季節の変わり目
九月八日の皆既月食を見て別れて以来、俺はアルミラの名を呼ばなくなった。
彼女と会わなくなっても、とくにさびしいと感じることはない……。
とはいえアルミラの逆転させた世界の明暗や季節は、そのままだ。
たとえば九月下旬において、各地で桜が開花したというニュースが飛び交った。
季節そのものが、ずれ始めているので……あながち狂い咲きでもないかもしれない。
さらに今年の中秋の名月は十月上旬だったため、花見と月見を同時に楽しむ人が続出した。
最初は不気味に思われていた黒い月も、これはこれで風情があるということで、人々の人気を集め始めた。
大時計の立つ公園で、俺はそんな月を見る。
「――玉山せんぱい! わたし、新しい月に合わせて、お団子を作ってみました」
ベンチに座った俺の隣で声がする。
声をかけてくれたのは、高校の後輩。
弁当箱を膝に載せ、その蓋をあけてみせる。
なかには、ひとくちサイズの黒い団子が詰まっている。
その後輩は俺を「玉山せんぱい」と呼ぶ。
アルミラと別れたあと、学校のスクーリングで知り合ったのだ――。
俺の所属する高校は、通信制。
しかしスクーリングのために学校に顔を出さないといけない日もある。ちょうど九月の中旬に、一年生と二年生の合同授業が実施された。
先生の決めた席に座って、隣の人とレポートを作成することになった。
私服の俺に対して、その女の子は制服だった。
うちの高校は制服を用意しているが、購入や着用は本人の意思に任されている。
白いセーラー服。
プリーツスカートのヒダは少なめ。襟は緑。
袖口とスカートの裾にも緑色のラインが見える。胸もとのスカーフは黄色で、チョウのように二つに分かれる。
隣の女の子……篝屋テルハは百五十センチほどの身長で、髪はミディアム。
雰囲気は、ゆるふわ。大きな目を持つ童顔の少女。
話を交わすうちに、近くに住んでいることが明らかになって、スクーリングが終わったあとも、そのままなんとなく会うようになった。
親しげに話す篝屋に対し、俺は突き放すようなことも口にした。
「こっちは友達のつもりすらないんだけど……」
これを言えば、大抵の相手は「あ、こいつ、痛いヤツだ」と思って、さけてくれるはずだったが……、その女の子だけは違っていた。
かえって、うれしそうにしていた。
結局、一緒に中秋の名月……十五夜の月を見る流れになった。
差し出された団子を口に含む俺に、篝屋が上目づかいで話しかける。
「――どうでしょうか。わたしの『黒い白玉団子』のお味は……?」
「名前にはツッコまないが……歯を立てるたび、中身の黒あんと表面の黒蜜が絡み合って、独特のおいしさを感じられると思う」
「末長く、ありがとうございます……玉山せんぱい」
……校外でも、篝屋テルハはセーラー服を身にまとったまま。
緑のリボンを下端に巻いたセーラー帽。白いハイソックスに白いバレエシューズ……。
それ以外の服装を、俺は見たことがない。
ともあれ明るい影を落とす桜の下のベンチに陣取り、篝屋自身も黒い白玉団子をほおばる。
現在は午後五時。太陽が沈みかけ、紫の夕焼けを作り出す。
これより少し前に、十五夜の月がのぼっていた。
ダークブルーの月が、紫の空を背景として、宙に浮く。
通常の月見は完全に日が暮れたときにやるものだが……太陽が没する前に月が顔を出す場合は、その時間のあいだだけ、昼に月見をおこなうことが可能なのだ。
ただし、今さら確認するまでもなく、現在の昼は暗い。
妖艶で面妖な闇の月に、黒い白玉団子をかざしてみる。
すると、薄桃色の桜の花びらが、光を裏地にくっつけたまま、はらりと団子に舞い落ちた。
俺は花びらをそっと取り、団子を口のなかに押し込んだ。
「篝屋。ありがとう、ごちそうさま、おいしかった」
俺は最低限のことだけを口にして、公園を去った。
(なんで俺は篝屋と、ちょくちょく会うようになってんだろ……)
十一月、太陽の落ちた時間帯。
俺は制服の篝屋と、例の小山の頂上にある広場に来た。
そのベンチに座り、藤棚を見上げつつ、考える。
(アルミラのことを忘れたくて……いや)
いくつもの淡い花束が、藤棚から垂れ下がっている。ただし、その数は多くない。
(トワがもう一度起きたときに、友達がいないところを見せたくねえんだろうな。俺からすればアルミラは友達じゃないとはいえ、トワはそう思っていなかったわけだし)
ただでさえアルミラのことで喜んでいたのに、次に覚醒したときに彼女が消えていたら、きっと姉もショックだろう。
(だが、これは、妹を思うフリをした……俺のエゴの塊)
アルミラージュ・ムースクイーンと別れて間もなく、代わりのように後輩と会い始め……、その篝屋テルハを自分の都合で利用しようとしている。しかも友達でもない相手を友達としてトワに紹介するつもりでいる。
「――これが俺の胸中。ひでーだろ?」
以上のことを篝屋には、ほとんど正直に伝えた。アルミラの超常的な部分を省いて。
(知り合って二か月ほどのヤツに、聞かれてもいないのにこんなことを話したんだ。今度こそ確実に失望されたはず……)
「玉山せんぱい、すごく……たいしたことありませんね」
あくまで「ゆるふわ」の調子を崩さずに、篝屋テルハは藤棚の下で、ほほえんだ。
「その程度、ひどいうちに入りません。わたしが心のなかで考える残虐で陰惨なことに比べれば。わたしが玉山せんぱいと会っているのは、ほれたからじゃ、ありません。この人なら本当のわたしを拒絶しないと……期待したからです」
こういうことを聞かされても、とくに意外な感じは、しなかった。
「せんぱいと会うときにわたしがいつも制服なのは、素の自分を出さないためでした。制服を着ると、『集団の一人として見られている』という感じがします。それで、気持ちを抑制しやすいんです……」
篝屋は、うつむき加減――。
左右のこぶしをスカートの裾に当て、ベンチに座っている。
「だけど、さっきの玉山せんぱいの告白を聞いて確信しました。やっぱりわたしは、この人に自分を見せていいんだって。だって……いつだって本当の意味で悪人に優しいのは、けっして善人ではなく、同じ色をたたえた悪人だけだから。玉山せんぱいの悪はたいしたことありませんけど、重要なのは罪悪感の重さです。お互いの頭のなかが本人にとっての――ろくでもないことで満たされていれば理想ですね」
一人ぶんの距離をあけて俺の左隣にいた篝屋が、しゃべりながら徐々に足を動かし、右にスライドしてくる。つまり俺に近づいてくる。
「わたしだって、自分の安心のためだけに、せんぱいのことを利用しているんです。同じなんです。ここで玉山せんぱいを嫌いになったら、きっとわたしは自分のことも嫌いになるし……ここで玉山せんぱいを好きになれたら、わたしは自分も好きになれる……だから、せんぱい」
ついには俺の二の腕と篝屋の肩がふれそうになった。というか、ぶつかった。
「ドロドロした気持ちを明かしてくれて、ありがとうございます。――って言われて、せんぱいはわたしにドン引きしました?」
「いや……『こいつヤバい』と思っても、人のこと言えないし」
ミディアムヘアを緩やかに揺らし、無邪気そうな笑顔を向ける篝屋テルハ……。
マンガやアニメなら、そこに暗い影が張り付けられるのだろうが、現実ではそんなことはなく、彼女の表情は明るいままだ。
なぜなら今は影のすべてが、光にまぎれる世の中だから……。
次第に篝屋のことも、わかってきた。
篝屋は、いわゆる「腹黒」とは違うようだ。陰口をたたいたり、人に嫌がらせをしたりすることはなく、完全に自分のなかだけに闇の部分をしまっている。
たまに少しだけ漏らしてしまうことは、あるのだろうが……。
あの日以来、当の俺に、心のなかでどんな残虐で陰惨なことを考えているのか伝えてくるようにもなった。
篝屋が俺に打ち明ける心のなかの考えは、とても誰かに伝えられる内容ではなく……伏せ字にしてネットに書き込むことすら、はばかられる。
確かに俺なんかでは、たちうちできない。しかしあくまで言葉だけであり、その計画を実行することも、そこにストレスをかかえて憂さ晴らしをすることも、しない。
では、みんなに……いい顔ばかりしているかというと、そうでもなく、表面的には無垢でフレンドリーである一方で、総合的には人に媚びない態度をつらぬく。
ある種の「ぶれ」をいだきながらも、真に自分として生きている……。
(トワは姉と妹の、俺は弟と兄の、篝屋は善と悪の、アルミラは光と闇のあいだにいるんだ)
本来、篝屋は俺たち双子とも、ヴァンパイアとも関係ない。
ただの後輩だ。
でも――どこか、ぶれているのは一緒らしい。