第52話 厄介事を持ち込まないでくれ
ステーキとエールに舌鼓を打つ――はずが。
現れたのは、かつて眠れる美女だった古代耳長人・エルウィン。
「養って」「仲間にして」……頼まれてもいないのに厄介事が雪崩れ込んできます。
「それで、この人は誰なの?」
セリファが床掃除をしながら俺に問いかけてきた。
俺とグローは、大将が焼いてくれた分厚いステーキを頬張っていた。
皿に残った肉汁をパンで拭って口に放り込み、エールで流し込む。旨いが、今は脇役だ。今日の主役はどう考えても目の前の美女だ。
「あ?あぁ、エルウィンだ。ほらこの間、矮鬼の部隊を殲滅した時に見つけた穴の先にいた眠れる美女」
「この人が!?」
「改めまして、私はエルウィン。ガルに助けられた古代耳長人の唯一の生き残りです」
俺とグローは思わず箸……いや、フォークを止めた。
流暢な現代耳長人語が、すらすらと。
「お主!喋れるようになったのか!?」
「スゲーな!あれからまだ3ヶ月も経ってねぇだろ!」
「研究所で翻訳を手伝っていたら自然と覚えちゃったの。現代耳長人語って簡単ね」
「ガハハ!古代語の方がよほど難しいからのぉ!」
……まさか、こんなに早くペラペラになるとは。
「祝いだな!セリファ、エルウィンにもエールを!代金は俺が出す!」
セリファは「またか」と呆れ顔で溜息を吐きつつ、厨房へ向かった。
やがて運ばれてきた大ジョッキ。
泡がこんもりと盛られた琥珀色の液体が、灯りを受けて黄金に輝く。
「これが、エール……」
エルウィンは両手で抱えるようにジョッキを持ち上げ、慎重に鼻を近づける。
「……フルーツみたいな香り」
「そうだ。この辺りで作られるエールはフルーティーで少し甘め。飲みごたえも軽いから初心者向けだ」
「南は苦味、北は焦がし麦で黒い、あとは西のハーブ入りか。まぁ、飲んでみりゃ早い」
俺が促すと、エルウィンは恐る恐る口をつけ――。
「っ!?!?」
目を白黒させた後、ごくりと喉を通し、ぱっと顔を上げる。
「な、何これ!甘いのに奥に苦みが隠れてる……不思議な味!でも、美味しい!」
「だろ?」
「体が熱くなる……!」
「ガハハ!それが酒じゃ!」
俺もぐいっとあおる。泡の切れと甘苦い余韻が舌に残り、喉を通るたびに腹の底からじんわり熱が広がる。……やっぱり、エールは最高だ。
†
「で、本題だ。なんでわざわざこの街まで?」
夜。大将の店は常連で賑わい、隣ではグローがジョッキを抱えたまま寝息を立てている。
向かいのエルウィンはほんのり桜色の頬をして、葡萄酒の水割りをちびちびやっていた。
「もちろん、ガルに会いに来たのよ」
「俺に?……いや待て、王都での仕事はどうした」
「辞めた」
「……ふーん」
チーズをかじりながら、思わず生返事を返す。……いや、今辞めたって言ったか?
「はぁ!?研究所を辞めたのか!?」
「ええ。必要とされなくなったから」
エルウィンの説明は簡潔だった。
古代文字の解読は既に大半が終わっていて、彼女が思い出せる記憶もすぐに底を突いた。結局「使えない」と判断されたらしい。
「1ヶ月もしないうちに、私が出せる情報も尽きて。居場所がなくなっちゃったの」
あっけらかんと言うが……胸の奥は不安でいっぱいだったに違いない。
頼れる相手もいない現代、最後の居場所だった研究所からも弾き出されたのだから。
「まぁ、事情は分かった。とりあえず王都に戻って退所の手続きでも――」
「もう済ませたわ」
「は?」
「だから、私はもう研究所を退所してるの」
……つまり、今のエルウィンは完全に無職。
「ちょっと待て、じゃあ本気で俺を頼りに来たのか!?」
「そうよ?何かおかしい?」
「はぁ……」
豪胆なのか無鉄砲なのか……頭が痛ぇ。
「どうやって生きていく気なんだ」
「だから、ガルに養ってもらおうと」
「それはどういう意味だ……」
その時――。
「結婚するって意味以外にないだろ」
隣でむくりと起き上がったグローが、爆弾を投げ込んできた。
「お前、寝てたんじゃねぇのかよ!」
「今起きた。エールもう1杯!」
「まだ飲むのか……」
「それより、良いではないか、結婚すれば」
「飛躍し過ぎだ!」
「結婚かぁ、それもいいわね」
「よくねぇ!」
「何?私じゃ不満なの?」
エルウィンがにじり寄って来る。
間近で見ると、その美しさは息を呑むほどだ。透き通る肌、柔らかな光を帯びる髪。まるで宗教画の天使。
「……ちょっと待て、それ《《も》》ってどういう意味だ?」
「私も冒険者になりたいの!」
満面の笑顔。
「は?」
「ガハハ!」
「私をガルの仲間に入れて!」
エルウィンはキラキラと瞳を輝かせ、グローは酒を煽りながら大笑い。
俺はもう、頭を抱えるしかなかった。
エルウィン、研究所を飛び出してガルの元へ。
可愛いかと思えば大胆、酔えば爆弾発言……セリファの視線も刺さり、ガルの胃はもう限界寸前。
果たして“仲間入り”は認められるのか、それともただの嵐の予兆か――?




