第22話 俺だってイラつく事はある
捨てたはずの名前、忘れたかった記憶。
だが、過去はいつも“今”に追いついてくる。
――フェイ様。
真夜中、眠る俺に遠慮がちな声が届いた。
フェイ──かつて俺が捨てた名。その名で呼ぶのは、昔から厄介事を持ってくる男に決まっていた。
「……パオか。夢枕に立つには、ちょっと面が悪すぎるぞ」
まぶたすら開けずに応じると、気配だけがそっと空気を揺らした。姿は見えない。だが、確かに奴はそこにいる。
「お休みのところ、申し訳ございません」
低く伏した声。昔から、そういう物腰だけは律儀な男だった。
「できれば、二度と聞きたくなかったぞ。お前の声は」
「重ねて、お詫び申し上げます。ただ……今回ばかりは、伝えずにおれませんでした」
「手短にしろ」
「……組織内に、大きな動きがあります」
「よくある話だろ」
「いえ、今回は規模が違います。……フェイ様の御身にも、影響が及ぶ可能性が」
フェイ。その名を口にされると、眉間が勝手にひくついた。
「……俺はもう関係ない。名前も捨てた」
「承知しております。それでも……ご警戒を」
「やるなら、そっちで後始末をつけろ。ファンにそう伝えろ」
沈黙。しばしの後、パオの気配が、風のように消えていった。
俺は舌打ちして、ベッドから身を起こす。
棚の上の紙巻煙草を引き抜き、火を点けた。
煙がのどを焼いた。嫌な夜だった。
†
「よう、ガル!……なんだ、そのツラ。機嫌悪そうだの」
いつもの酒場で一人エールを飲んでいる俺に、グローが陽気な声をかけてきた。
「……ああ。ちょっとな」
答えながら、煙草を灰皿に乱暴に押し潰す。
妙に湿った夜の気配を、まだ引きずっていた。
「珍しいのう、お前さんが不機嫌とは。前の女にでもすっぽかされたか?」
「女の方がまだマシだ」
新しい煙草に火を点けると、グローはにやつきながら隣に腰を下ろした。
「まあええ、それより、面白そうな依頼を見つけたぞい」
ぽんと差し出された紙には、見慣れた印が押されていた。
「……狗鬼、か」
依頼内容に目を走らせる。街からそう遠くない村が、最近になって狗鬼の被害に遭っているらしい。
目撃数は3~5匹。だが、実際の群れはもっと大きいはずだ。
狗鬼――犬のような顔をした、小柄な種族。
鉱山近くに住みつき、粗悪な金属を加工しては、剣や斧に仕立てる。
知性は低いが、繁殖力は高く、放置すればあっという間に増える厄介な連中だ。
「矮鬼といい、狗鬼といい……最近、小物ばかりだな」
「仕方ないだろ。ほかはみな、四人以上のパーティ限定依頼ばかりじゃ」
言われてみれば確かに。俺たちはふたり組、受けられる仕事も限られている。
「……仲間を増やすのも、そろそろ考えるべきか」
「腕の立つ奴じゃなけりゃ、足手まといになるだけだがの」
「だから、お前の基準が高すぎるんだって」
「数合わせなら、いない方がマシだと言っとるだけじゃよ」
言っていることは尤もだ。四人依頼は難度が跳ね上がる分、力量が必要になる。
素人を連れて行っても、重荷になるだけだ。
「まあ、使える奴がいれば、声はかけるさ」
「いればな」
グローが嫌味っぽく繰り返す。
俺は煙を吐いて話を戻した。
「で?この依頼のどこが面白そうなんだ?」
「殴り合いができそうだからじゃ」
「……馬鹿なのか、お前」
思わず頭を抱えた。
「たまには暴れたくなるじゃろ?」
グローは楽しげにエールを飲む。まったく理解不能だ。
疲れるだけだろうに。
「狗鬼はな、ワシら鉱矮人にとっちゃ害虫みたいなもんじゃ。駆除ついでに暴れて何が悪い!」
ガハハと笑うその顔に、どうにも文句を言う気も失せた。
「3~5匹か……なら、群れは10匹前後か」
「そのくらいじゃな。依頼は二日前。まだ増えてはおるまい」
「前回の件もある。魔王軍の残党の可能性も、捨てきれんな」
「念のため、警戒はしておくべきじゃ」
「地図を調達しておいてくれ。村の周囲が分かるやつだ。出発は明日だ」
「任せておけ」
グローは勢いよく立ち上がると、酒場を後にした。
……会計もせずに。
「おい……」
「グローって、いつも飲み代払わないの?」
セリファが、飲み干されたジョッキを片付けながら聞いてくる。
「払わないだけだ」
「お金は持ってるんでしょ?」
「当たり前だ!報酬はちゃんと折半してる!」
俺はジョッキを乱暴にテーブルに叩きつけた。泡が跳ねる。
「わ、私に当たらないでよー」
「なんで俺ばっかり払わなきゃならねぇんだ!」
「……珍しいわね。そんなに荒れてるガル、見たことない」
セリファは少し距離を取りながら、テーブルを拭いている。
この程度でビビるなと言いたい。
「セリファ!」
「な、なによ?」
「今日は俺に付き合え」
「はぁ!?」
「大将! セリファ借りるぞ!」
厨房から顔を出した大将は、意外なほどあっさりと頷いた。
「いいぞ。今から貸切だ。セリファ、表締めろ」
「ちょ、ちょっと!まだ夕方よ!?」
「セリファ、ちょっと来い」
大将がセリファを呼びつける。
「何ですか……?」
「ガルが荒れてるのは珍しい。好きにさせてやれ」
セリファはため息をつきながら、店の戸を閉めに向かった。
「……ほんと、自分勝手なんだから。……何があったてのよ……」
新章開幕、二節スタートです。
冒頭からガルの過去に少し踏み込んでみました。
“フェイ”とは誰なのか――物語の縦軸にも関わってくる重要な要素です。




