誕生日は七月七日
――そして今年の六月も、終わる。
(明暗の逆転した世界を元に戻すため、俺はアルミラに「さびしさ」を差し出さなければならなかった――はずだ)
にもかかわらず、彼女が満足するような、決定的な「さびしさ」を見つけられないでいる。
このまま、時間が過ぎるだけなのか――。
(しかし、それはそれとして……誤解がないよう伝えておかねーとな)
七月に入ってから、俺はアルミラを自室に呼び、次のように言った。
「……前にアルミラは、『七夕の日に明暗を戻す』と約束したよな」
「そうだが。……一日限定でな。貴様も約束どおり余を定期的にそばに呼んでくれているし、それについては、きちんと守るさ。今月の七日だったかな」
「あー、言い忘れていてすまないんだが、七夕といっても伝統的七夕のほうなんだ。俺とトワが二人で村に行って夜空を見るのは」
「つまり、日本の旧暦の七月七日か。具体的に、いつだ」
「毎年、違うんだ。今年は八月二十九日だったはず」
「結構ずれるのだな……わかった、そっちということで。ただし、今月七日のほうは元どおりにせんぞ」
「いいぜ、天気予報では雨ってことになってるしな……」
「ふむ、なるほど。現在のこよみだと梅雨明けしていない可能性もあるのか。確かに、『おりひめ』と『ひこぼし』が会うには不都合かもしれんな。……いや、宇宙で雨がふっているわけでもないから、そんな心配は不要であるなあ。ただ、二人の『おうせ』を見たいって話か……」
梅雨に重なる可能性が低いというのも、確かに伝統的七夕にこだわる理由だ。
しかし、それ以上に重要な理由がある。
七月七日が、俺たち双子の誕生日なのだ。
そのイベントと、七夕の日が一緒というのが、どうも受け入れられなかった。かといって、誕生日を動かすことはできない。だから七夕のほうをずらしたというわけだ。
――自室で高校の課題を進めながら、俺はセミの声を聞く……。
当然ながら、明暗が入れ替わった世界に適応しているのは人間だけではない。
ほとんどの動物・鳥・虫・魚が、すでに体内時計を更新し、明るい夜と暗い昼のなか、新たな生活を送っている。
セミにしても、おもに鳴くのは太陽のまだのぼっていない明るい時間帯である。
冷夏ということで数はいつもより少ない。また、一定数のセミは、あたりが真っ暗になっても音を出し続ける。ちょうど日陰になっている明るい場所で……。
そして七月七日。
高校から帰ってきたトワが、私服に着替えて俺にささやく。
「お兄ちゃん……ハッピーバースデー」
「姉さんこそ、誕生日おめでとう」
なお誕生日といっても、俺たちは互いに祝いの言葉を述べるだけで、かたちのあるプレゼントを贈り合わないと決めている。なんとなく、そっちのほうが満足できる。
そのあとで、トワが、にやっとする。
「コトブキ……アルミラちゃん、呼んだら?」
なんでと問い返す俺に、トワは口角を上げて、ふふっと笑う。
「だって弟に友達ができてお姉ちゃん、うれしいんだよ……」
「別にアルミラとは友達ってわけじゃねーし」
「わー、出たー。男の子ってそういうこと否定するよねっ。いじらしすぎるよ!」
「あー、もう。わかったから! 呼ぶから!」
確かに俺には友達がいない。生まれてこのかた、ひとりも、いない。
とくに友達がくだらないとか邪魔だとか必要ないとか思っているわけではない。そもそも友達を作るという発想が頭に湧かないだけだ……。
(ひとりだからさびしいのではないよ。別にひとりでもさびしくないのに、ひとりなのは不幸でさびしいことだと誰かに勝手に決められるのがさびしいのだよ)
アルミラの声が、脳裏にキーンと反響する。
といっても、姉が心配するのもわかる……。ひとりはさびしくないが、ひとりでいれば社会的に不利になる可能性が高い。
(ただ……アルミラは、ずっとずっと……味方が誰もいないなかで生きてきたんだろうか。そういや、同族が全滅したとか言ってたな)
同情する気はない。
それでもどこか、気になる。
「アルミラージュ・ムースクイーン!」
「なんだね」
名前を呼ばれた当人が、室内の光のなかから姿を現す。俺とトワのいる居間のゆかに、音もなく足をつける。
ブーツは、はいていない。はだしである。
なおアルミラは光に溶け込んでそのなかを自由に行き来できるわけだが……密室であろうが闇に囲まれていようが、光のある場所になら即座にワープ可能である。
(光を介したワープ――本当にファンタジーみたいだ。でも、これだって夢じゃない)
「おや……トワも一緒か」
さらりと彼女はつぶやき、窓を見る。小規模の雨がふっている。ここはマンションの四階。きらめく雨以外に、目立ったものは映っていない。
断続的に音が響く……。
ソファに座る俺の左隣に、アルミラの腰が下ろされる。左右の膝をくっつけて、左に少し倒す。そのさらに隣には、トワがいる。つまり現在のアルミラは、俺とトワに挟まれた格好である。
普通ならお茶の一杯でも出す場面だが、アルミラは飲食物を口にしない。彼女の口は、発声や呼吸のためにのみ存在する。
「……ほーう、十七年前のきょう、二人は地上に迷い込んだのか。謹んで祝福しよう」
――トワから誕生日のことを聞かされても、アルミラは冷たい表情で澄ましている。
「プレゼントに希望はあるか」
「元の世界」
「そこまで奮発できんよ、コトブキ。……トワのほうは、なにを所望する」
「アルミラちゃんって、八月二十九日に明暗を戻す予定なんだよね」
「ああ、コトブキと約束済みだ。毎年、二人で星空の『おうせ』をのぞくのだろう?」
「それなんだけど……戻さなくていいよ」
顔に驚きの色を浮かべるアルミラと俺に対し、トワが説明する。
「今までにない七夕が見たいから。闇のなかにちらばった光もいいけれど、明るい空に、こうこうと輝く暗闇たちも素敵だよね……」
「てっきり例年どおりの空じゃないと嫌かと思ってたけど、姉さんが、そっちがいいって言うなら俺もそれがいいな」
「余も、かまわんが……。その場合、とくに余がなにもしなかったことになり、プレゼントというかたちにならん気がする」
「じゃあ今度、一緒にプールに行くのは、どうかな。わたしの期末テストと、コトブキの課題が片付いてから」
「海とは別にか? ……余でよければ、おともする。ただしコトブキも来いよ」