第33話 終わりってのはあっけないもんだ
巨体の指揮官――オーガ、ウラグ。
最後の希望に賭けて坑道を抜けたその先にあったのは、予期せぬ包囲。
全てを理解したその目に残っていたのは、怒りではなく――空虚だった。
「忌々しい王国軍め……! 姑息な手ばかり使いおって……!」
天井を擦るような巨躯が怒声を吐く。
――食人鬼、千人長・ウラグ。
その右肩には深く矢が刺さっており、彼の黒い指の隙間から紫色の血が垂れていた。
「千人長!この坑道の先は街道に通じております!まずは退避を!再起の機会はまだ……!」
付き従う黒醜人の兵が、息を切らしながら叫ぶ。
そうだ――逃げねば。
ここで討ち死にしては、ようやく掴んだ将官への道が潰える。
彼ら魔王軍残党にとって、栄達はただひとつの救いだった。
「クソ共がぁあああ!」
ウラグは膨れ上がる怒りを拳に込め、坑道の岩壁を一撃で砕いた。
岩片が飛び、部下たちがたじろぐ。
それでも、その先にある“異変”には気づくのが遅れた。
「何だ、あれは……!?」
坑道の出口が、狗鬼の群れで埋め尽くされていた。
群れは外に向かって押し寄せようとしているが、押し返す力に潰され、積み上げられ、血と毒の臭気が淀んでいた。
「回り込まれたのか……?」
一瞬、場が凍りつく。
先程まで戦っていた王国軍は、こちらと真正面からぶつかっていたはず。
どうやって、もう一手を回した?
まさか……。
「どけぇぇぇぇえええっ!!」
怒り任せにウラグが突進し、狗鬼どもを薙ぎ払って外へ飛び出す。
その目に映った光景が、すべての問いに答えた。
†
「出た! 指揮官か!」
砦の上で俺――ガルは叫んだ。
異形の双斧を構えた巨体が、広場へと躍り出る。
が、その足はすぐに止まった。
砦の上から照準を定める無数の弓、毒矢のきらめき。
奴はすでに、包囲されている状況を理解したのだ。
そして、それと同時に戦意を喪失した。
「指揮官は捕縛、抵抗する者は斬り捨てろ」
サリィンの声が、凛と響く。
王国軍の兵が広場に降り、矢を構えた冒険者の支援のもと、的確に拘束を開始する。
逃げ出そうとした者、逆上して突っ込んだ者――全てが砦の上から狙撃され、その場に沈んだ。
「クダラナイ、王国ノ罠……!」
食人鬼が、低くうめくように耳長人語を発した。
その声に反応し、サリィンがゆっくりと彼に近づく。
「名は?」
「……千人長、ウラグ」
「質問に答えろ。お前たちはこの鉱山を拠点に、廃墟を要塞化しようとしていたな?」
「魔王軍……窮地……兵、要ル……」
「狗鬼が村を襲っていたことは知っていたか?」
「ムラヲ……?」
「知らなかったのか……。お前の敗因はそれだ。自軍を御せなかった。貴様に指揮官の器はない」
「ドウイウ……コトダ……?」
「我々は東方司令部所属の部隊だ。お前が戦っていたのは中央司令部の直轄部隊。連携などしていない、それぞれの思惑がたまたま重なっただけの話だ」
「……武運が……無かった、ノカ……」
「違う」
サリィンの声は厳しかった。
その目に、かつての迷いや恐れはもう無かった。
「お前は、器ではなかった。もし狗鬼どもが村で暴れなければ、我々は今日、ここにいなかった。貴様は逃げおおせた。それだけの話だ」
「斥候……貴様ノ……者、ナノカ……奴ラノ者……デハ……ナカッタ……カ……」
ウラグの膝が崩れた。
その口元に浮かぶのは、歪な笑みにすら見える諦念だった。
†
「これにて、敵軍の抵抗は完全に潰えた!」
サリィンは砦に上がり、冒険者たちに向かって深く頭を下げた。
「ご協力、誠にありがとうございました!」
どっと歓声が上がる。
砦に詰めた冒険者たちが、仲間の健闘をたたえ合いながら拍手を送る。
「指揮官とその部下を捕縛できました。皆様のお力なくしては成し得ませんでした!」
「……それで、報酬は?」
どこからともなく、ぼそりと現実的な声が響く。
笑いが広がった。
「報酬はギルドを通じ、責任をもってお渡しします。なるべく早くお届けできるよう手配致します!」
その言葉に、さらにどよめきが湧いた。
「サリィン!お主は早く捕虜を連れて発て!中央の連中が余計な口出しをする前にな!」
グローがにやりと笑い、声をかける。
サリィンはうなずき、捕虜たちの移送準備を進める。
ウラグ以下、指揮官格の十一名が先に東方司令部へ送られることになった。
†
「なぁ、グロー。捕虜って、その後どうなるんだ?」
「九割は処刑じゃ。残りの一割のうち、七分が獄死。三分が登用される」
「登用? 魔王軍の兵をか?」
「情報収集や間者として使える奴もおる。王国とて、手段は選ばん」
風が吹く。
血と毒のにおいが、風に混じる。
俺はポケットから紙巻煙草を取り出し、火を点けた。
燃える先端をじっと見つめながら、ひとつ、深く息を吐いた。
「……今回は、何の役にも立たなかったな」
指揮官として登場したウラグの最期は、驚くほど静かで、あっけないものでした。
魔王軍のために兵力をかき集め、任を全うしようとした彼は、実のところ誠実な軍人だったのかもしれません。
包囲を悟った瞬間、潔く戦意を捨て、縄についた姿には、どこか主君のために腹を切る侍のような覚悟を重ねています。




