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第四幕 捕囚

 闇の地下牢はどこまで行っても、その暗がりを手放すことはなかった。

 ひんやりとした生物みたいな動く空気が、女の足下からくゆり昇りつつ絡み付いてくる。

 そのおぞましさは、まるで蛇のように。


 ──姫。彼女は、囚われていた。


 おそらく魔逐ルートの主道付近、街の屋敷である。姫は、自身が担ぎ込まれている際に目撃した。

 まるで一般家屋のような庶民の建物。そこへ運ばれた自分は、またさらに隠し階段みたいなところを突き落とされた。その悶絶している間に、堅牢な檻へと閉じ込められたこと。


 その地下──周りが石壁で出来た牢獄。


 気流は檻の柵から覗ける左側の、階段上から流れ込んでいるらしい。その質量のある、不気味な獣の唾液みたいな冷気が、王女の首筋をふわりと撫でる。

 と、感じる、ぞくぞくした本能的な恐怖。


「王女殿下の亡命を周知した我が国民は、混乱状態」


 と、にわかに男の声が聴こえた。

 カツカツと硬い靴の歩む音が、地下の石床に反響し、伝導する。その音と振動は徐々に大きくなるように、姫の方へと向かっている。

 姫は警戒する。身を屈め、武器となる道具を見渡し、手探る。……が、無い。


 暗闇の中では姫の他に生きるものも、また死んだものも、あらゆる物体さえない。死ぬ事すらできないような、黒の空間、石部屋。

 と、再び男の声。低く、静かにうねって姫の鼓膜へ。


「魔王の復活のうわさと相まった、その凶報。『王国が姫を優先的に安全地帯へ逃がした』。そう、人々の間で広まり、国内では擾乱が起こっている、と聞く」


 男はたどり着く。姫のいる牢屋へと。


 その姿は、異様。馬のようなのっぺりとした顎と、眼窩は低く窪んでいる。そこから覗く、如何にも不健康そうな蠟みたいな眼球が、ギョロリとこちらへ向けられている。


 体格は痩せている。骨はガッシリと堅牢そうな形をしているが、むしろそれと相まって、より恐ろしいような、人間の檻みたいな印象を与えていた。

 十年間籠もっていた姫よりも、陰湿で人間味がない。


 その不気味で冷酷な男は、姫を見下しつつ、再度口を開き始める。


「聞く、というのは、殿下がここにおられるからですな。自分はそれを見張らなくてはならない」


 男は柵の向こうから、こちらを覗き込む。その妙に高い、でも肉付きがない背を屈めて、ペコリとお辞儀でもするかのように。

 顔が近くなって、闇の中でも姫は気がついた。ハッとする。この人は、見たことがある。

 檻の向こう。檻そのものみたいな男。


 彼は国直属の兵団、国家守属隊の隊長その人だった。以前、父・国王の宮廷会議中に、二、三度内謁されたことがあったのだ。


「故に、出られませぬ……自分も、殿下も」


 男──隊長はそう締めた。


 部屋に窓はない。なのに、その男の方から生温い、獣みたいな空気の流れが起きたような感覚。それが姫の方へと対流し、彼女はぞっとしながら後ずさった。

 檻の中。姫のみの空間、それを飼育員みたいに見遣る男。


「……」


 姫は何も言わなかった。何も、言えなかったのである。恐怖に満身、硬直する。

 と、その様子を見て、ニヤリと笑う男。実に楽しんでいる、この状況を。姫が震えながら怯えている。


「と、言うのは冗談ですな。後ほど王国へ送還しますよ。何、心配しないで下され、殿下。今は一旦、幽閉しているだけです。アハハハハ」


 隊長は笑った。冗談、という下りで肩を竦めながら。


 この男! ……姫は切歯した。


 一旦、幽閉している。私は、今は猶予を与えられているに過ぎない。

 間もなく、王宮へと返還されるのだろう。身柄を拘束され、また先程の馬車みたいに。──



 姫はあの後、駕籠から馬車へと移された。激しく抵抗した為、その腕に縄を引っ掛けられつつ。

 だから現在彼女の両手首には、痛々しい縄痕がまざまざと残っている。



 ──それを撫ぜる姫の手つき。囚われの、哀れな一匹の姿。


「脱出しよう、などとは思わないことですな、殿下。既に噂は広まっています。下手にそこらを彷徨けば、その御身、刺されることは必定でしょう。……では」


 と、隊長は踵を返した。くるりと反転させ、何事もなかったかのように、来たときと同じに歩いて、暗闇の中へと消失した。


 暗闇──檻の中。

 姫だけが、そこに取り残されている。


 隊長が席を外したのは、おそらく、彼女を一人にする為だっただろう。しかしそれは、穏やかな思考の余地を与えるなどという親切的な行為でないのは、明らかだ。


 彼は王女に、孤独を与えた。片時も安まることはない、深い闇の地下牢に。放置し、その精神が衰弱する、その順々を経過させる為であろう。


 が、姫はそれには屈しない。彼女に独りの恐怖は通用しない。

 辺りで水の滴る音が聞こえる。それが石の壁や床に反響して、闇の空間に不気味な雰囲気を作り出していた。

 そんな不気味すらも、自分が過ごしてきた、あの十年と比べれば、大したことはなかった。


 十年。あたら若い時の流れを、その貴重な期間を、十年である。

 姫は閉じこもっていた。否──閉じ込められていた、と言った方が正しい。


 何に? ──魔王だ。


 あの、忌わしき婉麗な記憶。

 自分が犯されている間、眺めていた『彼』の記憶。

 その記憶は今でも、たしかに姫の懐へと収まっていた。


「よかった……これは気づかれなかったのね」


 姫は独りごちる。その胸元から、一つのブローチを取り出す。

 例のブローチだ。透き通るような翡翠色、木の葉の形をしている。

 偽の宝石……彼、兵士がくれた。


 思い出す。焚き火、燃えくゆる炎、反射する美しいきらめき。それを自分の胸に付けてくれた、少年みたいな微笑み。


 それがあったから、自分は生きてこれた。それさえ無ければ、魔王に身を穢された時点で、とっくに自害していただろう。

 生きる希望。殺された兵士。犯された自分。その、復讐。──


「噂、というのは、私が安全地帯に逃げた……という情報ね」


 再び虚空へと呟く。去り際に隊長が言っていた言葉。その意味。


 そんなことはないのに。むしろ、皮肉なことに、姫が亡命者となったのは魔逐ルートを歩むことにあり、それは安全地帯とは真逆の言葉であった。

 試練の道。死のルート。新生魔王が現れた今や、その道筋はただの道楽ではない。


「……」


 一人と、石壁と、闇の沈黙が訪れた。姫は少し眠くなる。捕縛されて、まともに寝ていなかったのだと。

 やがて、その瞼はだんだんと下ろされていく。恐ろしい牢獄の空間。その筈なのに、何故か心地よいような、懐かしいような感触を抱きつつ。


 そして、その手には彼にもらった嘘の宝石。


 十年間肌見放さず持っていて、今もずっと。

 ルートでも離さないと決めた、例の翡翠色の美しいブローチを握りしめながら。……





 ■■■





 王子は目覚めた。急激な疼痛に襲われ、その自らの後頭部を腕で確かめつつ。

 と、フラッシュバック。いきなり殴られたこと。それで、自分が今まで気絶していたこと。

 姫が、さらわれたこと。


「──ハッ」


 跳ね起きる、バネみたいに。動作が俊敏だ。辺りを警戒している。が、敵はもうこの場から去ったらしい虫と、猛禽の鳴き声。人の気配は、全く感知されない。


「姫様!」


 だから、叫んでも無駄である。彼女は捕らえられてしまった。その事の重大さは、今もなお流れ続ける時に加算されるように、膨らみゆく。


 事態は、かなり切迫している。もうどこかへと立ち寄る暇もない。直ぐにでも出発し、姫を助けなければいけない。


「……」


 と、しかし一瞬の思考停止をする王子荷物をまとめる手を停止させ、脳へとそのリソースを割き始める。


 ──何処へ?

 姫は、何処へと連れ去られた?


 深い自問を繰り返す。渓流が流れる音。辺りは真っ暗で、まだ深夜の温もりが蔓延っていた。

 それほど、時間は経っていない筈だ。地面を見る。石の礫だ。そこに、自分が殴られ、出た流血の跡が残っている。その赤い液体は石の隙間へと入り込み、数条の筋となって川へ、下流へと流れていた。


 ハッとし、自らの頭を手探る。再び、ズキッとした猛烈な痛みが訪れる。

 血は、生乾きだ。やはり気を失っていたのは、ほんの少しの時間であろう。

 ならば、姫を攫ったやつらも、それほど遠くへは行っていまい。


 王子は荷物をまとめる手を再開させる。おそらく、ここへはもう二度と来ない。

 これからもし姫を救うことができ、ルートを続行することがあったとしても、別のルートから迂回して行くこととなるだろう。

 ここは足が付いてしまった。別口でないと、危険だ。再び襲われてしまう。


 それに、選んだ道もかなり悪かった。追っ手のことをあまり考えずに、姫が通りやすく、比較的オーソドックスなルートを進んでしまったのだ。これは、痛恨のミス。


 彼女の意志を見たか? 夕飯前の、自らの胸の傷痕を、指し示した意志。

 元々、十年間閉じこもっていたようなお方である。その強情っぷりじゃあ、右に出るものはいない。


 意志は、意地は、頑なに示された。

 あとは王子が示し返すだけだ。


 と、荷物をまとめ終わった。自分の、姫を追う意思が本物なら、これはしなければいけないことだった。

 姫を救い出す、その次のことまで考える。これは、ひたすらに冷静沈着な王子にしか出来ないことであった。


 激情家の王女。その真逆、常に思考を保つ王子。

 彼は、走り出す。その速やかに冴え渡る脳の経路を手繰りながら。


 五感と、思考が彼を呼ぶ。空気の流れ、水の音、土の跡。

 姫を連れたのが、駕籠だった理由。ここは山だ。それも岩が多く、馬車など入り込むべくもない。


 一旦何処かで降ろすか? そして、馬車へと乗り換えらせる?


 ずっと駕籠では無いはずだ。王国までは遠く、また僅かに残る意識で男たちの人数を数えていたところ、そこまでの多数ではなかった。むしろ、少数精鋭だった。


 あの王女様のことだ、かなり抵抗があったに違いない。だから、できるだけ近道を通って、馬車へと乗せ、国まで運び出すのが最優先だろう。


 また、今は外が暗い。その身の安全を考えるなら、どこかで休ませるのも先決としたいところだ。


 ならば、だいぶルートは絞られてくる。王国への最短ルート。馬車が停められる開けた場所。そして、もし王国側が、姫を生存させて安全に管理しつつ護送、返還させたいならば、その拠点も。

 または、それら条件に近しい所。


 だいぶアバウトな情報だ。が、王子はしらみつぶしにでも、それを実行させなければならなかった。

 既に時は過ぎている。それも、姫がいなくなってから、刻一刻と。……





 ■■■





 何かの気配を察知しつつ、姫は目覚めた。

 風が吹いている。窓の無い筈の、暗晦の石の牢獄から。……


「……あ」


 姫は一瞬口を開く。が、また閉じた。

 自分は今、突拍子もないことを思い浮かべた。王子。彼の存在だ。


「──」


 何故だろう。彼が──王子が、来るわけがないのに。

 自分でもわからない、こんな場所。ルート沿いに、こんな街が、屋敷があったなんて。


 それに、この地下室。

 普通だったら、この一般家屋みたいな屋敷の地下にこんな立派な牢獄があるなんて。

 しかもそこに、姫──国家の上位の人間が閉じ込められているなんて、思いも寄らないだろう。


 こんな中途半端な、間借りしたみたいな庶民の建築物、そこに地下牢。……発想すら思いつかない。


「……」


 眠気は、いつの間にか冴え渡っていた。思考が巡る。いつもの激情家の彼女なら、こんなことはないのに。

 ただ、不思議と流れる空気が、巻き起こる人肌じみた風が、姫をそうさせた。としか、思えない。


 悩む姫。空気が上昇する気配。と、にわかに立ち上がる。

 突如、姫は檻の柵を蹴り始めた。すると響く轟音。金属の硬い、錆びた、揺らぎ軋むような音が、狭い空間に反響し、大音声となって姫の鼓膜へと届く。


 脱出を試み始めた。女は蹴り続ける。凄まじい、醜悪な衝突音が鳴り響く。が、なりふり構ってなどいられない。その華奢な白い足は血まみれになりながら、一種の武器みたいに、鋼の柵を複数回に渡り打撃する。


 が、柵は壊れない。先に、姫の足のほうが壊れた。


「──ッ」


 痛みにもがく王女。無理なことをしている。冷静な思考の中でも、やることはしっかり激情的な彼女である。

 うずくまる。その、折れたかもしれない、ボロボロで爪も剥がれた足を庇いながら。


 その痛みに、一瞬、生のしがらみがほどけた。自らの無力を悟った王女の脳裏。そこに、自害の一念が吹きこんだのである。


 責任と懊悩。人々の噂、自身の存在意義。

 王女としての役割。帰還を求める王国。

 それに応えられない自分。応えるつもりもない。

 それなのに、全くの無力。ルートを自力で歩めない。


 十年間。執着。想い人は消えた。その存在を、魂を。愚かしくも自分のものとして、勝手に生き長らえている私。

 魔逐ルートを征く。そう決めたのは、私。

 復讐を望むのも、私。征きたいのも、生きたいのも、果たしたいのも、死にたいのも。……


「ああ……」


 王女は、国への申し訳無さで一杯になっていた。

 十年間。無駄であったのか?

 私の十年──少女時代は、何だった?

 その間王国は、陽の下に出てこない自分を見て、どんな思いだっただろう。

 国王──父親の目。あの、自分の娘を見るでもない、あの目つき。

 そうさせたのも、自分。国の噂。亡命者。

 そう、思わせたのも自分。


 自分は、逃げたかっただけだ。あらゆることから目を逸らし。耳を塞きたかった、それだけ。

 全て、わがままであると。自分が穢されたのも、世界にとっては、よくある話で。

 嘆くより、投げるより、向き合うべきものがあった?

 王女として、娘として、少女として。


 何が希望? 何が国の為?

 純粋に、愛されて育てられて。

 慰められて、護られて、それでいて、何も返さない、自分。……


「……」


 姫を護った人。少年みたいな笑顔。

 優しい手つき。嘘の宝石。翡翠色の炎。


 王女は、ブローチを再度握り締める。丁寧な造りのそれは、女の手のひらの中で、軋むような悲鳴を上げる。

 美しい細工。木の葉のよう。綺麗な形。

 それらが、少しずつ、少しずつ、歪み始める。……





 ■■■





 こんな調子だと、助けられるのにも慣れてきて。

 自分を救うものは、いつだって傍にいてくれるものだと。

 私は、勘違い、してしまう。……





 ■■■





「大丈夫ですか、姫様」


「……あ」


 王子だ。助けに来た。

 檻の外側。柵を斬る、その剣で。

 あんなに王女が打撃した鋼の結界は、今、いとも容易く解放された。


 その剣には、滴る粘着質な赤い液体が溶け込んでいる。まるで一つのアートみたいに、美しくその切っ先は、暗闇の中で踊るように閃く。


 その血を布で速やかに拭う王子。もう用事は済んだかのように、元の鞘に納める。

 と、手を差し伸べる。姫へと。

 柵は、今や蹴っ飛ばさなくても、簡単に崩壊しそうな均衡だ。


 しかし、姫は動かない。否、動けない。


「……?」


 首を傾げる王子。と、女の足を見遣る。

 その顔は瞬間的に戦慄したが、冷静な彼は、傷の様子や周りの状況、柵の跡、姫の瞳から見受けて、察したようである。ものすごい洞察力だ。


「は、」


 と、溜息を吐いた王子。本当に呆れたような筋肉の緩み方だ。と、ガシャン、柵を蹴り破る。

 その乱暴な男の動作に、反射的にビクッと痙攣する姫。が、その手を握られ、にわかに身体が宙へ浮いたのを知覚し、驚く。

 王子が姫を背負ったのだ。その足の負傷に触れないよう、細心の注意を払いつつ。


「あの……ありがとう」


 姫は言った。が、背負われていて、彼女の目には黙する王子の後頭部しか見えない。

 その後頭部、髪の毛に、若干の赤い乾いた跡が付着しているのにも、軽く恐怖の声を上げた。


 しかし、次第に王子の歩む振動と、生物、人間の温もりと。

 外に出る、その満月の照明に包まれて、再び無防備にも、眠気が襲ってくる王女。

 彼女は疲れたのである。先程も気絶するように眠ったが、ほんの一瞬のことだ。


 もっとも、王子の方は、それよりもっと休息を取れていないのだけれど。


 子どものようにおぶられ、安心しきった王女は、次第に瞼を閉じた。

 その脳裏には、十年前、自分を助けて死んだ兵士の姿が描かれたが、やがて消えた。

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