元凶との接触
夜の光が紫色の朝焼けに溶けていく。
地平線から太陽が浮き上がる。すると次第に紫が失われ、空は黒へと染まっていく。
今や、昼こそが暗黒の世界。
幸い、きょうは曇天であるため、黒い太陽光も地上にはあまり届いていない。
かつて光であったものはすべて闇。
かつて闇であったものはすべて光。
おかげで世界は大混乱! ……かと思われたが、人々は意外にもその生活になじみつつある。
だが俺は、こんなメチャクチャな世界、絶対にみとめない。
すでに元凶はわかっている。
吸血鬼……いや、ヤツは血を吸わなくても生きていけるので、あえて「ヴァンパイア」と言っておこう。
「アルミラージュ・ムースクイーン!」
「余を呼んだか」
灰色のコンクリートの歩道……あるいは雲のかたどる光の底に、少女のかたちをしたモノが現れる。
深い海を思わせる青い髪。視界に映ったすべての存在を見下すような、ワインレッドの瞳。淡い紫を帯びた白い皮膚。幼い容貌とは裏腹に、冷たく大人びた表情を浮かべた人外。
身長は百六十センチ前後。身につけているものは、大きな金具のある首輪、ノースリーブのブラウス、手袋と一体となったアームカバー、膝丈よりも少し短いティアードスカート、厚底のニーハイブーツ。いずれも紫がかった黒である。
青い髪が胸部に垂れかかっている。その部分にできるはずの影はなく、光をうっすら、ためている。スカートの下も、やや明るい。
人らしからぬ妖艶さに圧倒されながらも、俺は抗議の視線を向ける。
「きょうこそ世界を戻してもらう」
「何度頼まれても、こればかりはな……」
彼女は俺よりもいささか背が低い。だが、その上目づかいは、まるでこちらを見下ろしているかのように冷たい。
ここでアルミラが、左のアームカバーをしゅるりと外す。
現れた白い中指をぴんと張る。明るい日陰の外に、僅かに伸びた爪を出す。
直後、暗闇に当たった先端が、一瞬にして灰になった。
「余は光を好む一方で暗闇に弱い。全身で闇を浴びると灰と化して死ぬ。だから世界の明暗を逆転させた。確かに太陽は暗くなるものの、傘を広げたり屋根の下に移動したりするだけで無料の光を確保できるのが大きすぎる。……これでも妥協しているほうなのだ。許せよ」
「闇で灰になるヴァンパイアなんか聞いたことないんだが」
「突然変異というやつだろうて。血を吸わないで生きられることも含めてな。世界はどうにかできても、自分の体は御しきれん」
ひとごとのようにつぶやきつつ、アルミラは右のアームカバーも腕から取った。左右のカバーを俺に預け、暗い日なたに爪の先端だけを出して、伸びた部分を削り始めた。
「以前は、夜でもずっとあかりをつけて乗りきっていた。が、最近、それが難しくなってしまったのだ。電気料金が値上げされてな」
「え、そんな世知辛い理由なの」
「わが財産もゼロに近づいているし、もう、いっそ世界ごと作り替えればラクだなと結論づけた。みなに迷惑をかけないよう自分のまわりだけを明るくするという案も考えたものの、そんな器用なことは、できなんだ。というわけで、パーッとな」
「じゃあパーッと元に戻せよ」
「ことわらせてもらう」
灰となった爪の先端をふっと吹いて、アルミラがにらむ。
「物理的に光と闇が逆転した世界、想像以上に心地よい」
冷たく、氷のような声。アイスを一気に食べたときに頭のなかがキーンとなる感覚に近い。そのなかに妙なあでやかさが溶けている。
彼女は俺の手からアームカバーを取り、両腕にはめなおす。
俺はカバーの袖口が作る明るい影を目に入れつつ、声のトーンを落とした。
「ほかのヴァンパイアは迷惑してるだろうぜ」
「心配は要らんよ。この世界の同族は余以外、とっくに全滅していたゆえ」
アルミラが右手でティアードスカートを揺らす。すると、そのなかから、やはり紫がかったパラソルが出てきた。それをつかみ、ゆっくりひらく。
そのパラソルは、彼女のティアードスカートのように何段も生地を重ねていた。
パラソルを左手に持ち、頭上に差した格好で、アルミラは「雲によってできた明るい日陰」から「直射日光(?)の当たる暗い日なた」へと足を踏み出す。ふりそそぐ闇をパラソルが防ぎ、彼女は明るい影に守られる。
このまま去ろうとするアルミラを俺は追おうとした。向こうは走っていない。それなのに、まったく追いつけない。
疲れてしまった俺は、膝を曲げて足もとの光を見た。そのコンクリートをさわると、温かい感触が伝わる。本来なら、涼しい影ができるはずの場所である。
「こんなの、ぜってー、ありえねーし、みとめねー。俺が、意地でも戻してやっからな……」