第14話 泣きたい時は泣いた方がいい
千年の眠りから覚めたエルフは、失った時の重さを知る。
そして、言葉の通じないまま、彼女は涙を流す。
「待て待て!落ち着け!」
俺は両手を前に出し、長弓を引いている女を宥めようとした。
「お主が至らん事をするからだ!」
「俺のせいかよ!」
「他に考えられんだろうが!」
グローは双斧を地面に投げ捨て、両手を上げる。
俺も腰の刀を床に落とす。
「敵じゃない!だから落ち着け!」
女は俺たちと落とした武器を交互に見て、やがてゆっくりと弓を下ろした。
「はぁ……」
「ありゃ、明らかにガルを狙っておったぞい」
「ああ、完全に眉間ど真ん中だったな……」
遅れて冷や汗がにじむ。生きた心地がしないとはこのことだ。
「して、お前さん、名前は?」
グローが話しかける。
女はしかめ面のまま口を開いた。
「○△%◎◆&×#□!」
「……はぁ?」
「……何じゃて?」
俺たちの反応に苛立ったのか、今度は少しゆっくりと大きな声で話す。
「○△%◎◆&×#□!!」
それでもやはり意味は分からなかった。
「ダメだ、まったく通じん……」
「もしかして、古代耳長人語か?」
「だとしたら、ワシには無理じゃ」
「俺もだな……」
ただ、どこかで聞いたような音の並びではあった。
「古い言い回しなら通じるかもしれん」
「なら、やってみるがよい」
俺は咳払いをしてから、普段なら絶対に使わない言い方で喋ってみた。
「某の名はガルと申す。其方、名は?」
「……いつの時代じゃ……」
グローが呆れた顔をする一方で、女は目を瞬かせていた。
「……ガル……?」
「そう!俺はガル!」
自分を指差して何度も言う。
「人間……ガル」
「おう、いいぞ」
女は次に、グローの方を見る。
「……鉱矮人……」
「そうそう、こいつはグロー」
「グロー……?」
「その通り」
女はゆっくりと頷いた。名前を覚えたようだ。
「俺がガル、こいつがグロー。で、あんたの名前は?」
女はふと胸元を見下ろす。
そこには、銀のアミュレットが輝いていた。
それを手に取り、じっと眺める。
「エルウィン……」
「ん?」
「わたし……は……エルウィン……」
思い出したというより、その場で名乗ったような言い方だった。
「片言だが、ワシらの言葉を真似しとる」
「頭は良いな」
「当然じゃ。古代耳長人の知性、今の耳長人の比じゃない」
「ピュートが戻る頃には、日常会話できそうだな」
と、その時。
「ぐぅう」と部屋に腹の音が響いた。
「腹の虫か?」
「俺じゃないぞ」
エルウィンの顔は、耳まで真っ赤だった。
「ははっ、千年も寝てたらそりゃ腹も減るわな」
「ピュートの腸詰、少し残っておる。温めてやるかの」
「礼拝堂、まだ死体まみれだけど大丈夫か?」
「武器が置かれておったのなら、あれは戦士じゃ。多少のことでは動じんじゃろ」
礼拝堂に戻ると、やはり血の臭いがきつい。
エルウィンは、表情を変えずに一体の矮鬼の死体へと歩み寄り、しゃがみ込んだ。
しばらく黙って見つめた後、顔を上げてこちらを見た。
「ガル、グロー、たおした、矮鬼」
「お、おう」
頷くと、エルウィンは静かにお辞儀をした。
仕草ひとつひとつが整っていて、見惚れてしまう。
「◎◆%〇$……」
またも分からぬ古い言葉だったが、礼を言っているのは分かった。
「仕事のついでだ。礼なんていらねえよ」
それでも、まっすぐな視線を向けられると、ちょっとだけ照れくさい。
その様子を見て、グローがにやにやと笑う。
「ふっ、意外と純情なんじゃなかろうの」
「うるせぇ……」
俺は視線を逸らして話題を変える。
「そういや、ピュートって、あとどれくらいで戻るんだ?」
「早馬なら、もうそろそろ戻るじゃろうな」
外へ出ると、太陽はすでに高い位置にあった。
どうやら神殿内で時間感覚が狂っていたらしい。
俺が空を見上げ、大きく伸びをしたその時――
エルウィンが俺とグローを押しのけ、膝をついて地面に崩れた。
声も出さず、ただ静かに泣いていた。
「……そうか」
グローがぽつりと呟く。
「たぶん、自分が千年以上眠っていたってこと、今ようやく実感したんじゃろうな」
「町の記憶は、多少なりとも残ってたんだな」
俺は迷いながらも、彼女の背中にそっと手を置いた。
肩は、小さく震えていた。
故郷をなくした悲しみは、俺には分からない。
でも――大事な何かを奪われた痛みなら、少しだけ分かる。
俺とグローは、エルウィンが泣き止むのを、黙って見守っていた。
ファンタジー世界で「言葉が通じない」という現実を、少しだけシリアスに描いてみました。
エルウィンという存在が、ガルやグローにどんな影響を与えていくのか。
ここから物語の色合いが少しずつ変わっていきます。