もうすぐ七夕
――八月になった。
すでに梅雨は明けている。
お盆休みに入り、今年のトワの高校生活も終わりを迎えた。
「にしてもコトブキ、最近、貴様、張り合いがないな」
透明な夜空にとどまる黒い下弦の月を目に入れつつ、公園の広場にたたずむアルミラ……。
彼女は今、同じく公園に立つ俺に話しかけている。
「小耳に挟んだのだが……混乱を抑えるために、夜と昼の呼称を入れ替えるという案が人間たちのあいだで出ているらしいな」
「いつまでも、明るいほうを夜、暗いほうを昼と言っていたら、わかりにくいからな。やっぱり明るいのが昼で、暗いのが夜なんだよ」
「……ときに、世界を元どおりにするという貴様の目標は、どうなった。あんなにしつこく頼んでいたではないか。相応のさびしさを提示して余と交渉せんと、宇宙は……社会は今の状態になじんで、いずれ不可逆になるだろうて」
「トワが納得してるから……この世界を、きれいなものと思っているから」
「余が貴様に近づいた目的はナマの声を聞くこと……別に個人の思いを否定は、せんが」
公園の大時計の柱に寄りかかり、アルミラは眼光を鋭利にする。
「貴様は世界をどう考える。いったん、トワを除外して答えを出してくれ」
「なに言ってんだ……?」
俺は腕を伸ばし、下弦の月を手の平で隠した。
「トワがいない世界は世界じゃない。『トワを除く』なんていう、そんな仮定は……ハナから成立しないよ」
「ふうむ。もはや貴様の令姉兼令妹は、大切という次元を超えているな。それはコトブキだけでなくトワにも当てはまることだろうが……」
「……そろそろ、観察対象としての俺への興味も失せてきたんじゃねーの」
「さすがに余も、友を『飽きるか飽きないか』で判断するほど愚かではないよ」
「ともかく俺は……」
伸ばしていた腕を下ろし、ワインレッドの瞳と目を合わせる。
「トワが再び眠ったら、もうアルミラの名を呼ばないことにする」
「承知した。だがトワが長い就寝に入るタイミングがどうであろうと、九月上旬までは勘弁してくれないか」
「なんでだ、アルミラ」
そんなうたがいの表情を向ける俺に対して、彼女は小さく息をはく。
「皆既月食があるそうだ。日本でも観測できる。それを貴様と共に見て、別れとしたい」
「いいぜ」
「二つ返事、気持ちいいな。では、ひとまず、さようなら」
アルミラは柱から体をはなし、歩く。
俺のそばを通り過ぎる。
「……この先どんな未来が来ても、いつまでも余は、貴様らのことを友だと思い続けるからな。トワも同じ気持ちだと信じている。そして……コトブキ。貴様は余のことを、友だと考えてくれているか」
「たぶん違う。アルミラージュ・ムースクイーンは俺にとって……血を吸わない、暗闇を恐れるヴァンパイアでしかない。その認識に、ぶれはない」
「心地いいものだ……自分を定義してくれる者がいるというのは」
すれ違うとき、アルミラも俺も、互いの顔を一切、見ようとしなかった……。
――さらにお盆の期間も過ぎ、旧暦の七夕が近づいてくる。
そんなとき、妹が俺の部屋のドアをノックして、なかに入ってきた。
ベッドの上にうつ伏せになる。椅子に座った俺を見る。
「お兄ちゃんは、今年の短冊に、なに書くの?」
「えーっと……去年は、どうしたっけ」
トワの質問に即答できず、俺は記憶を探る。
「あ、『留年しませんように』だ。通信制でも、そういう心配があるってのがな……」
「無事、かなったようで、なによりだよ。ちなみにわたしは『コトブキが友達といるところを見られますように』だったんだよねー。こっちもバッチリ実現したみたい」
「……つっても、それルール違反じゃね?」
俺とトワは、七夕の短冊に関して、あるルールを決めている。
それは、「願いは必ず誰かのためではなく自分のために書くこと」というものだ。
だが、どんなルールにも穴は存在する。
「セーフだってば……。『コトブキに友達ができますように』だったらアウトだけど、わたしが書いたのは、完全に、わたしの欲望による、自分勝手な気持ちだから」
「……じゃ、俺は今年の短冊、こうするわ。『トワが気持ちよく起きるところを来年も見られますように』……判定は?」
「わたしのためと見せかけて、私欲全開だね。はい、ゴーサイン」
姉は枕に左のほおをこすりつけ、柔らかく笑った……。
背中のなかばで折り返し、まとめられたトワの髪。それが、少しだけベッドに落ちる。
本来は、ふくらはぎにも届くほど長い髪……。
(だけど極端に長い髪を「不潔」と言う人もいるんだよな……。俺はきれいと思うが、なんか、そういうこと考えると、苦しくなる……)
七夕の短冊に願い事を書くのだって、よそから見れば幼稚かもしれない。
誰かが俺たちの日常をのぞいたら、「高校生にもなって、きょうだい同士ベタベタして気持ち悪い」という感想を持つかもしれない。
(まあ、好きとか嫌いとか、そんな気持ちになること自体は、どっちも悪いことじゃないんだろうけど……)
そして七夕まで、あと数日となったとき――。
俺とトワは、アルミラにプレゼントを贈った。
自分の部屋にアルミラを呼び、トワがプレゼントボックスを渡す。
「わたしたちの誕生日を祝ってくれたお返しに。でもアルミラちゃんの誕生日がわからなかったから、わたしが起きていられる、今のうちにね」
「余はプールに付き合っただけなんだが……いや、受け取ろう、ありがとう」
「ここで、あけてみて」
「どれどれ……」
カーテンやベッドなどを寒色系で統一したトワの部屋にて、アルミラがプレゼントボックスをあける。
立ったままドアに背を預けた体勢で、俺は彼女の様子を見つめていた……。