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第一幕 少女だった純粋

「お父様、おねがい。ちょっと後ろから付いて行くだけよ……もう何十年も平和だし、私なら大丈夫だから。ね、ね?」





 ■■■





 屈強な男共の整列に、しかし一輪、花のような少女が紛れて、歩いている。

 男たちは時折、少女のために、そこの切り株で腰を下ろさせたり、近くの川から水を汲んできて、彼女に渡したりしている。

 だから、その列は、日中になっても、全然進まない様子であった。


 ──一行は、南東を目指す。


 樹海に入ったところで、集団は二手に分かれた。資源の調達をする最中だった。


「しかし、まさか王女様までいらっしゃるとは──」


 ぬかるみを慎重に踏み歩きながら、一人の男兵士が言った。


「これはこれは、とんだサプライズですな。いやはやなんとも」


「はい。──お父上が後学のために是非、と()()賛同してくださったもので。皆さまのお役に立てるよう、精一杯努めてまいりますので、よろしくお願いいたします」


 ぺこり、と律儀に立ち止まってお辞儀をする少女──歳は十五、六くらいだろうか。若い、あどけない姿だ。


「いえいえ、頭をお上げください。むしろ当方こそお力になれるかどうか──それに、王女様」


 兵士は畏れ多い、といったふうに、両手のひらを浮遊させる。こちらは四十か五十そこらの、少しくたびれた感じの男である。


「ここは『()()()()()』です。──伝統に倣って、あまりかしこまる必要はございません。ルートでは、両者平等がモットーですから」


「あら……そうでした、そうでした。──うふふ」


 首をやや左に傾け、たおやかに咲う。──その髪先を通り風が、いたずらのように揺り動かした。


 ああ、妖精のようだ──と、男は単純に、しかし至って真剣に感じ取った。

 十年に一度のルートに、自分が同行できて良かった。その上、わが国の次期女王最有力候補である王女様と、共にルートを歩めるなんて。……





 ■■■





 ──二百年前。


 魔王の出現、それにより活発化された魔族の反乱。


 敵味方数千万の死屍累々の上に、人類はついに魔王を斃し、反乱は沈静化された。


 が、依然生き残った魔族ははびこる。


 殖え続ける魔族を駆逐するべく、またそれらを監視するべく。


 十年に一度、国選出の猛者が派遣され、魔王城までの各地を巡行する。


 その道筋が──『魔逐ルート』。





 ■■■





 木漏れ日もだんだん闇色をしてきて、それが真っ暗になったとき、集団の歩みは止まった。

 男たちは周りから木の枝や枯葉などを持ってきて、うやうやしく少女の前に置くと、それに火をつけた。

 晩飯や、野宿の準備をしているのだ。王女もそれに加わりたがったが、可憐な少女は一日中の群行で疲労していたし、何よりテキパキした男たちの動きを邪魔するわけにはいかなかった。

 炎は身をうねるようにして舞い上がり、辺りを照らした。


「ありがとうございます。……あら」


 と、少女は火をおこしている男──先ほどの兵士だ──の胸に注目した。闇と、炎との間に、きらりと光るものがある。


 それは小さなブローチであった。

 きれいな翡翠色の、美しい、熱く目を引く、木の葉をモチーフとしたブローチ。


「ああ──これですか」


 と、兵士は言った。


「いや、ただの飾りですよ。私の故郷に伝わるお守りみたいなものです。……気に入られたのでしたら、よろしければ」


 胸からブローチを取り外し、差し出す。

 少女は内心で遠慮した。が、火に照らされた兵士の少年のような爽やかな笑顔を見ると、自動的に手が受け取っていた。

 少女は小さな妖精のように微笑むと、それを自分の胸へ持っていて、付けようとする。──が、上手く付けられない。


「貸して」


 兵士は積極的に手を伸ばすと、集中し、優しい指でそれを付けてあげる。そして、まるで手品師みたいな手つきでおどけてみせた。

 完成させると、少女はくすくすと音を出して笑った。





 ■■■





 宵闇の中、少女は目覚めた。なにやらきょろきょろと辺りを見渡している。


 一行はすべて眠りに落ちている。

 二、三人ばかり見張りの者がいたが、それらもふわふわとアクビをかいたり、こっくりこっくり、船を漕いだりしていた。

 闇の深い森にはそれだけで、あとは小さく猛禽や虫の鳴き声ばかりである。


 少女はこっそり集団を抜けた。それは、いつも王宮で愛されていたが、自由はなかった王女である彼女の、小さな楽しい冒険のつもりだった。


 夜の怪しい霧は彼女を期待させた。

 が、だんだん、孤独に飽きてきて、もうそろそろ戻ろうかな、と思った時。──


 ──ガサガサ、と不穏な茂みの音がした。

 少女は振り向く。


「あ……」


 魔族だ。

 いつの間にか少女は魔族に囲まれていた。

 少女はたじろく──満面、恐怖の様相。

 獰猛な敵はこちらへ襲いかかる。その人間でない俊敏さに、少女は逃げられない。

 哀れ、彼女の生命もこれまでか? ──


「────!」


 ガシャ、と彼女を防御する、勇ましい剣の音。──あの兵士だ!


「大丈夫ですか!」


 広い、荘厳な男の背中。

 彼は一瞬、案ずるように振り返ると、ホッとした顔で、すぐに反撃を開始した。その歳とは思えない勇敢な筋力で、跳躍、一閃、敵を薙ぐ。


 やがてこちらの仲間たちが駆けつけてきた。戦況は優勢だ。頼もしい彼らは強く、たちまちにして敵を殲滅していく。


「大丈夫ですか、姫様」


「ありがとう。──」


 小さき王女は安堵に柔らかく微笑む。

 振り返る、実に役得な兵士も、にこりと笑って、こちらへゆっくり歩み寄る。





 ■■■





 少女が、兵士の首が無くなったことに気づいたのは、彼女が彼の手を取ったときだった。

 いつそうなったのか、少女は呆然、男の血しぶきを浴びるように頭にかぶり、座り竦んでいる。


 顔が血化粧に真赤に染まると、その男だった肉塊の上半身は地面にどさりと落ちる。

 少女はそれを目で送る余裕すらなかった。ただ彼女の横をその肉がおこした空気が抜け、浴びた男の体液で粘着する髪がわずかに揺れ動いた。


「────」


 突如、霧闇に包まれた樹海に、鳥のような影が躍り出た。それが集団に迫りくると、次々と仲間たちを殲滅していく。


 薄い暗幕の中で、血と、男たちの悲痛で無力な叫び声が、混乱する。鳥は、阿鼻叫喚と全ての漆黒に紛れて木々の間を跳躍した。わけもわからぬまま、声の数が減っていって、やがて舞台は無音に変わった。


「────」


 少女は屍体を見ている。少年のような笑顔をしていた兵士の頭部は、樹々の深淵の中に吸い込まれ、消えた。


「……女か」


 黒い鳥が言った。少女の目の前に立っている。


 それは、明らかに人間ではなかった。身体は人間の男、二十歳くらいの形をしているが、その形相は鬼のようだった。

 ──否、ようだった、というのは少し間違っている。実際に、彼の頭部には角が生えている。──鬼のような、角。


 魔族か?


 しかし、魔族で人間の姿をしているものはいない。少なくとも、発見されたことはない。


 その異形の男が、その暗晦にも輝く翡翠のような瞳孔で、こちらを見下ろした。


「女。この男共はお前のか。お前が私の同胞を殺したのか」


「────」


 男は冷徹に言った。その手に、一行のひとりの屍体をぶら下げている。


 満面、血を被った少女は動かない。


「殺したな。お前が、殺したな──また、魔族が減った。人間の手で」


「────」


「私は、魔王だ」


「……あ」


 魔王。──魔王!


 この異形の男は、二百年前、人類が苦心して滅ぼした魔王が、しかしまだ生き残っていたと言うのだろうか。──


「魔王の、忘れ形見だがな──女」


「どうして……」


「何故、か。何故と問うのか。どうでもいい。──ふむ」


 男──自らを魔王と言った──は、思案するように少女を睨む。


「……お前は魔族を減らした。私は同胞を統べるものとして、その責任をとらねばならない」


「…………!」


 男は屍体を無造作にそこらへ放ると、急激に少女へ襲いかかった。

 血まみれの女は恐怖に膠着し、それを躱すことができない。


 女の服は無惨に引き裂かれ、ブローチが宙を舞い、草むらに落ちた。

 夜の血霧の中に、落ちた偽の宝石と、奇怪な獣じみた双眸だけが、深緑色に明滅している。





 ■■■





 鼠のような霧は、いつしか降水に変わっている。

 森閑な樹々と夜との間に、弱い、呻くような女の声が寂々と響き始めた。

 赤く染まっていた女の乳房は、雨に包まれ、今はもとの玲瓏な、まっしろい輝きに戻っている。

 雨か、泪か──濡れた女の顔面の、渇いた視線は、ただ泥に転がった翡翠色の炎に注がれていた。……





 ■■■





 少女はその夜、処女を失った。

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