第26話 やはり簡単ではない
奥へ進むにつれ、漂う異様な気配。
そして、グローが感知した“規格外”の存在とは――?
「ガル、これはいかんぞ……」
あの穴から、すでにかなりの距離を進んできたはずだった。
しかし、突如としてグローの足が止まり、険しい表情で振り返る。
「なんだ?」
「すぐに戻ってギルドに連絡しろ!これはワシらの手に負えん!」
ただならぬ声色に、俺は即座に気を引き締めた。
「どういう事だよ?」
「この先、五百メートルほど行ったところに開けた空間がある。その奥に……複数の気配。しかも大物が混じっておる……」
グローの額には汗が滲み、手がわずかに震えていた。
戦場を何度も潜り抜けた彼が、ここまで緊張しているのは本当に久しぶりだ。
「大物……」
「黒醜人などではない。もっと、遥かに大きく……そして強い……」
この言葉だけで、全身が粟立つ。
「……分かった」
俺はグローの肩に手をかけ、前へ出た。
「何をしておる!」
「ギルドへの連絡はグローがしてくれ。俺はその“大物”の正体を探る」
「馬鹿を言うな!ここは坑道だぞ!お主よりワシの方が適任だ!一度でも迷えば、二度と出られんのだぞ!」
「声を抑えろ、気付かれる。敵の“数”と“質”を確認するだけだ。道も覚えている」
「だが……」
「お前が敵を感知した。ならば、その脅威を正確にギルドに伝えられるのはお前だけだ。俺にはまだ実感がない。二段階で情報を送る方が、被害も減る」
グローは何か言いたげに口を開きかけたが、結局何も言わず、静かに頷いた。
「無理はするなよ、ガル。来た道を、そのまま戻れよ……」
そう言って、グローが腰のポーチから何かを取り出して俺に差し出す。
「……これは?」
「地の精霊の加護を受けたお守りだ。持っていけ」
「やけに殊勝だな、グロー。らしくないぞ?」
笑おうとした瞬間、その口を一喝が塞いだ。
「馬鹿者!土中を舐めるな!鉱矮人だろうが、土には勝てんのだ!ましてや魔王軍が絡んでいるとなれば、いつ足元を掬われるか……気を抜いたら死ぬぞ!」
初めてだ。グローに怒鳴られた。
それだけ今の状況が“異常”なのだと痛感する。
俺は真面目な表情でお守りを受け取り、胸元にしまった。
「分かった。偵察だけだ。戦闘は避ける。すぐに戻る」
「……待っておるぞ」
その言葉を最後に、グローは踵を返して駆け出していった。
俺は一人、坑道の闇へ向き直る。
「さて、何が出てくるか……」
ぬかるむ地面に足音を殺し、俺は通路を進む。
狗鬼の生態は、単純な夜行性や昼行性に収まらない。
このような坑道に巣を作り、基本的には外には出ない。
群れごとに活動時間が異なり、役所で得た資料によれば、この坑道の群れは深夜に眠りにつき、昼過ぎから夕方に活動を始める傾向がある。
今は朝。眠っている可能性が高い。
足を進めるにつれて、空気がじっとりと重くなっていく。
湿気と獣臭、時折混じる鉄錆のような匂い。
「……ここか」
グローの言葉通り、通路の先は広間のように開けていた。
およそ二十メートル四方の空間に、縦横無尽に組まれた足場。その足元を蝋燭の炎が照らし出し、ゆらゆらと怪しく揺れている。
岩壁には粗雑な装飾や落書き、乾いた血痕らしきものまで散見された。
俺は気配を殺し、慎重に内部へと潜入する。
狗鬼の数は予想よりも多い。視認できるだけでも二十体は下らない。
しかも、ただの休憩所ではない。
壁の一部には木製のドアが三枚設けられていた。
一枚は開け放たれ、中にはツルハシやシャベルなど採掘用の道具が乱雑に置かれていた。
次の一枚に近付き、静かに開ける。
中には黒醜人が一体、眠っていた。
その傍らには、先日バズグルが纏っていたのと酷似した鎧が。
「やはり、魔王軍か……」
声を出さず、ゆっくりと扉を閉じる。
最後の一枚に向かおうとした時、ぬかるんだ地面に異常な痕跡を見つけた。
狗鬼や黒醜人の足跡に混じり、明らかに巨大な足跡。
「これは……サイクロプス……!」
単眼鬼。
全長三メートル超、凶暴かつ高い知性を持つ一つ目の巨人。
魔法は使えないが、純粋な力による攻撃力は冒険者ギルドでも最警戒の対象。
熟練者四人以上での討伐が必須とされる。
それが、ここにいる。
しかも魔王軍の一員として。
「……チッ、状況は分かった。だが規模がまだ掴めん」
俺は危険を承知で、さらに奥の通路へ足を踏み入れた。
するとその瞬間、背筋が凍る。
殺気。
とてつもない殺意が、背後から突き刺さる。
咄嗟に身をひねり、左へ転がる。
次の瞬間、俺がいた場所を、二・五メートルはあろうかという巨大な槍が突き抜けた。
矢のような速さで飛んできたそれは、壁面に何度も跳ね返りながら、火花を撒き散らして通路の奥へ消えていった。
「……万事休す、か」
音の方を振り返る。
そこに立っていたのは、黒鉄の甲冑を纏った、あの怪物だった。
単眼、巨躯、そして圧倒的な威圧感。
間違いない。
単眼鬼だ。
明確に“危険”が立ち現れる回です。
グローの戦士としての直感、そしてそれを信じるガルの判断。
ふたりの信頼関係にも注目していただければ嬉しいです。




