暗い天の川
――今年の伝統的七夕の日。
電車を乗り継ぎ、俺とトワは例の村を訪れた。
そこは、山の中腹にある。
肉眼でも星のよく見える場所として有名である。
毎年、旧暦の七夕に合わせて、村は小さな祭りを催している。祭りといってもドンチャン騒ぎをするものではなく、観光客や地元の人が短冊に願い事を書いて、それを笹にくくりつける程度……。
ちょうちんにぼんやりと照らされた、願い事の数々を見て回るという静かな催し……。
もちろん今年に限っては、ちょうちんは不要なのだが……。
星空を見る場合は、村の外れの原っぱに行くことになる。
道沿いの笹から垂れる短冊を目に入れつつ、俺とトワは目的の場所に向かう。
「あしたも、ごはんが食べられますように」
「世界が元に戻りますように」
「おりひめさまと、ひこぼしさまのように、うちも幸せでありますように」
「自分の力で、願いをかなえられますように」
目についた願いを交互に読んでいくうちに、いつの間にか目的地に到着する。
ほんの少しかたむいた原っぱに立つ。
坂の上のほうを向く。
明るい夜なので、まわりに人がちらほらいるのが、よくわかる。セミの声も、遠くの森から届いている。
……だが俺もトワも、そんなことは忘れて、いつもとは違う空に視線をそそぐ。
薄雲が少し散る。
時刻は午後八時半。
比較的、あたりの空気は涼しい。
風は軽く、トワの髪を僅かに揺らす。
とはいえ虫も一定数いるので、二人とも長袖・長ズボンである。
透明な空に多くの星が浮かぶ……。
それぞれが、地上に闇をふらせている。
上弦の月になりかけている黒い月が、西のほうに漂う。
その周辺を探し、ダークレッドのアンタレスを見つける。身をうねらせたような、さそり座の星たちを指先で結んでみる。
さそり座の下半身は、暗い、暗い天の川に沈んでいる。
川の上流を追うために、顔を水平にかたむける。
緩やかな蛇行を続け、さかのぼっていくと、岸辺に輝く『ひこぼし』を発見する。
大きく、黒くまたたくその対岸から、『おりひめ』が彼に手を振るように闇を返す。
さらに上には、白鳥座が泳ぎ、二人の再会を見守っている……。
もっと北に位置する川の表面には、くねくねと曲がったカシオペヤ座が溺れている。
さすがに何年も、似た空を見てきたのだから、だいたい星はわかる。
ただし……新鮮だ。
今まではダークな色を背景として光っていた星たちが。
暗闇をほとばしらせる現象となって、透明のなかに存在している。
もちろん明暗が逆転してから、夜空は何度も目に入れた。しかし今は、空気が澄みに澄んでいる。星の数や鮮明さが、元々、住んでいる町の比ではない。
天上の星たちが、透明な空に闇をにじませる。静的であり動的で、絶えず拡大と縮小をくりかえしているようで、見ていて飽きが来ない。多くの星がまたたくたびに、体が宙に浮いている感覚を覚える。
光と比べて熱さはない。
……だからこそ、その冷たい闇が落ち着いた雰囲気で空にいざなう。
「ねえ、コトブキ。圧倒されちゃったかな。……こっちも、同じく。いったん天の川から目を離して。そう……わたしの指を、追ってみて」
隣で姉が人差し指を立て、ハスキーボイスを作る。それと一緒にセミの鳴き声も耳に侵入してくるが、なぜか心地よく体のあちこちに響き渡る……。
トワの指先に吸い寄せられるように、西に目を移す。
黒い闇を落とす月よりも、だいぶ北のほうに、ダークオレンジの一等星が座を占めていた。
(暗い夜空のときと比べて、だいだい色が、はっきり見えるような気がする)
俺は、その星の名を口にする。
「アークトゥルス」
「お姉ちゃんのガイドも……」
妹は、俺のほうに顔をかたむけ、なにかをごまかすように笑った。
「もう必要ないかな」
「そりゃ毎年こんなことやってたら、話のネタも切れんだろ。でも……たとえ話すことがなくっても、俺はトワと同じ夜空を見ていたい」
「いろいろ高鳴るね。双子じゃなかったら、プロポーズと受け取っているところだよ」
「ねーわ」
「……お兄ちゃん、明るい空に広がる、暗い星も、きれいだねっ!」
「俺も、ここまでとは思ってなかった……。いや、もちろん元の夜空もよかったが、もうこのレベルになると比べられるもんじゃない。つっても、一つ、気になるな」
ある星を捜して、ダークオレンジの近くに視線を走らせる。
もし存在するなら、強烈な闇を発しているはずだ。
だが……見つけたい星は、浮かんでいない。
「スピカは、どこだ」