第8話 どうせやるなら、根こそぎな
任務は“護衛”のはずだった。
けれど彼は、自ら獣の巣へと足を踏み入れる。
やるなら徹底的に――それが流儀だ。
陽が傾き始めた頃、俺は輸送隊を早めに止めさせ、野営の準備に入らせた。
疲労や距離ではない。状況が、そうさせた。
荷馬車はいつも通り三台。圃矮人たちは慣れた動きで荷を降ろし、道具袋を開き始める。鍋や調味料、食器が整然と並べられていき、円を描くように配置された馬車の真ん中には、すでに三つの焚き火跡がある。そこに薪を重ね、火打石の火花がぱちりと飛ぶ。
焚き火の揺らぎに照らされた圃矮人たちの表情は、どこか落ち着きと緊張が入り混じっていた。
昨日よりも気配が違うのは、彼らなりに“察して”いるからだろう。
「グロー、火の番を頼む」
「任せとけ」
短いやり取りを交わして、俺はひとり森の奥へと入っていった。
森に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
湿り気と、発酵しかけた落ち葉の香り。鼻をくすぐるそれに、思わず息を吐く。
足元はふかふかと柔らかく、腐葉土が敷き詰められている。時おり小枝がパキ、と乾いた音を立てた。
陽はまだ完全には沈んでいないはずだが、この森ではすでに“夜”のような暗さだった。
音が――消えている。
鳥のさえずりも、虫の羽音も、風の通りも、すべてが不自然に静まり返っている。
まるで森そのものが、息を潜めているかのようだった。
俺は歩幅を狭くし、足音を極力殺す。
枯れ枝を避け、踏み込む角度を調整しながら歩く。
斥候の訓練ではない。経験則だ。
足元の土の柔らかさ。木々の配置。枝の重なり具合。
ここは“巣”の近くだ。狩場ではない。潜む場所だ。
ふと、記憶がよみがえる。
昔、辺境の黒い森で任務を受けたときのこと。
仲間の一人が、油断して焚き火の明かりを大きくしすぎた夜。
気付けば、音がすべて消えていた。そして――闇から矢が飛んできた。
あの時の感覚に、今のこの森は似ている。
俺は木の根元にしゃがみ込み、枝で地面に簡単な図を描く。
荷馬車の位置、風下の向き、死角の多い場所、音が通りにくい地形。
ここに巣食う奴らは、偶然じゃない。選んでここにいる。
昼間倒した矮鬼の数は、俺が五体、グローが五体。合わせて十体。
動きはある程度統率されていた。装備も粗末ではない。
弓を持ち、連携して動いた。あれは“偵察部隊”なんて甘いもんじゃない。
むしろ“迎撃用の狩人”だ。
つまり、まだ本隊がいる。
……それも、下手すれば百匹単位で。
正面から当たれば不利。
だが、俺たちはただの冒険者じゃない。
――俺は、一体を逃がした。
剣を抜けば殺せた。それでも、顎だけ砕いて生かして帰した。
理由は単純だ。
群れがいるなら、情報を返させれば、奴らの動きが読める。
逃げた奴はこう報告するだろう。
「仲間が、全滅した。しかも一瞬で」
奴らは、恐れる。だから、より多くで、確実に獲りに来ようとする。
それこそがチャンスだ。動きを制限され、焦った相手は――狩りやすい。
狩られる側じゃない。
こっちは、狩る側だ。
狩る側ってのはな――先に仕掛けるもんだ。
‡
野営地に戻ると、焚き火の光が温かく広がっていた。
薪がはぜる音。鍋から立ちのぼる香り。
圃矮人たちは静かに、しかし手を止めることなく食事の準備を進めていた。
グローは弩を膝に乗せたまま、俺をちらと見て頷く。言葉はないが、察している。
「……おかえりなさい」
ピュートが、焚き火の反対側から声をかけてくる。少し顔色が悪い。目の下には、わずかに隈ができていた。
「どうだったんですか……?」
「来るぞ、夜に」
俺の言葉に、ピュートはぐっと喉を鳴らし、黙り込む。
焚き火の光が、彼の手の震えをわずかに照らしていた。
「……昼間、逃がしたって、やっぱり……あれは……」
「ああ。情報を持たせた。わざと逃がした」
「どうして、そんな……!」
顔を引きつらせるピュート。だが、俺はゆっくりと腰を下ろし、火を見つめながら答える。
「警戒させたほうが、敵の動きは分かりやすくなる。群れで来るなら、狙い所も作りやすい」
「でも……危険じゃないですか!? 向こうは――」
「百匹くらい、いるだろうな」
「ひゃ……百!? そ、そんなの、無理ですよ!」
「普通ならな。だが、こっちは普通じゃねぇ。グローもいるし、俺もいる。それに――」
俺は焚き火の横に置かれていた、干してある腸詰に視線を移した。
「腸詰とコッフェの礼ってことでな。ついでに、全部片付けてやるさ」
ピュートは目を瞬かせ、言葉を失ったように俺を見つめた。
その目が、ほんの少しだけ――怯えから、信頼に変わったような気がした。
炎の揺らめきの向こうで、グローが小さく笑った。
なにが可笑しいのか知らないが、きっと俺の顔を見て察したのだろう。
俺は、今――間違いなく、ひどく邪悪な笑みを浮かべていた。
一気に戦闘モードへ突入です。
ただの移動・護衛任務では終わらない、この作品らしさが出てきたかなと思います。
ガルの判断力と「プロとしてのやり方」、見てやってください。