ひとりのアークトゥルス
八月二十九日……。
俺は双子のトワと一緒に星のよく見える村を訪れ、夜空を見上げている。
明暗の逆転した星々が、旧暦の七夕の空に散らばる。
いくつもの小さな星が、暗く、またたく。
まばたきをして、まぶたの裏側が軽いフラッシュをたくごとに、闇が視界にすべり込む。
それでいて、鮮烈な青さを混ぜた、あの星がない。
「コトブキ。今、この地域ではスピカは見えないんだよ……」
「八月が終わりそうな時期だからか。伝統的七夕は毎年、日付が違うもんな」
「アークトゥルスはひとりになった。だけどスピカは消えたわけじゃない。隠れているだけ」
「そういや先々月……姉さん、その二つの星を『めおとぼし』って呼んでたっけ。さしずめ単身赴任や遠距離恋愛ってとこか。天の川を挟んだ二人は、無事に会えてるっぽいのにな」
「……聞いた話によるとさ」
トワは真上に顔を向けるのをやめ、あごの位置をゆっくり落とす。
「アークトゥルスは『あんさまぼし』と、スピカは『あねさまぼし』とも言うらしいよ。それぞれ『にいさま』『ねえさま』の漢字を当てるとか……。夫婦の要素を除けば、本当にコトブキとわたしのことみたいだよね」
「いや、きょうだいのことじゃなくて、単純に男と女って意味じゃねーの」
「そのぶれも入れて、わたしたちなんだよ……」
「こじらせてんなー、俺もだけど」
少々、首が痛くなってきたので、水平に倒していた顔を定位置に戻し、姉を横目で見る。
暗い影の消えた世界において、妹のやや丸みを帯びた顔の輪郭が強調される。
ただし月の発する闇は、少々当たっているが……。
「コトブキ……お兄ちゃん。なんで小三のとき、黙ってわたしの家出に付き合ってくれたの」
「母さんと父さんから髪切れって遠回しに言われてた時期か」
「そうそう」
「だって、トワ……姉さんが髪を伸ばし始めたのは、小一のときに女と間違われた俺のことを守るためだったわけだろ? 自分が女の子っぽく見られれば、比較して俺は、そっちの性別と思われないってことで。そこまでしてくれたトワの気持ちを邪魔できるわけないよ」
「おおげさだよー。髪、切ってないだけだって……」
といっても……長い髪もケアが大変なわけだし、周囲の視線が必ずしも好意的なものとは限らない。なにか、ここにトワの覚悟が含まれているのだと思う。
当然……妹の髪がきれいな状態で保たれているのは本人以外のおかげでもある。両親はもちろん、眠っている九か月間こまめに手入れしてくれた看護師にも、姉は感謝している。
髪がひるがえって、ほかの人の夜空を邪魔することがないよう、今のトワはきっちり髪をまとめている。その一本一本の重なるところに、光の線が走っている。
「わたし、初めてここで星たちを目に入れたとき、双子座を捜したんだ」
「それこそ時期的に、見えないんじゃないか。まあ時間帯が違えば、わかんないけど……」
「でも、かえって見つからなくて、うれしかった。双子は遠い星空じゃなくて、地上の二人以外にありえなかったから」
「玉山家でなくても双子は……いるぜ」
「世界じゅうで玉山コトブキと玉山トワだけが、今はいない双子座の場所を奪えるんじゃないかと想像したの。わたしはコトブキと一緒に宇宙に溶けたかった。それで、アークトゥルスとスピカに対しても自分たちの境遇を重ねたんだと思うなあ……ふああ」
ここで姉が、小さなあくびを一つ挟んだ。
涙のにじんだ瞳をさらす……。
「ごめん……寝る」
申し訳なさそうに謝る妹の体が、後ろにかたむく。
「来年も気持ちよく起きるからね……お兄ちゃん……コトブキ……」
俺は妹の背中と後頭部に手を添えた。
姉の上下のまぶたが、とじられ、水平な目のラインが結ばれる。
……原っぱで夜空を見ていたほかの人たちが助けてくれたおかげで、無事にトワを村の休憩所まで運ぶことができた。
電話で両親に連絡を入れると、すぐに迎えに来てくれた。
一時的なものではなく、再びトワは、長期的な睡眠を始めたらしい。また約九か月、病院のベッドで夢を見続けることになった……。
俺は看護師の人から、あるものを渡された。
どうやらトワは、あとで笹にくくりつけるつもりで、短冊を服のポケットに入れていたようだ。こんな願い事が書いてあった。
(大学合格のために勉強がたくさんできますように)
青白い短冊に、黒いインクが太く落ちている。
(……まったく、そのまま「大学に合格できますように」としないのがトワらしいというか)
八月三十一日。
再び例の村に行く。
まだ道沿いに飾られていた、笹の一つに短冊をつるした。
俺が書いた「トワが気持ちよく起きるところを来年も見られますように」という願いの隣に、くくりつけた。
暗い昼だったが、笹の葉の影が、それぞれの願いを照らす。
オレンジの短冊と青白い短冊が風に揺られ、少しだけふれ合う……。
「――アルミラージュ・ムースクイーン」
九月一日、午後一時、俺はヴァンパイアを呼んだ。
場所は……五月下旬にも利用した、藤棚のある、小さな山の頂上の広場だ。今は薄紫の花に代わり、緑のツルと葉っぱが大部分の影をかたどっている。
「どうした、コトブキ……皆既月食は、もう少し先だろうて」
「トワが眠った」
四列に並んだベンチのまわりを反時計回りに歩きつつ、アルミラに話しかける。
彼女は二列目と三列目のあいだのスペースに立つ。ちょうど藤棚の中心にて、パラソルを差している。
「そうか……結局、海では泳げなかったが、安らかであれば、よいな」
以前アルミラが口にした「見事な光の模様」という言葉どおりの光景。
花を落とした藤棚が、木漏れ日の闇を細かく砕いてまだらに散らせる。だが、ほとんどは、ツルや葉っぱの影にくり抜かれ、大きく複雑な光の輪郭となる。
アルミラは、南のほうにパラソルをかたむける。
直射する太陽の暗黒を防ぐ格好だ……。
俺は腕組みをしつつ、紫がかったパラソルをにらむ。
「いや心配だ。今年は八月中に寝たから」