第56話 リハビリはトラウマになりかねない
ここから第一章四節の幕開けです。
しばらく療養していたガルが、ついに復帰に向けて動き出します。
リハビリ描写から、再びグローやエルウィンとの掛け合い、そして新たな依頼へ――。
軽妙さと不穏さが入り混じる節の始まりをお楽しみください。
深く息を吐く。
目の前に立てたのは、束ねた麦藁。
心を落ち着け、左手で鞘を握る。
まだ硬さが残る指先に、かすかな痺れが走った。
刃の方向が下に向くように鞘を半回転。
親指を鍔にかけ、柄に手を添える。
呼吸を整え、鯉口を切ると同時に抜刀。
――ザシュッ。
逆袈裟に斬り上げられた藁束が、ポトリと落ちた。
「はぁ……」
溜息が漏れる。
藁は確かに切れている。だが、それだけだ。
抜刀の速度は落ち、斬撃の重みも足りない。首を落とす一撃には届かないだろう。
「……まだまだだな」
三ヶ月近いブランクは、やはり重い。
それでも、ここまで戻せたのは上々か。
リハビリ中は、まさに死ぬ思いだった。二度とやりたくない。
刀を鞘に納め、藁を片付ける。
次は納屋から木製の人形を引き出し、二十メートルほど距離を取った。
左手に小剣を握り、狙うのは首と眉間。
振りかぶる瞬間、関節に残る痛みが軋む。
それでも腕を振り抜き、人形の額へと刃を投げ込む。
木に突き立つ乾いた音。
狙いは悪くない。けれど、指先の違和感は消えないままだった。
†
「手の調子はどうなの?ガル」
エールの入った樽ジョッキが目の前に置かれる。
声を掛けてきたのは、セリファだ。
「あぁ……。本調子とはいかねぇな。でも、だいぶ戻ってきた」
「ふーん。仕事にはいつ復帰するの?」
「簡単な討伐なら、もう行ける。そろそろだ」
「無茶しないでよ?」
穏やかな会話が続いたのも束の間。
「ガル!ちょっと聞いてよ!」
「いや、ワシが先じゃ!」
店の外から怒鳴り声。次の瞬間、ドアが乱暴に開いた。
「そうやって自分に都合よく話す気でしょ!」
「お主こそそうじゃろうが!」
「喧嘩するなら外でやれ……」
頭を抱える俺。
案の定、グローとエルウィンだ。依頼帰りに揃ってここへ来ては、毎度この調子で言い合いを始める。
「毎度毎度……飽きねぇな」
「この小娘がワシの邪魔をするからじゃ!」
「邪魔なのはそっちでしょ、このずんぐり!」
「やめろって。座れ。喧嘩するなら外だ」
渋々、二人は俺の両隣に腰を下ろした。
「で?今度は何だ?」
「この小娘がワシの獲物を横取りした!」
「横取りじゃないわ!背後を狙われてたから射てあげただけ!」
「背後くらい分かっとった!」
「絶対気づいてなかった!」
「気づいとったわ!」
「ウッソだー!感謝くらいしなさいよ!」
……しょうもなさすぎて、頭が痛い。
そこへセリファがワインとエールを運んできた。
「とりあえず飲んで落ち着きなさいよ」
二人はむっつりしながらも、同時に酒を煽る。
「で、依頼は無事に終わったんだな?」
「当然じゃ。あの程度、朝飯前よ」
「歯応えがなくてつまらなかったわ」
「なら問題ないだろ。依頼は冷静に片付けて報酬を貰えればそれでいい」
俺の言葉に、二人も少しは落ち着いたようだ。
「で、ガル。そろそろ復帰してもいい頃じゃろ?」
「難易度が高くなければな」
「なら次から一緒じゃな」
グローの顔が、どこか嬉しそうに見えた。
このオッサンにも、そんな可愛げがあるらしい。
「依頼は任せる。適当に選んでこい」
「実はもう見つけておる」
やっぱり。こいつ、最初から俺を連れ出すつもりだったな。
「次の依頼?」
身を乗り出すエルウィン。
グローが机に置いたのは、四人用の依頼票だった。
「おい、四人用じゃねぇか」
「私たち三人よ。数も数えられないの?」
「黙れ小娘!ワシとガルの実績で、三人でも受注が許されたんじゃ!」
ギルドがそんな判断を下すとは意外だった。
だが、四人用を三人でこなせば、報酬も大きい。
「……悪くないな。エルウィンを加えて正解だ」
「不本意ながら、の」
「何か言ったか?」
「別に」
言い合いを聞き流しながら、依頼票に目を通す。
内容は盗賊団の討伐。
南方街道沿いに出没しており、目撃数は六。
隠れ家を探りに行った冒険者は帰らず、すでに一週間が経っている。
――死んでいる可能性が高い。
だからこそ誰も新たに受注しないのだろう。
死体拾いは誰もやりたがらないし、ギルドが定めた適正人数でも全滅しているなら、依頼票に記されていない何かが潜んでいる可能性が高い。
「しかし……嫌な匂いがするな」
「何がじゃ?」
「五人組が帰らなかった。六人程度の盗賊で崩れる人数じゃない」
「心配性だの。どうにかなるわい」
ガハハと笑うグロー。
だが俺の胸の奥に、重い違和感だけが残った。
お読みいただきありがとうございました。
今回はガルのリハビリを描きつつ、久々にグロー&エルウィンの掛け合いが戻ってきました。
依頼内容は単なる盗賊討伐に見えますが……果たしてそれだけで済むのか。
次回から本格的に四節の依頼編へ突入します。引き続きよろしくお願いします。




