第65話 魂の在るところ・Ⅰ
自宅のベッドに横になっていた。
子ども達の件は――多分グローが片をつけた。エルウィンは俺を家へ送り届けると、その足で村へ。匿っていた連中の拘束だ。身柄は軍へ、以後は軍の裁量。はぁ……。
情けない。
矮鬼の幼体なら迷いなく斬ってきたのに、今回は駄目だった。忘れていた昔の自分が、どうしてあの子らと重なるのか。理由が出てこない自分が、いちばん情けない。
起き上がって紙巻煙草に火を点ける。肺に入れて、天井へ細く吐いたところでノック。咥えたままドアを開けると、セリファ。
「大丈夫?」
「まぁ……」
「これ。ご飯はちゃんと食べなさい。じゃあね」
白布のかかった籠を押しつけるように渡して、踵を返す。布の下から温いスープの匂い。胃がきしむ。籠をテーブルに置き、煙草を灰皿で揉み消して、もう一度ベッドに沈んだ。
いつの間にか眠っていた。
†
『魂世界』に降りていた。
音の抜けた空間に、俺ひとり。前に来た時より肌ざわりが悪い。ざらつきが喉に貼り付き、胸の裏で小さな警鐘が鳴る。
「またか……。ウラグはいるか」
歩き出す。戻り方は知らない。勝手に降りるのを止める術もない。歩くしかない。うんざりしながら進むうち、遠くでざわめき。そこだけ淡く光が滲む。近付くほどに嫌な圧が強くなる。引き返すべきだ――と思った瞬間には、もう遅かった。
「〇◆$@=▼#!」
意味を結ばない叫びが叩きつけられ、赤黒い“千の指”がどっと俺にまとわりついた。
形の定まらないそれが、腕、首、胸、眼窩の裏までずぶずぶと入り込む。脳の内側を粗い櫛で梳かれるみたいな、吐き気のする不快感が一気に膨らんだ。
「クソッ!」
うずくまる。怒り、悲しみ、恐怖、憎しみ――負の感情が直接流し込まれてくる。嘔吐を繰り返すのに、何も出ない。肺が熱く、息が詰まる。正気が削れる音がする。どうにかしろ、と思うのに、何もできない。
がくん、と身体が揺さぶられた。
「ガル!」
目を開ける。エルウィンだ。
視界が揺れ、匂いが押し寄せる。ここは……自宅。引き戻してもらったと理解した瞬間、鼻を刺す臭気に気づいた。
「俺……」
ベッドが嘔吐物で汚れている。俺も、エルウィンも。
「ガル!自分が何をやってるか分かってるの!?」
ぼやけていた視界が少しずつ澄む。エルウィンは泣いていた。けれど、頭はまだ追いつかない。
「むやみに『魂世界』へ降りないで!あのままだったら取り殺されてたわ!」
「どういうことだ……?降り方なんて、俺は……」
「はぁ……」
大きく息を吐いてから、声を落とす。
「いい? まず覚えるのは『魂』のコントロール。今日みたいに、恨みを抱えた魔術師が死んでいる時は、絶対に降りない。呼ばれて、引き込まれる」
「……今の、あの子達か」
「……そう。貴方は暗黒種族じゃない。闇の『魂世界』には降りるべきじゃないの」
「降りたくて降りてるわけじゃない……」
「分かってる。だから余計に、降りない術を身につける必要があるの。分かる?」
「……ああ」
「とにかく、横になって。今日は休む」
「……また降りるかもしれない」
「私が付いてる。大丈夫」
眠るのが怖い――いつ以来だ。大の大人が、ブルブル震えている。どうしようもなく情けない。
「……何故か、殺せなかった。今までは迷いなんてなかったのに」
「仕方ないわ。貴方、前より暗黒種族に近い存在になってる。その印のせいでね。同族だと、同情が湧く」
「このままじゃ廃業だ……」
自嘲が漏れる。ギルドの仕事の大半は暗黒種族絡み。斬れないなら、終わりだ。
「大丈夫。私がいる。任せて」
エルウィンが身を屈め、そっと口づけた。そのまま押し戻すように俺をベッドへ寝かせる。
「エルウィン……?」
こんな時に――と両肩を掴んで退けようとすると、彼女は人差し指を唇に当てた。
「こんな時に無駄口を叩くのは野暮よ」
もう一度、静かに唇が重なる。温度が喉を通り、心臓の拍が少し落ち着いた。




