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⑦4月29日後半(ムカデの話2)

「ここ数百年、妖怪や化生の類はたびたび現れましたが、神具を用いなければならなかったのは数えるほどのことでした」

 ひととおりの話を終えてからも、着物の少女は言葉を続けた。

「先代からの教えで、可能な限りは人の力で戦うよう仰せつかっていた、というのが主たる理由ですが、徳川の世を迎えるころには小型のものばかりしか現れなくなっていたのです」

 そのため、時代を追うごとに「一族」は弱くなっていったらしい。よくある話かもしれないけれど、戦う相手が弱くなったのだから、そうなることにも合点がいく。今となっては妖怪と戦える者は碌におらず、武具の手入れすら覚束ない者や、そもそも「一族」であることすら知らされていない者ばかりだそうだ。

「しかし――そうなったのを見計らったかのように、ムカデは再び現れました。平安の頃以来ですから、おおよそ千年ぶりということになります。奴らの強さ、恐ろしさに変わりはないのに、我らは弱くなり過ぎた。これでは、かの神々にも申し訳が立ちません」

「いやいや、これはしょうがないでしょう。千年も経っちゃったんだから」

「いえ、しょうがなくなどありません。もとより我ら「一族」は先祖の代より、ムカデの猛威から人々を守る使命を受けておりました。それを果たせていないのであれば、愚鈍、無能と揶揄されて然るべきなのです」

 着物の少女の言葉は、とても重々しいものだった。事情もまるで知らないのに口を挟んでしまったことが、少しばかり申し訳なく思えてくる。

 だがしかし――こうしてある程度の話を聞いたならば、そろそろ本題に入ってもよいのではないだろうか?

そう思って、ぼくは話を切り出してみた。

「ところでさ、どうしてぼくのところに来たの? さっきのムカデの話と、やっぱり関係あるの?」

 飼い猫を助けた相手とはいえ、住まいを調べて押しかけたり、歴史の裏話みたいなものを聞かせたりするのは妙だ。いかに鈍感なぼくとはいえど、その点はなんとなくわかる。

「お察しのとおりでございます。実は、先ほどからお話している事柄は、あなたにも関わりのあるものなのです」

 そう言うと着物の少女は、持ってきた風呂敷包みから四本の巻物を取り出した。これまた由緒ありそうな風体で、どれもきちんと紐で縛られている。

「私があなたのもとへ参りましたのは、あなたもまた『一族』の者であることをお伝えするためなのです」

「……え? ぼくが?」

 驚きやら困惑やらいろいろな感情が沸き起こってきたものの、真っ先に浮かんできた言葉は「ありえない」だった。

「いや、人違いでしょ。ぼくの苗字は東城でも西宮でも、まして藤原でもないよ?」

「はい、存じております。しかし、これには訳があるようでして……」

 着物の少女は四本の巻物のうちの一つ、「北湖家系図」と札の貼られたものを開いた。縦に長い巻物は細い紐が解かれて、質素なフローリングの上を転がっていく。

「北湖/(きたのうみ)の本家から辿って、そこから文明開化の明治の頃まで至ったところに『北湖小南』という女性がおられました。あなたは、その方の血筋なのでございます」

「でも家系図を見る限り、その人は誰とも結婚してないんじゃないの?」

 着物の少女に示されたところを見る限り、その小南という人物の横には誰の名前もないし、線が引かれて下に続いていることもなかった。ぼくの見方が間違いでなければ、この人は独身であったということではないのか?

「その……少しばかり申し上げ難いのですが、そちらの北湖小南様は駆け落ちをなさったので、本家からは勘当され、家系図にも記録が残されていないのです」

「駆け落ち?」

「はい。若い殿方に一目ぼれなさって、まっしぐらでございます」

 申し上げ難いとか言ってたわりに、ずいぶんと軽い調子である。

「やがて小南様は殿方のもとへ嫁入りなさいました。そのため、姓も『西村山』となり、子宝に恵まれたと記録されております」

「西村山? ぼくの苗字とまったく違うままだけど、やっぱり人違いじゃないの?」

「いえ、その、これにも深いわけがございまして……」

 どんだけ訳ありなんだ、我が家の歴史は。

 ぼくの中で恐怖と興味がせめぎ合いながらも、着物の少女の言葉を続けた。

「小南様のお子様のうち、三男の方がご結婚なさった後、不倫をなさって内縁の方がいらしたそうで」

「不倫で内縁?」

「その内縁の方との間に生まれたお子様が、これまた奔放な人柄でいらしたらしく、五本の指で足りないくらいの数の浮気をなさっていたもので」

「奔放で浮気?」

「その中で生まれたお子様のうちの一人が、ご自身の生い立ちに絶望して出家なさって」

「絶望して出家?」

「出家した先で檀家さんと籍を入れられてから十数年後、窮屈な生活に嫌気がさした息子さんが家出をなさいまして」

「家出をなさいまして?」

「家出をなさった道中でなんやかんやあったらしく」

「なんやかんやあったらしく?」

「ご母堂が女手一つで大切にお育てになられたのがあなたのお父様で、そのご子息があなた様でございます」

「すさまじくおぞましい家系図だな、おい」

 所々で飛び出してくる不穏なワードたちに彩られながら、我が家は成り立っていたらしい。ありふれた家庭だなんて思っていたことが、どれだけおこがましかったのか。さながら昼ドラのプロット盛り合わせか、三流レディコミの抱き合わせみたいじゃないか、これ。

 今ならよくわかる。父がよく口にしていた言葉の意味が。「ばあちゃんのことは大事にしろよ」というありがちなフレーズが、まさかこんな重みを持っていたとは……。一昨日に浮気がバレて、母に必死に土下座していたことがあったので、血は争えなかったみたいだけど。

「それで、なんでそこまで正確に把握してるんだよ。家系図に残ってなかったんだろ?」

 色情めいて入り組んだ事情に辟易していたものの、ぼくにはまだ疑念が残っていた。近代文学の出来損ないみたいな有様だから、でっち上げではないかとも思えてきたのである。

「それについてですが……あなたのお父様から確認をしました」

「――――父さんから?」

「はい。先日ご実家へお伺いしたところ、快く話して下さりました。遠縁の親戚の子のためなら喜んで、と。そこから得た情報と、我々の持つ情報を照らし合わせていった結果、今回の件が明らかになった次第です」

 後で確かめてみたところ、これは本当のことだった。父が言うことには、この少女が学校の宿題で家系図作りをしていると言ってきたため協力したらしい。一見すると高校生か中学生くらいなのに、ずいぶんと知恵の回るやつである。

「ところで今さらだけど、学校はどうしたの? 今日は平日だろ?」

「すでに、特例で卒業しております」

「と、特例……? じゃあ、どうしてぼくの実家の場所なんかわかったんだ? ぼくの名前くらいしか情報がないのに、おかしいじゃないか」

「それも、特例でございます。行政には、我ら『一族』は顔が利きますので」

 着物の少女は微笑みながら、そんなことを言ってのけた。こちらとしてはまったく笑えないぞ。個人情報保護の概念はどこへ行った?

 もはや不安しか湧いてこない。さっきから残念な情報ばかりが出てくることも相まって、すっかり気疲れしてしまっている。

 だけど――早く本題を片付けないことには、この娘も帰ってくれそうもないし……。

「じゃあ仮にだけど、ぼくが君の言う『一族』の一人だったとして、君はぼくにどうして欲しいのさ?」

 すでに、なんとなくわかってはいるけれど、念のために確認してみる。

 すると、案の定な答えが返ってきた。

「あなたには、わたしたちとともに、ムカデと戦って頂きたく存じます。我ら『一族』の使命を果たすためにも、人々の命を守るためにも、どうか力を貸してもらいたいのです」

 そらみろ、やっぱりじゃないか。

 危険で、厄介で、ぼくの身の丈にはとても合わないような、とてつもない頼み事だ。

「無理だよ。力を貸そうにも、ぼくには力なんてものはないんだから」

「いえ、ございます。オキナがそう言っているのです。オキナの勘に間違いはございません」

 着物の少女の言葉に応じるように、白黒ぶち猫は一鳴きしてみせた。そちらにとっては充分な根拠でも、こっちとしては曖昧模糊でしかないのだが、お構いなしに説得材料にするつもりらしい。

 こういった展開はフィクションではありがちだけれど、実際に直面したら厄介なことこの上ない。フィジカルもメンタルもモブ以下のぼくに、どうしてお鉢が回ってきた?

 さっさと断ってしまいたいし、こうなったら……。

「だったら、ぼくにも力があるって証明してよ。“勘”って言われても、ぼくにはしっくりこないし、確かめる方法ならあるんだろ?」

 これは一つの賭けだが、やむを得ない。ぼくがただの一般人であることを明らかにし、さっさとこのお二方にはお帰り頂くのだ。

 万が一の場合は……考えないでおくことにした。

「――わかりました。では……」

 そう言いながら着物の少女は、またぞろ風呂敷包みを漁りだした。

 取り出されたのは、古めかしい小槌。木製で、子供でも軽々と持てそうなくらいの、これまた由緒がありそうなこと以外は何の変哲もなさそうな代物だった。

 いや、でも――こんな特徴があるものを、どこかで聞いたことあるような……。

 ぼくがそんなことを思ったところで、ちょうど着物の少女が説明を始めた。

「こちらは先の話にも出てきた、竜宮城にて賜った神具でございます。本来であれば北湖の本家にて祀られているものですが、今は有事なので、こうして私がお預かりしております」

 なるほど、思ったとおりである。

 ということは、この小槌も何かしらの不可思議な力を秘めているのだろうか。例えば、何かを大きくしたりとか、小槌そのものが大きくなったり、とか。

「もし、あなたが『一族』の方であられるなら、その神具の声を聞くことが出来るはずです。さすれば神具もあなたを認めて、力を解放してくれるでしょう」

「神具の、声……?」

「物は試しです。どうぞ、手に取ってお確かめくださいませ」

 さっぱり話が飲み込めないままなのに、着物の少女は古びた小槌を差し出してきた。近くで見てみると、いくらかの彫り物や装飾が丁寧に施されている。神様から賜った道具だとのことだが、それが素人目で見ても伝わってくるほど、不思議な魅力を放っている。

 それだけに、手にするのが怖くなってくる。『一族』であれば聞こえるらしいけど、どんなふうに聞こえるのだろう? 聞こえなかったらどうなるのだろう? そうでなくても、なんらかのリスクがあったりするのだろうか?

 慎重になって考えれば考えるほど、どんどん不安が増してくる。小槌から放たれている神々しさが裏返って、だんだん呪いのようにも思えてくる。

「さあ、お早く」

 いろいろなパターンを想定してみたけれど答えは見えないまま、着物の少女に急かされるがまま、ぼくは小槌を手に取った。

 そして…………。

「――――あれ?」

 特に何も聞こえないし、起こらない。

 好奇心がそそられていた面もあったので、結果としてはよかったものの、これではすっかり拍子抜けである。

 いくらかガッカリしながら、例の小槌を床に置こうとすると、

『――こ……よ』

 ノイズ混じりに何かが聞こえたような気がした。いや、間違いなく声がした。

 かなり断片的であったけれど、鼓膜をかすかにこするような、あるいは脳をくすぐるような違和感が、ぼくに何かを伝えようとしていたのである。

 もう一度、耳を傾けてみる。わからないなりに意識をどうにか合わせてみる。

『………な………か。こ……よ』

 聞き取れないところばかりだが、言わんとしていることはなんとなくわかる。

きっと、こう言っているに違いない――「汝、力を欲すか。答えよ」と。

 ここまで聞こえてしまったのだ。

だったら――答えは決まっている。

「ああ、欲しい!」

 散々迷ったけれど、ぼくの心は決まっていた。声が聞こえたからには、きっとこうすることが正しいんだと思った

まるでぼくの声に応えるかのように、古びた小槌が輝き始める。だんだんと真っ白い光を放っていって――。

 次の瞬間には、室内に轟音が響いていた。古びた小槌が突如として巨大化したかと思うと、狭い賃貸アパートの薄っぺらい壁と窓ガラスを突き破り、破壊してしまったのだ。おかげで住人のいない隣室が丸見えになり、ベランダまでの通気性が抜群になっている。

 おまけに質量も相応に増しているらしく、フローリングにいくらかのひずみが生じている。階下にも住人がいなかったことが、これほど幸運に思える日が来るとは。

「だ、大丈夫ですか?」

 辛うじて無事だったぼくのところへ、着物の少女は慌てて駆け寄ってきた。少し離れた玄関方面から来たところを見るに、咄嗟に距離を取って、この惨事を回避したのだろう。さすがその道のプロは違うなあ。

「いったいどうしてこんなことに……。そちらの神具は、あなたに何を問いかけてきたのですか?」

「いや、力が欲しいかとか、そんなことを訊かれたはずなんだけど……」

「力が欲しいか……? 本当に、そんなことを尋ねてきたのですか?」

 どうにも着物の少女の反応がおかしい。言葉と視線に疑っているようなニュアンスを感じる。彼女のときは、こんなことはなかったということだろうか。

 あるいは――この木槌は、何か違うことを言っていたのか……?

 そんな疑問が降って湧いてきたところで、ぼくのスマホから大音量のアラームが鳴った。非常事態を告げる警告音。それと同時に白黒ぶち猫も飛び込んでくる。

 そして、この音がなったということは……。

すっかり慣れ親しんでしまった単調かつ嫌なメロディに気が滅入りながらも、ぼくはスマホの画面を確認した。

それと同時に着物の少女も、広げた荷物をそそくさと片付け始める。

「申し訳ございませんが、今日はここでお暇させて頂きます。どうやら、この近辺にムカデが現れたようですので」

「え、今から行くの?」

「当然です。ムカデの脅威から人々を守るのが我らの使命。ここからだと、オキナの足ですぐですから。ちょっと、失礼しますね」

 そう言いながら着物の少女と白黒ぶち猫は、狭いリビングを横切って、足取り軽やかにベランダまで移動した。

「それではオキナ、お願いします」

 着物の少女の呼びかけに応じて、白黒ぶち猫は声を上げる。さっきまでの猫の鳴き声ではなく、もっと獰猛そうな、野性味あふれる雄叫びにも似た声だ。

 そして強い風が一吹きしかかと思うと、次の瞬間には白黒ぶち猫は、真っ白い虎のような生き物に変わっていた。人間の倍くらいある屈強な体躯は、しま模様ではなく、相変わらずのぶち模様。だけど目は爛々としていて、おっとりしていた面影はどこにもない。

「また日を改めてお伺い致します。お邪魔しました」

 短くそれだけ言い残すと、着物の少女はオキナに跨り去っていった。白黒ぶち猫ならぬ白黒ぶち虎は、ベランダの柵を飛び越えて、四本足で雲と宙を蹴りながら駆けていく。

 どんどん離れていく、一人と一匹の不可思議な客人の背中を見送りながら、ぼくは思った。

「……どうしたらいいんだ、これ」

 すっかり荒れ果てた住み慣れた我が家。残っているのは破壊の痕と、巨大化したままの古びた小槌。割れた窓から吹き込む冷たい風が、放り出された漫画の表紙を揺らしている。

 目をこすってもなくならない、押しても引いても動かない現実に呆然としながらも、ぼくは夕暮れに染まる室内で立ち尽くしていたのだった。


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