貴様は今、当時の再現をしたがっているな? いちかばちか、余の首輪を奪い取り、『世界よ戻れ』と発音させる……そのためにはどうしたらいいか……鋭意思考中であるわけか。だがそれなら、殺すほうがよほどラクだぞ」
「違うっての。まるでそのファッション、なにかに束縛されているみたいだなって」
「リードは付いておらん……あえて言うなら、力を抑えるブレーキだろう。あとは趣味だ」
「――アルミラ」
さきほどから饒舌になっている彼女を座ったまま見上げ――。
そっと俺は口にした。
「なぜ逃げない」
「む……!」
ぴたりと言葉をとめるアルミラ。
対する俺は、震える体をごまかし、続ける。
「確か……ずっと前に海辺で話したときアルミラは……危ないと判断したら、俺との約束をホゴにして即座に逃げる……って言ってなかったか。俺はこの発言をウソとは思わなかった。だが今のアルミラは……明確に殺意を向けられたにもかかわらず、光のなかに溶けて逃亡が可能であるはずなのに、俺の前から去ろうとしない」
アルミラは、なにも答えず、胸もとに垂れる髪のふさに片手を当てる……。
「不可思議な点は、ほかにもある。きょう俺が名前を呼んで、そっちが現れるまで……二時間かかった。元々は光のある場所でなら、すぐに出現していたのに。いや……ちょうど九か月前には一時間の遅延だったか。そして……そのさらに九か月前に俺とアルミラは別れたっけな」
「やたら九か月を強調するじゃないか」
「どこで聞いたか……この数字。トワの睡眠時間以外で。ああ……アルミラは自家受精で自身のコピーを産み出したあと、九か月で死ぬんだったよな」
「まあ、そのときどきによって誤差はあるがな。……しかし驚いたな、余の記憶によると、それについて明言したのは二十二か月前の新月の日。……しかも一回だけだぞ。聞き流していなかったのか」
「……なんとなく覚えていただけだ。加えて、子を産むまでは人と同じ過程をたどるんだろ? つまり自己内で生成した異なる配偶子同士が接合して、それが胎内から誕生するまでに要する時間は……約九か月」
「はっきり申せよ。別に恥じることでもない」
「もしかしてアルミラは、すでに自分の子どもを産み、育て……死にかけているんじゃないか? 俺は、おととしの九月八日から去年の六月八日までアルミラを呼ばなかった。この九か月のあいだにコピーを産んだと考えれば時期的にもおかしくない。そして、その六月八日からきょうの三月八日までの九か月間、アルミラは死に向かいつつもコピーを育てていたんだろ。一方でオリジナル本人の力は徐々に失われ、光のなかを移動するスピードも落ちていったって感じか……?」
「当てずっぽうに鎌をかけたわけでもなさそうだな。ご名答」
彼女の足が前へと進み、ベッドから……ふわりと、おりた。ついでパラソルをとじ、下からスカートのなかに収納する。
「コトブキがどうこうせずとも、じき寿命だよ」




