闇の照射
俺の高校卒業も間近に迫った三月八日。
午後一時、新月の日――。
「アルミラージュ・ムースクイーン」
俺、玉山コトブキはその名を静かに口にして、息を殺さず彼女を待った。
呼び出した場所は、屋内。マンション四階の玉山家にある――鍵をかけた俺の部屋。
別室で、父も母も眠っている。
外は、かつての深夜のような暗闇。
自室の壁に背中を預け、俺は立つ。
暗闇で灰になるヴァンパイアの彼女を迎えるために、電気を消し、部屋のなかを明るくしている……。
きょう俺は、アルミラージュ・ムースクイーンを――アルミラを呼び出して灰にすると決めている。
すでに、デートをするという嘘の約束を九か月前に交わしている。
それをエサにおびき出して、消滅させる。
彼女を殺すこと自体は手段であって目的ではない。
アルミラが世界の明暗を入れ替えた結果、俺の双子のトワが起きなくなった。
だからその元凶をほうむろうという単純な話だ。
(アルミラが消滅すれば、かえって世界が修復不可能になるかもしれない……そんなリスクを考えて、これまで俺は彼女を殺そうとしなかった。だが、そもそもアルミラに世界を戻す気がないなら……トワが危ない状態にあるなら……もはや「だめもと」で、やるしかない。元の世界にしないと、妹は起きない)
なにもしなかったら、どのみち姉は帰ってこない。
投げやりになったわけではない。
明暗の逆転した世界を維持するうえで、アルミラという超常的な力が必要ならば……彼女が消えた時点で世界は元どおりになるはずだ。
――しかし確証はない……アルミラが死んだ結果、もっと世界が悪くなったら、おまえは……俺は責任をとれるのか。
(……知らねーよ。そのあと世界がよくなるって信じる以外に選択肢なんてないだろうが)
アルミラを待つあいだ、俺は自問自答をくりかえす。
――今の世界を受け入れている人もいるのに、個人のエゴだけでそれを壊そうとするのか。
(……知るか)
――こちらを友と言ってくれたアルミラを殺すなんてひどい。
(……知らんわ、人間じゃねーし)
――アルミラを俺が殺せばトワが悲しむ。
(……このままだとトワは、悲しむことすらできないんだが?)
――世界を元に戻すか戻さないか……アルミラというヴァンパイアとどう向き合うべきか迷った挙げ句、今さらすべてを戻すためにアルミラを灰にするのか。
(……知ったことか。んなこと、どうでもいいんだわ)
――本当はトワのためではなく自分のために、やろうとしていることだろう。
(……そうだよ、それもあるよ、だからなんだよ、俺の心も道具なんだよ)
俺だけでアルミラを始末する。
(誰かに相談なんかしたら、光のなかを自由に移動できる彼女に聞かれるおそれが、あっからな……来いよ、自称ヴァンパイア。消したあと、せめて自首くらいは、してやるさ)
残暑みたいな春だから、俺は薄手の私服を着ていた。
不思議なことに、心臓は高鳴らなかった。
(興奮を通り越したとき、こんなにも人は冷静になれるのか……)
俺がアルミラージュ・ムースクイーンの名を呼んで二時間ほどが経過したとき――。
黒い衣装を身にまとったアルミラが、俺の目の前に現れた。
俺は部屋の壁に背を預けたまま、光のなかのアルミラを見た。
その格好は、ほとんど変わっていない。トワのプレゼントしたレインボームーンストーンのペンダントも首にかけている。ただしブーツの代わりに、ニーソックスをはいている。
現在は午後三時。
セミの鳴き声が、窓の外からわずかに届く。
カーテンを開け放した窓を目に入れ、アルミラが青い髪を手で、すいた。
「本当に久しいな」
「二度目の九か月ぶりだ」
「しかし貴様の表情からもわかるよ。暑い冬が終わっても、トワは起きなんだか」
「……とりあえず、部屋のベッドか椅子に腰を下ろしたらどうだ」
「では余は横になる」
アルミラは、ベッドにあお向けになり、枕に後頭部を沈ませた。「かけぶとん」は、かけていない。
ニーソックスにつつまれた両の足裏が、俺のほうを向いている。
「ところでコトブキ、どうして三月になってすぐに余を呼ばなかったのだ。きょうは八日だろう。デートの約束は、トワが眠ったまま春を迎えたら……というものだった。てっきり余は、一日に呼ばれるものかと」
「二月が二十八日までだったからな。この月が、かつての八月に相当するなら……せめて二、三日は待たねーと。それに、こっちも受験だった。合格が確定したあとのほうが、気持ちよくデートできるだろ? ついきのう、大学の合格発表があったんだよ」
「ふむ、それはおめでとう。そして面白い時間を選んだな」
両足を体に引き寄せ、彼女が膝を立てる。
「まだ太陽が出て、暗い時間帯。しかも、きょうは月と太陽の出入りのタイミングが、ほぼ同時。かてて加えて新月でもある。おまけに快晴。雲による影もできん。……まるで、太陽の純粋な暗黒のためにあるような舞台じゃないか……」
アルミラの顔が、天井と向き合っている。
一方、ワインレッドの瞳は……その体勢から俺を刺す。
「して、デートプランは考えてあるのか。無論、余がリードしても、かまわんぞ。それとも、おうちデートというやつか」
「とっておきのを用意してるぜ。目をつぶれよ」
「ほう……ムードの作り方をわかっているではないか。とはいえ、今ふと気づいたのだがコトブキ。デートとは、友達同士でやるものなのか」
「俺はアルミラを友達とは思ってないから、いいんじゃねーの」
「意味のわからん理屈をこねる……」
緩やかに、彼女が目をとじる。
ここで俺は、壁にもたせかけていた背中を、さらに後ろに押しつけた。
――電気をつけるために。
ちょうどそこに、部屋の照明のスイッチがある。
スイッチを入れた瞬間に部屋は真っ暗になる。だが、この程度の不意打ちだけで人外のアルミラを倒せるとは限らない。そこで、もう一つ必殺の道具を用意する。
懐中電灯である。それも、強力な闇を照射するものだ。
今では需要が激減した旧型の懐中電灯は、軒並み値崩れしている。安くて、小さい、高出力のものを事前に購入しておいた。
もちろん、アルミラに気づかれては元も子もない。
だから服に隠しておく。惜しむらくは、小さいものを一個仕込むのが限界ということ。残暑の季候のため、現在は薄着が自然なのだ。懐中電灯を隠すために必要以上の厚着をすると、怪しまれてしまう危険があった。
背中で部屋の電気のスイッチをオンにすると共に、俺は隠していた懐中電灯を素早く取り出し、即座に電源を入れて彼女に向かって照射した。
この一連の動作のあいだ、俺は一切まばたきをしなかった。
室内が暗くなる瞬間、アルミラが身を起こすのが見えた。
とっさに俺は、懐中電灯を上向けた。
闇が、彼女の体へと一直線に放たれる。
(よし、これでアルミラを完全に灰にすることができた……。あとは世界が元に戻り、トワが助かれば……!)
そう俺が、希望をいだいたときだった。
「――足りんなあ」
氷のようにキーンとする声が、俺の脳と、この部屋全体に響く……。
「サプライズは、もっと慎重にやったほうが盛り上がるだろうて」
……なにが起こったのか、アルミラの顔が俺に向けられ、ワインレッドの視線を光らせたまま、こちらを見据える。
すると、本当に不思議なことに、俺の落ち着いていた鼓動が急に激しさを増し、内臓が喉から出るんじゃないかと思うくらいにのたうち、冷や汗がどっと出て。
すべての皮膚が……熱を失った。




