第64話 理解と納得の違い
「二人とも、来て!」
洞の奥からエルウィンの声。
魔術師を片づけたにしては早すぎる。嫌な予感しかしない。
「何ぞあったのかの?」
「分からん。行くぞ」
口を屈めるほど狭い横穴が斜め下に落ちている。岩肌は汗ばんだ掌みたいにぬめり、肩と鞘が擦れて音を立てそうだ。三歩、四歩と腰で降り、横向きの通路へ抜けると――エルウィンが立っていた。弓は番えたまま、しかし引いてはいない。振り向きもせず、顎だけで前を示す。
「どうした、エルウィン」
「見て」
そこにいたのは、食人鬼が三人、黒醜人が二人。
五人とも、子どもだった。背丈に合わない黒ローブが床を引きずり、杖は身の丈の倍。持ち上げるたびに腕が小刻みに震える。顔だけは戦士のつもりで、膝は子どものまま。俺たちを見るとそろって肩がすくみ、杖の先がカチカチと岩を叩いた。
「どういうことだ……?」
犯人像が頭の中で音を立てて崩れる。老人の邪悪な術者、という都合のいい怪物はどこにもいない。
「床の魔素のむら、見える?」
エルウィンは低い声で淡々と言った。
「発動が何度も途切れてる。継続系の練習跡よ」
確かに、ここまで行方不明者は全員無傷で戻っている。外傷はなく、記憶だけが抉られていた。殺そうと思えば殺せたはずだ。なのに、しなかった。
「継続する魔術を使い続けることで、無理やり練度を上げるつもりだったんだと思う。だから死人が出てない。……練度だけは、子どもとは思えない」
なるほど。手っ取り早く強くなりたい、ということか。
問題は、ここからだ。
「どうする」
俺が問うと、エルウィンは矢を戻し、双短剣に持ち替えた。グローは顎髭を撫で、目を細める。
「この子等をどうにかせねば、行方不明と盗賊被害は止まらん」
「殺すしかなかろう。練度を上げるのは魔王軍のためだ。見逃せん」
正論だ。俺も頭では分かっている。
分かっているのに、目の前の“子ども”に刃を向ける手が動かない。
「ま、待て」
俺は二人の前に出て、しゃがみ込んだ。
「耳長人語は分かるか?」
「……す、こし」
小さな食人鬼が、おずおずと返す。声が揺れて杖も揺れた。
「ここで何をしてる」
「ぼくたち、偉大な魔術師になるため、練習……してる」
「偉大になって、どうする」
「戦う!魔王軍に入って、魔王さまのために働く!」
「魔王は死んだ。知ってるだろ」
「もうすぐ次の魔王さまが決まる! そしたら、また戦いが始まる!」
お気に入りの御伽噺でも語るみたいに、目がきらきらしている。
「無駄だぞ、ガル」
グローの声は乾いていた。
「殺す以外にない」
喉が詰まる。
“将来の危険性”という便利な言葉で、今この小さな首を刎ねるのか。頭では理解できても、腹が拒む。
「……動くな」
俺は縄を取り出し、五人の手首と腰を手早くつないでいく。
「ガル!?」
「何をしておる!」
「ガキ殺しなんざ、やりたくねぇ」
縄を締める俺に、二人が同時に詰め寄る。
「此奴らは小さいが魔術師だぞ!」
「手を縛っても魔術は発動できる。危険は減ってない、ガル」
分かってる。分かってるが――手が止まらない。
暗黒種族だからという理由で、子どもまで斬るのか。
「どこへ連れて行くつもりだ」
グローが前に立ちはだかる。
「どけ。……どこでもいいだろ」
「どこへ連れて行っても同じだ。別の土地で、同じ依頼が出るだけだ。今度は死人が出る」
「だからって子どもまで――」
「ガル」
エルウィンが名を呼んだ。振り向いた瞬間、
――パチン。岩肌で跳ねた音が遅れて耳に刺さる。頬が熱い。
「駄々こねないで。戦争だって、忘れたの?」
「……」
「ここで見逃せば、次は百人を率いて村を焼くかもしれない。千人の指揮官かもしれない。将軍にだってなる。潰せるときに潰す――鉄則よ。あなた、分かってるでしょう?」
分かっている。
矮鬼を根ごと叩くのと同じだ。芽を残せば、いずれ畑は荒れる。
それでも、目の前の小さな手足が視界に貼りついて離れない。
「……俺には、できない」
縄から手を離し、背を向けた。洞の口に向かって歩く。
背後でグローとエルウィンが一度だけ視線を交わした気配がする。小さな頷きのあと、足音は一つだけ俺を追った。
「ガル、戻ろう」
外の風は冷たく、胃の底に砂が溜まるみたいに重い。うつむいた俺に、エルウィンが寄り添う。
「分かってるんだ、頭では」
「うん」
「でも、できない。……情けない話だ」
「うん」
隠れて生き延びた昔の自分が、洞の子どもたちと重なる。あのとき、俺は強者が背を向けることを願っていた。今、背を向けているのは俺だ。
「本当に、殺すしかないのか」
「うん。……先に街へ戻ろう」
歩き出す。靴底に砂が鳴る。
俺は理解している。けれど、まだ納得していない――その二つを胸に入れたまま、街へ戻った。




