⑥4月28日、4月29日前半(ムカデの話1)
◎4月28日
前触れのない嵐のような数日間過ぎて、今日はいつもどおりの一日だった。
どこか久しく感じる平穏。朝起きて、昼働いて、夜はこうして日記を書く。しばらく前まで退屈に感じていたルーティンワーク。
だがしかし、降って湧いてきたいくつもの問題や怪奇現象は、いずれも解決あるいは解明に至っていない。札束騒動に異世界転移未遂、挙句の果ては着物の少女による器物損壊。ムカデについては自然災害と割り切るしかないけれど、先の三つは本当になんだったのかと言いたくなる。
記憶と記録の整理を兼ねて、ここで現状についてまとめてみようと思う。
まず札束騒動についてだが、ぼくはその後の次第をニュースの情報でしか知らない。第一発見者になってしまったとはいえ、ぼくはあくまで部外者だ。警察関係者でもなければドラマにおける探偵役でもないのだから、これは当然のことである。容疑者として名前が挙がっている可能性はあるけれど、心当たりはないのだから知ったこっちゃない。
ただ、ニュースで見ていただけでも、気になる点があった。
今回の事件の種である札束だが、金額が三千万円という莫大な金額であったことはさることながら、その出所が不可思議であるらしい。「不可解」ではなく、「不可思議」なのだ。
というのも、紙幣に振られた番号が造幣局でつい最近刷られたばかりのものであり、その刷られたばかりの紙幣は市場に出回る前で、金庫にて厳重に保管されていたのである。ちょうど新しいデザインに移行している最中で、我が家に置き去りにされていたものも新紙幣だったことから速やかに特定された。鑑識に回されたところ、偽札でもなかったらしい。
つまり――まったく同じ紙幣が、この世に二つ存在しているということだ。
造幣局では警察による現場検証が行われ、監視カメラの映像や紙幣を刷った記録も確認されたものの、機材が盗難された形跡もなければ、二重に刷られるといったミスや企ても確認されなかったそうだ。
では、誰がどうして、どうやってこの三千万円を用意したのか。
それでもって、どうしてぼくのところに置いていったのか。
ぼくの暮らす賃貸には監視カメラが備えられていないので、残念ながら犯人の映像は残されていなかったものの、警察による入念な聞き込み調査で僅かながら目撃情報が寄せられた。
犯人は黒いコートを着て、サングラスをしていたらしい。
――せっかくの情報がこれでは、この不可思議が解き明かされるのも遠い話かもしれない。警察の方々には、引き続き頑張って頂きたいものである。
次に、異世界転移に関することだ。
これについては、ぼく自身も非常に驚かされたのだが……なんと、他にも何件も同様の事例が報告されているらしい。
それもSNSに書き込まれる噂レベルのものではなく、警察や行政に何件も相談があり、テレビでも連日取り沙汰され、国の偉い人が会見を行うほどの大騒動に発展しているのだ。予測被害者数は、この一週間で百数名。あくまで予測となっているのは、この事件に巻き込まれたか定かでない行方不明者も数に含まれているからだとか。
ここで誰もが疑問に思うのが、「そもそも異世界とは何なのか?」ということだろう。
異なる世界と銘打たれているものの、今日の創作界隈で扱われる際には、ハードかシビアかそうでないかの差はあれど、おおよそファンタジーな雰囲気が漂っている。ぼくが目の当たりにしたのも、まさしくそういったものだったと思われる。
だがしかし――ただいま世間を騒がせている異世界は、物語染みた幻想ではなく、理屈まみれの現象として扱われている。魔法や不可思議ではなく、科学と論理で解明されつつあるのだ。
どういうことかというと、不意に街中に現れるようになった“異世界”は、ぼくらの暮らしている“世界”と位相が異なるところに存在しているものであり、本来ならば目の当たりにするはずのないものであったとか。
それが太陽嵐による磁場の乱れだの、太陽系の片隅で発生した巨大ブラックホールによる引力だのの影響で生じたズレにより、目に見えるだけでなく、触れることさえ出来るほど近づいてきてしまったらしい。
しかも、それらは「開く」「閉じる」といった動作にすこぶる反応するそうで、用を足そうとトイレに入っただけで異なる世界への旅立ちになるほどの有様だった。いつぞやテレビで言われていたことだが、これは世界に発生した「バグ」であると言っても過言ではないと思われる。だったら早く修正してくれ、と言ってやりたいものである。
ちなみに――先にも述べたとおり、これはファンタジーな出来事ではないのだが、時たま開いてしまう異世界もまた、ファンタジーなものばかりではないらしい。時間軸の異なる過去や未来の世界や、はたまたぼくらの世界と異なる歴史を辿った世界なんかも、これまでに確認されているのだとか。
それにかこつけて、こんな話まで飛び出してきた――先日発見された出所不明の三千万円は、実はこの“異世界”から持ち込まれたものではないか、と。
SNSで呟かれた仮説はたちまち伝播していき、某空想科学を扱う「ム」の付く雑誌で特集記事を組まれるほどの有様になった。
おかげで野次馬と物見遊山の人たちが増えてきたので、当事者としてはいい迷惑だ。いっそのこと出店を構えて、「三千万円饅頭」なんかを売り出してやろうか。いらぬストレスでそんな狂気に苛まれつつある今日この頃である。
最後に、着物の少女についてだが……この子とは、明日にまた会うことになっている。昨日のような厄介事は御免だけれど、正直なところ、非常に気になっているのである。
もちろん、色恋めいた意味合いではなく、ムカデに関する情報についてだ。人語を話す猫ともども、あの子は何かを知っているふうだった。ぼくみたいな一般人では知りえないような裏の事情から、ムカデと呼ばれている怪物たちのルーツまで。いささか不謹慎かもしれないけれど、小説家を目指す者としては、このまたとない機会を逃すわけにはいかない。
いや、でも――あの子は常識なさそうだったから、また問題を起こすのでは……?
器物損壊、騒音被害、あるいは勢い余って暴力沙汰。起こりうる罪状一覧から目を逸らしつつ、今日は眠りにつくことしよう。どうか何卒、お手柔らかに……。
◎4月29日
何がなんだかわからない。頭の整理が追いつかない。
今日という一日を端的に換言すれば、まさしくこのとおりになることだろう。
昨日の日記にも書いたとおり、今日は例の女の子が再訪してきた。約束どおり正午過ぎ、以前と同じく着物姿で、「オキナ」という名前の白黒ぶち猫もセットである。着物の柄まで変わりないようだけれど、これは一張羅だからなのか、はたまた同じ柄の別物なのか……。
そんな詮索はさておいて、ぼくは早々に一人と一匹を狭い賃貸のリビングへ通すと、座卓を挟んで向かい合った。話を切り出したのは、もちろん彼女のほうである。
「では改めて……わたしたちのことをお話しします。わたしたちの一族について。それから、あなた方がムカデと呼ぶ存在について」
聞いた話そのままだと長々しくなってしまうので、ここから先は要点をかいつまんで記していこうと思う。