今年は海で泳げるか
――土砂降りが続く。
夜の空いっぱいに雲が広がる。
今、道ばたで傘を差し、俺とアルミラは話している。
明暗が入れ替わってから体験する雨天は、けっして初めてではない。
「きのう、トワが余をさそってくれたよ。もし海開きが来て泳げるようになったら、一緒に海に行こうと。……そして余は、うなずいた」
「昔から姉さんは泳ぐのが好きなんだ。今年の海開きは……いつになるだろうな」
雲の分厚い重なりが、町に光を与えている。
数えきれない雨粒はキラキラと輝く。まぶしいシャワーがあたりに落ちる。車軸のような線の群れが、傘と地面をたたいてやまない。
足もとのアスファルトで音が跳ねる。ゴボゴボと鳴きながら、道の側溝が水を飲む。
もう、夜か昼かも区別がつかない。
「――ついに貴様も気づいたか。これから冷夏になることに」
「アルミラは世界の明るさと暗さを入れ替えた。……結果、北半球では夏至が『もっとも暗闇の多い日』と化した。順当に考えれば、その影響を受けた夏は、例年よりも寒くなる。……来年には、冬並みの気温になるという予測も出ている」
雨音にかき消されないよう、俺は大きめの声で、彼女の影へと言葉を投げる。
「先月や先々月は、大地や海に蓄えられていたエネルギーが最低限の春を用意してくれたようだが、それも、もう限界に近いだろう」
「まあな……余がやったことは、単なる明暗の逆転ではない。春夏秋冬の……総入れ替えでもある。四季に関しては、余はいずれの季節も好むのであるがな……しいて答えるなら、長い時間、明るいのがいい……」
まばゆいシャワーのなか、彼女はパラソルを差している。普段は暗闇を防ぐためにひらくものだが、雨傘としても使えるらしい。
段々に重なるパラソルの生地のあいだに、太い雨の群れが、たまっては流れていく。
「今年度は、冬に海開きとなるかもしれんな」
「……それをわかっていて、トワのさそいに応じたんじゃねーだろうな」
「承知しているのは……トワ本人もだ。コトブキ自身も了解しているであろう、あやつは無邪気だが愚かではない。ならば一年じゅうヒマな余が、友のさそいをことわる理はない」
雨の向こうでアルミラは胸を張り、あごを上げる。
目を細め、影を作り、瞳を光らせる。
「残酷だと思うか? 夏季にしか活動できない友達の事情を知ってなお、さらに夏の楽しみを奪おうとする余が許せんか? だが、おそらくトワは……一、二年後には、暑くなった冬に覚醒することになるだろうよ」
「気温が高くなったところで……」
「貴様の見立てでは、トワの体質と気温は関係ないんだったか。対して余は、トワが起きる条件として、『一定以上の昼……もとい夜の長さ』が必要だと思う」
「これからは、明るい時間が増える冬季にトワが活動するようになるって言いたいのか」
「余も明るいのは好きだからな……そして貴様の妹あるいは姉も、そうなんだろうて……」
「いや、アルミラ……ふざけんなよ」
さけびそうになるのをこらえつつ、俺はワインレッドの目に焦点を合わせる。
「ついこのあいだ知り合ったばかりなのに、なにトワの体や気持ちを理解したみたいな顔してんだ。四季の順番が変わったことで……その影響がまともに出始める来年からは……妹が二度と、目覚めないって可能性もあるんだ……!」
「そんなに世界を戻したいなら……余との交渉に、もっと精を出すのだな」
瞬間、彼女の肌の色と青い髪と黒い服装が、雨に溶けるみたいに消えていく。
「特大のさびしさを売ってくれよ」
……病院でリハビリを終えたあと、トワは学校での生活を始めた。
俺とは異なり、平日に毎日出席するタイプの高校に所属している。
小中学校のときは、六月下旬から、夏休みが開始されるまで期間限定で一つのクラスに入っていた。勉強したり、友達を作って遊んだりしていた。
高校でクラスに属する期間も、ほとんど同じ。
今年は、お盆休みが来るまで通学するようだ。
「ただいま、お兄ちゃん! きょう、学校で水泳の授業があってね」
大きなスクールバッグを肩にかけ、ブレザーの制服で帰宅したトワ。居間のソファでくつろいでいた俺の右隣に座り、身を乗り出すように話しかけてくる。
「みんなでタイムを競ったの! わたし、何位だったと思う?」
「……十位くらい?」
「八位!」
「へー、確かトワ、去年は十一位だったっけ。しっかり成長してるじゃん」
「ありがと……ちゃんと覚えてたんだ」
ちなみに、トワの通う高校のプールは屋内にあり、季候に関係なく泳げる。
ここでトワが身を低くして、上目づかいで目配せを送ってきた。なにを要求しているかは、わかっている。俺は、その黒髪につつまれた頭を静かになでた。
「姉さんは……頑張ってる」
「ちょっと……こういうときは、妹のままでいさせてよ……もう、悪い弟なんだから……」
肩をすくめ、紅潮させた顔に微笑を浮かべる。
「去年とは違うクラスだけど、自己紹介もうまくやれたし、友達もできたよ。あと七月の中旬あたりで期末テストがあるから、勉強も頑張る……」
それからトワは、あごをがくんと落とし、うつらうつらし始めた。
間もなく寝息を立て始めた。俺はトワをスクールバッグと一緒にかかえ、起こさないように部屋まで運んでベッドの上に寝かせた。
電気のスイッチを入れ、室内を暗くしたのちに居間に戻った。