光と闇の入れ替わり事件
ことの始まりは、今年の四月一日の午後。
エイプリルフールの熱も収まりつつある夕方に、珍事件が起こった。
太陽が沈んでも、外が暗くならなかったのだ。
某SNSでは「夜が来ない」「ずっと昼」といったワードがトレンド入り。
偉い専門家の会見がテレビやネットで流されるも、「原因はまったくわからない」の一点張り。
急に、部屋のあかりまで消えた。
奇妙なのは、脇の下や指と指のあいだが、ぼんやり光っていたこと。服にできたシワにも、同じような現象が発生している。
壁にある照明のスイッチを押すために立って歩くと、足に光がついてきた。部屋のところどころ……とくに通常は光が当たったときに影ができるはずの箇所が、なぜか明るい。カーテンやデスク、ベッドの陰などに、豆電球を置いて光らせているみたいだ。
とりあえずスイッチにふれ、部屋のあかりを元に戻した。
ただ、さきほどまであつかっていたタブレット端末をあらためて見た瞬間、気づいた。
(画面が暗い)
明るさの設定を上げれば上げるほど、逆に見えづらくなる。
もしかしてと思って明るさを下げる。すると、画面に光が戻った。
俺は服のシワに目を向けた。指と指のあいだ、脇の下、デスク、ベッド、カーテンの陰に潜む違和感。
(影がない……)
シャツの襟を引っ張り、内部をのぞき込む。なかから、ひときわまぶしい光が目に飛び込んでくる。
カーテンと窓をあけ、明るい夜空を確認する。そこには三日月が浮かんでいた。
闇のように黒い、右に張り出した三日月だった。
それだけではない。ライトブルー……いや、透明な満天に、無数の星が広がっている。暗い赤、暗い金色、ダークブルー、灰色の星たちが。
(ネット上にも、同じような画像が大量に投稿されている)
次の日は早起きし、日の出を見た。
紫の朝焼けと共に、紫の太陽がのぼり、あたり一面を黒に染めた。それの発する闇に温かさはなかった。涼しかった。
再三ネットで情報を集めてみたところ、世界じゅうで「光」と「闇」の逆転が起こっていることがわかった。
宇宙も、闇ではなく光につつまれているらしい。
とはいえ、さすがは人類。
最初は焦っていたものの……今までの仕事や学校、家庭生活を放棄することはなかった。生活リズムを十二時間ずらすことで、あっさり適応してしまったのだ。
この事件で俺は、あの国民的マンガのエピソードの一つを思い出した。全四十五巻のコミックスには未収録だが、母の持つ大全集からあらためてその話を読んでみると、昼夜の逆転した「もしも」の世界がすでに約半世紀前にえがかれていたことに驚いた……。
もちろん、みんながこの状況を受け入れたわけではない。拒絶する者もいる。
俺・玉山コトブキも、その一人。
……五月上旬の祝日、俺はヴァンパイア(?)に遭った。
「ほうほう、これが貴様の妹御か」
とある病院のベッド。そこに寝ている一つの顔に、ワインレッドの視線がそそがれる。
その日、俺は「妹」の見舞いに来ていた。病室に、ほかの患者やベッドはない。
気づくと、俺の座っていたパイプ椅子のそばに、新たなパイプ椅子が置かれ、そこに何者かが腰かけていた。自身のティアードスカートの上に両のこぶしを置いている。
前ぶれなく右隣に現れた彼女を横目で見て、俺は尋ねる。
「あの、どちらさまで……」
「元凶さまだよ。この世界の明暗を入れ替えた黒幕とでも言おうか。名は、アルミラージュ・ムースクイーン。よければアルミラと呼んでくれ」
黒っぽい衣装と青い髪を揺らしながら、俺の「姉」のとじられたまぶたを見ている。
「ちなみに余はヴァンパイア。血を吸わない希少種。怖がってくれるなよ。好きなものは光。苦手なものは闇。どちらでもないものは、人間」
「えっと……すみません、アルミラさん?」
正直、俺は困惑した。初対面の相手が、見舞いに来た妹のベッドのそばに唐突に現れ、意味不明なことをしゃべりだしたからだ。しかし俺と同年代くらいの高校生っぽい女の子に「別の意味で怖いわ!」なんて返すのも気がひけるので、やんわりと続ける。
「その格好は誰のコスプレで、その設定は、どのアニメやマンガを元にしたものですか。ちょっと元ネタの作品に心当たりがないんですが」
「フィクションではなくリアルの話だ。先月一日に世界じゅうで起こった『光と闇の入れ替わり事件』……各国の著名な研究者が総力をあげて原因を究明しているが、いまだ詳細はわからず。だが答えを言ってしまえば、余が世界をそういうふうに作り替えたから起こったことだ」
「はあ、本当ならすごいですね」
アルミラと名乗る彼女から目を離し、俺は病室の窓に視線を移す。
(もう付き合っていられない。ここは適当に話を流して、さっさと帰ってもらおう)
窓の外には、上弦の月が浮かぶ。
普通なら左半分が黒く、右半分が明るい。が、今は逆。周囲の透明な空に左半分が溶け込み、右半分から闇が放出されている。
ほかの星たちも、暗さを連れて空に広がる。
とくに月の落とす暗黒が、人々の頭上にふり続ける。
おもに、明るい夜に活動するようになった人々に……。
「余の言うことが事実と思えんなら、証拠をやろう」
少女(?)は、自身のつけている首輪の金具をカチャリと鳴らし、それを外した。
「世界よ、戻れ」
言葉が終わると同時に、部屋のなかが暗くなった。
外の景色からも明るさがほとんど失われた。右半分の月が、白と黄色の中間くらいの光を発しながら、黒い宙にとどまっている。ほかの星も闇を手放し、輝く。人々の騒ぐ声が聞こえてくる。
(本当の夜が帰ってきた)
おそるおそる隣を見ると、アルミラは大きなパラソルを頭上に差していた。
「停電したわけではない。部屋が正常の暗さを取り戻しただけだ」
パラソルの裏地からは、まぶしい光が落ち、彼女の全身を照らしている。
「内部が光源になっているのだ。余は暗闇が嫌いなのでな。さきほどまでの……影が明るい世界においては、わざわざ照明のスイッチを入れたりせんが」
左手でつかんだ持ち手を上下させ、膝に置いた首輪をたたく。
「……さて、余にかかれば世界の明暗など、たやすく変わる。ほら、もう一度」
すると今度は、部屋も外も急に明るくなり、月の右半分が再び闇をはき始めた。