閑話 ムカデと「一族」について
まず、「一族」とやらについて。
「一族」というのは、遥か昔――平安初期の頃より活動している、妖怪変化・化生の類の退治を生業とする人たちの総称であるらしい。「東城」、「西宮」、「南川」、「北湖」の四家から成っているとのことで、災害や飢饉、流行り病を引き起こすそれらを討ち取ることで人の世に平和をもたらそうとしていたそうな。
そうして彼らが戦い続けて、百年以上が経過したときのことだった。当時の京の西部に位置する近江国に、巨大な百足の化け物が現れたのだ。
山に巻きつくほどの大きさをもつその百足は、たちまち近隣に住まう人たちを苦しめ、災いをまき散らし始めた。一節によるとその化け物は、見事な満月の夜に空から降りてきたとのことで、一部の人たちからは神の御使いだとか月からの使者だとか呼ばれていたらしい。
そんな御大層な呼び方をしたところで、でっかい百足が大暴れしていることに変わりはない。地元の住民では歯が立つわけもなく、怪物の来襲を恐れた京から派遣された武士たちでも相手にならず、そうしてとうとう「一族」にお鉢が回ってきたのだった。
しかし妖怪退治のプロが束になっても、巨大百足はどうにもならない。戦い方は心得ていても、対応できる装備がなかったので、足止めするのが精一杯。戦車や銃火器、火薬すらもない時代であったのだから、これでも十分過ぎる戦果なのだが、それで怪物が消え去ってくれるはずもない。被害と犠牲はまだまだ増えていく。
とうとう打つ手なし。あとは神と仏に祈るばかり――。
そう思われたときだった。渦中にあった近江国に、ある一人の武士が現れたのである。
その人の名は、藤原秀郷。教科書に載るほどではないけれど、ぼくみたいな地元民なら学校のビデオで見たことがあったりするし、近年はゲームで取り上げられたりしているので知名度はそれなりに高い人物だ。俵藤太と書いたほうが伝わりやすいだろうか。
さて、そんな彼が巨大百足のところへやって来た理由は、これまた伝承のとおりである。
琵琶湖のそばにかかった橋に大蛇が居座って人々を困らせていたところ、たまたま通りがかった藤原秀郷が臆することなく大蛇を踏みつけて橋を渡り切ってしまった。すると、大蛇はたちまち女性の姿となり、彼の力と度胸を見込んで助けを求めたのだった。山に巣食った大百足が人々を苦しめている。どうか、あなたの力を貸して欲しい――と。
話を聞いた藤原秀郷は、女性からの依頼を引き受けた。八百万の神か精霊の類らしい人物からの頼み事は断れないし、何より苦しんでいる人々を見過ごすことが出来なかったからだろう。彼は弓を携えて、すぐさま巨大百足のもとへと赴いた。
だがしかし、天下に名のある家元の武士が相手でも、易々と退治されるほど巨大百足は容易くはなかった。放った弓矢は頑強な甲殻に弾かれてしまうし、刀で切ってかかろうにも長大な体躯と無数の足がそれを阻む。かすり傷をつけるのがやっとという有様だった。
もはやこれまで――そう思われたところで、藤原秀郷は最後に残った一本の矢に己の唾を付けると、神に祈りを捧げた。八幡の神よ、あの化生を倒すため、どうかお力をお貸しください、と。強く強く念を込めた。
すると、願いが通じたのか、唾の塗られた矢がたちまち光り輝いた。あまりの眩しさに巨大百足も目がくらみ、頭をこちらに向けて隙を見せている。
その機を逃さず、藤原秀郷は力いっぱいに弓を引くと、そのまま最後の矢を放った。輝く矢は音を切るような速さで真っ直ぐに飛び、巨大百足の眉間を貫いてみせたのだった。急所を射抜かれた化生は、そのまま崩れて湖畔に落ちていく。
かくして、人々を苦しめた巨大な百足の怪物は見事に討ち取られた。退治した藤原秀郷は、蛇に化けていた女神に招かれて琵琶湖の底にある竜宮城に赴くと、そこで盛大にもてなされたのだとか。
ここからが、ぼくの見聞きした伝承と異なるところである。竜宮城の宴の席で女神と再び話す機会を得た藤原秀郷は、すっかり酒に酔いつつも、こう言ったらしい。
――今回はどうにか事無きを得たが、もしまたあんな化物が現れたら、どうする?
再び彼が出向けばよいのか、誰かが八幡神に祈ればよいのか。はたまた、このどちらかが欠けてしまえば、怪物を討ち取れないのではないか?
冗談交じりに愚痴をこぼしたようにも、もっともな疑義を提示したようにも受け取れるこの言葉は、女神としては後者と受け取らざるをえなかったらしい。
そうして幾日か経過し、藤原秀郷が人里に帰ろうとした間際になって、女神は土産物とともにいくつかの武具を差し出した。飾りはあるが矛のない槍、半分に割られて弦で辛うじて繋がっている弓、何の変哲もないただの小槌と盾……それから、柄だけの刀。一見すると、どれもこれもがガラクタ同然で、受け取った秀郷も思わず顔をしかめたのだとか。
しかし、当の女神は真剣な面持ちで言った。
――これらは古今東西の英霊たちが拵えた、化生を討つための神具でございます。
――本来であれば、人の手に渡すべきでないものですが、事態は急を要します。
――世に平穏をもたらすため、どうか正しくお役立て下さい。
どう見ても冗談でも洒落でもない有様。始めこそ疑っていた藤原秀郷であったが、八百万の神からの賜りものということもあり、それらの想いとともに恭しく受け取った。
だがしかし、どうしても解せないことがあったため、こう尋ねた。
――有難く頂戴したいところだが……これらはどうして使えばよろしいのだ?
ある意味ごもっともな質問であったが、女神は笑みを浮かべつつ答えた。
――それは、神具自らが教えてくれますよ。
今度は冗談か本気か迷わされたものの、とにかく藤原秀郷はそれらを持ち帰ることにした。神具以外にも金銀財宝といったものや摩訶不思議な道具の類まで与えられたため、帰りの舟は文字通りの宝船のようになり、港で出迎えた家臣たちは思わず目を疑うような光景であったらしい。
元の世界へ帰って来た藤原秀郷は、女神からの言いつけを守るため、人間同士の争いに用いられることのないよう、それぞれの神具は「一族」の者たちの一部と、秀郷自身でのみ扱うことを厳にした。女神の言う「正しい使い方」とは、神具を妖怪なんかを討ち取るときにのみ使用するということ。人間同士の争いに用いられないようにするには、その筋の者たちの中でもより信頼のおける者にのみ引き継げばよいと考えてのことらしい。
そうして神との掟を守りつつ年月は過ぎて、今日に至ったのだそうな。