タイムアウトまで
……アルミラこと、アルミラージュ・ムースクイーン。
彼女は去年の四月一日、世界の明暗を逆転させたヴァンパイア。
光を好み、暗闇を怖がる突然変異のヴァンパイア。
アルミラは、世界の季節の順番さえも入れ替えた。
俺はその名を口に出すことで、アルミラを光のなかに呼び出せる。
今年の六月八日、アルミラは「今年度の冬が終わるまで待ってくれ」と言い残して消えた。
……俺、玉山コトブキには双子のきょうだいのトワがいる。
元々、トワは夏にしか起きられない体質だった。
正確には、六月の上旬から九月の上旬くらいまでが毎年のトワの活動期間で、あとの九か月は病院のベッドでずっと寝ている感じだった。
しかしアルミラが世界を作り替えたことにより、今の夏は元の冬のような季候を持つ。
寒いし、暗い時間が多い。
その影響が強く出始めた今年――トワは六月八日の一日だけ起きて、以降はずっと……深い眠りのなかにいる。
このままだと、もう二度と起きないかもしれない。
もし、元の夏のような季候を持つ冬が終わってもトワが眠り続けるのなら、トワは世界から見捨てられたということだ。
……世界を変えた元凶は、やはりアルミラ。
とはいえ、もはや彼女がみずから世界を元に戻すことはないだろう。
彼女と俺は約束している。
トワが目覚めないまま春を迎えた時点で、デートすると。
もう、俺は決めている。
そのときは、アルミラを――。
七月の初めに、俺の住む町にも雪がふった。
去年とは違い、もはやセミは鳴いていない。
ただし七日は晴れた。……俺は病室で、トワに「誕生日おめでとう」と言った。
なお本来の夏季を再現したかたちで、一定時間にわたって光を浴びせる試みもおこなわれたが、それでもトワは目覚めない。室内を高温にしても無駄である。
やはり時期だけでなく太陽自体の作り出す明暗の長短も、起床の最低条件なのだ……。
今や太陽は闇を放つ恒星――影響力が違いすぎる。
去年は八月二十九日まで起きていられたわけだが、あれは例外だったようだ。あれはトワの体内カレンダーが……新しい世界に染まりきっていなかったからこそのイレギュラーと考えられる。
今年の八月十三日、とあるライブ配信を見た。
皆既日食の映像である。
今年は日本では観測できないようで、どうやらアイスランドから撮っているらしい。太陽が月に食われるという神秘的な天体現象……加えて、明暗が入れ替わった世界における初の皆既日食……世界じゅうの人々の目が、その瞬間に集中する……。
なお前年度の時点で、明暗逆転後の部分日食と金環日食が南極で観測されていた。
闇の太陽の一部が欠けたり、黒っぽいリングになったりする動画を確認したあと、俺は皆既日食を待った。
日本時間で午前二時五十分……現地時間で午後五時五十分くらいのとき、皆既日食が始まった。
「向こうは暗いですね、玉山せんぱい……」
……そのゆるふわな声は、高校の後輩である篝屋テルハのもの。
現時点で俺が高校三年。篝屋が二年。
俺は篝屋の家の庭にて、タブレット端末に映した動画を一緒に見ていた。
「あ……、ついに月が太陽の全部を食べちゃいました。……え、せんぱい、すごいですよ、これ……今までの日食とは雰囲気が全然……!」
新月が太陽の上に重なったとき、暗闇が消えた……。
ここで動画は、一瞬だけ地上の映像に切り替わった。そこでは人々が歓声を上げたり手をたたいたりしていた。
(去年の皆既月食のときの、みんなの反応を思い出すな……)
しかも、太陽が出ているはずの時間であるのに、あたりが明るくなっていた。
それだけではない。
光る透明の空が現れたかと思いきや、間もなくして、ぼうっとした怪しい闇の円環が姿をさらす。
太陽を取り巻くコロナというガス……また、そこから躍り上がるプロミネンスが合わさって、黒を放出し、なんとも言葉にしがたい魅力を広げる。
月の凹凸により、太陽の闇は完全なかたちでは遮断されない。
それがビーズ状の闇の列を作る。
また、一箇所だけが強烈な暗黒を発し、ほかの円周が、落ち着いたリングのかたちをとる――いわゆる「ダイヤモンドリング」が透明な空に浮かぶ。
「まさにブラックダイヤモンドリングですね……。漆黒の……大人な雰囲気。素敵です……」
篝屋が、そうつぶやくのが聞こえた。
そんな、従来とは違う皆既日食は、二分ちょっとで終わった。
あとは……徐々に新月が太陽の手前を去り、地上がだんだん暗くなり、光のない、元の昼へと回帰する。
月食同様、本来の日食とは違う意味で、きれいだった。
俺はその過程を、画面越しに目に焼き付けた……。もう二度と、見られないだろうという気持ちを込めて……。
六日後の八月十九日、俺は星のよく見える例の村に行って、ひとりで伝統的七夕の夜を過ごした。
短冊には、なにも書かなかった。
ちなみに去年の短冊をつり下げた笹は、すでに片付けられている。
空を見上げると、五分に一個ほど、星が落ちた。ペルセウス座流星群ではあるが、すでにピークは過ぎている。
九月下旬、今年も桜と共に、中秋の名月が浮かび上がった……。
篝屋が「白い黒玉団子」という新作のスイーツを作って、公園のベンチに持ってきてくれた。
「玉山せんぱい……きょうは受験勉強のこと、永遠に忘れましょうね」
確かに今の俺は高三で、これから進学するつもりだ……。
俺は大人しく、大学受験の準備に、いそしんでいた。
十一月に暖かい秋を終え、十二月に梅雨を越す。
そのあいだに、地球環境の二大変化が、世界じゅうの研究者たちにより発表された。
すなわち海水温の上昇と、大気中の二酸化炭素濃度の減少。
本来は暗闇に沈んでいた深海付近が光に満たされ……。
かつ、あたりが暗くなっても、明るい影によって植物の光合成が促進されたから……。
砂浜に打ち上げられた深海魚の群れや、葉っぱと葉っぱを重ね合わせて効率よく光を受けようとする植物たちが、続出していた。
時間は、すぐに進んだ。
一月に共通テストを済ませ、二月に大学の入試に臨んだ。
気づくと三月上旬になっていた。合格発表があった。
「おめでとうございます、せんぱい……」
いつものセーラー服姿の篝屋が、父親の店に俺を招き、結果を祝ってくれた。
ほんわかした笑顔を向け、声を弾ませる。
「合格祝いに、なにか一つ、おごりますよ」
「ありがとな。じゃあ、ショートケーキのカットケーキで」
「センスの光るチョイスです」
テーブルに運ばれてきたケーキの味は、以前と変わらず、おいしかった。
ヨーグルト風味の「あんにん豆腐」を幸せそうに口に含む、対面の篝屋を俺は見る。
「そういえば篝屋には、まともにお返ししたことなかったよな。俺、いつも言葉だけで礼を言うばかりで……。たくさん、うまいもん、食わせてもらったのに……。なにか、ほしいものとか、してほしいこととかあったら、できる限り……応えるよ」
「それでは笑顔で払ってください」
篝屋は、いったんスプーンの動きをとめた。
曇りのない、やや紅潮したほおを俺に見せる……。
「玉山せんぱい、この前の六月くらいから、全然、笑っていませんよね」
「わかんね。……ずっと、鏡を見てるわけでもねーし」
俺は、とぼけた。
……が、「わたしのことを友達として紹介する話は、どうなったんですか。せんぱいのごきょうだいのトワさんとも会ってみたいです」という言葉を……篝屋が胸中にとどめているのも、わかった。
どうやら篝屋テルハは……俺の表情が暗い理由を察しているようだ。
「せんぱい……わたしは、フリーです」
「なんのアピール?」
「苦しいときは、癒やしてあげたいです。……食べ物以外のことでも」
「ありがとう。でも、ごめん」
「なびきませんね。そういうところに、ひかれます」
あらためて俺は、トワの寝ている病室に足を運んだ。俺は六月からずっと、一日も休まずに病院に通い詰めていた。入試本番の日も、例外なく。
しかし三月になり、暑いシーズンが終わり始めても、トワに目覚める気配はない。
医者の話によると……以前よりもさらに眠りが深くなっているらしい。
このままだと、いわゆる「植物状態」になるかもしれないと両親は話してくれた。
それが不幸かどうか……そんなことは、本人でもない俺には、わからない。
「ただ、かなってねーんだよな。大学合格のために勉強がたくさんできますようにっていう、トワの願い……。なのに、俺だけ先に受かっちまった……」
俺は自分そっくりの、トワの薄い唇を見る。とじられたままの、それを。
「姉さん、少し待っていてほしいんだ。……お兄ちゃんが、なんとかするから」
トワの横たわるベッドから離れる。
病院の廊下を静かに歩きながら、考えをまとめる。
(充分に待った。もう、実行すべき手段は一つしかない)
すでに覚悟は九か月前の六月から固まっている。
姉のために……妹のために……トワのために……。
俺のために。
アルミラージュ・ムースクイーンを――灰にする。




