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⑤4月27日とムカデ(降って湧いてきた話3)

◎4月27日


 今日は休みだったので、なんとなく朝からテレビを見ていた。昨日は国会でどうしたとか、どこそこで事件があったとか、ムカデが暴れ回ったとか、いつもどおりのラインナップ。終わり際に犬のコーナーがなかったら、すっかり心が荒みきっていたことだろうと思われる。

 そうして気まぐれにチャンネルを変えて、わかりもしないのに教育テレビの中国語講座なんかを見ていたときだった。来客を知らせるチャイムが、リビングに鳴り響いたのである。

 珍しいことがあるもんだ。あるいは、宅配か集金なんかだろうか?

 察しもつかず、警戒心もなく玄関扉を開けると……そこに立っていたのは、なんとも古風な出で立ちをした少女だった。小柄な体躯にお下げ髪、それから淡いピンクの着物。年の頃は中学生か高校生くらいかと思われるけれど、まるで知らない顔である。

 そして――驚いたことにその少女は、ぼくにとって馴染みのある顔を連れていた。無愛想なむっつり顔。あの白黒ぶち猫を、両手で抱きかかえていたのである。

「もし。突然お尋ねしてしまい、申し訳ございません。先日、この子をお助け頂いたと聞き、どうしてもお礼を申し上げたくてお伺いしたのです」

 なるほど、この子が飼い主だったのか。白黒ぶち猫は迷子になったり、野良になったりせず、無事に元の居場所へ帰っていたのだ。野生は解放してたけど。

「いやいや、お礼なんてとんでもない! ぼくは、当然のことをしたまでで……」

 よかったよかった、と胸をなでおろしたいところだったけれど……ここでぼくは、あることに気がついた。お礼を言われる、言われないよりも、よほど重大な問題だ。

「ところで……どうして、ぼくの家の場所を知ってるんですか?」

 この子とは、間違いなく初対面である。以前どこかで会ったという覚えもない。

 だったら、いったいこの子は何なんだ? 新手の訪問販売か? 詐欺か宗教勧誘の類か? それともまさかのストーカー?

「あ、それは……その、ですね……」

 毅然としていた着物の少女は、急にしどろもどろになり始めた。何かを言い淀んだままで、すっかり目を泳がせている。

 気まずい沈黙が流れかけていた、そんなときだった。

「……@&$#%¥¥、カグヤ」

 着物の少女に抱かれていた白黒ぶち猫が、またも言葉を話し始めたのである。前半部分はやはり聞き慣れない言語だったので文字に起こせないけれど、最後はたしかに「カグヤ」と言っていたと思われる。さっきテレビで見たばかりの中国語講座が、さっそく役に立ったのかもしれない。聞き取れたのは、たぶん日本語だったけど。

 それから白黒ぶち猫は、着物の少女の顔を見つめながら、しばらく話を続けていた。やはりぼくに意味はわからないけれど、何やら諭すような口調のようだった。

「わかりました。オキナがそうおっしゃるなら……」

 どうやら着物の少女は、この猫の言うことが理解できているらしかった。飼い主なのだから当然か。飼い主なのに飼い猫に敬語を使っているのは、なかなか不思議な光景だけれども。

 ためらう素振りを見せてから、着物の少女はぼくに向き直った。

「実は、今日はお礼の他に、もう一つお話があって来ました」

「はあ……。それって、どんな?」

 ぼくが何気なく聞き返すと、着物の少女はしばし黙り込んだ。

そうして、意を決したような表情を見せると、こう答えた。

「数日前、あなたを襲ったあの怪物――ムカデのことについてです」

「…………は?」

 降って湧いてきた単語に、ぼくはただそう言い返すしかなかった。平日昼間のこのタイミングで、どうしてそんな話になるんだ?

 というか、この子がぼくの家の場所を知っていたことと、それは関係あるのか?

 新たな疑問が追加されたところで、少女は続ける。

「あの……あなたは、ムカデってご存知ですよね?」

「そりゃあもちろん。なんというか、もう常識みたいなもんだし」

 あまり言いたくはないけれど、まさしくそのとおりだった。ぼくら、現代を生きる人々にとっては、否が応でも日常の一部として認識せざるを得なくなったのだから。

 というか、なんで今さらそんな当たり前のことを答えなきゃいけないんだ?

 底意地悪く、それがどうした、と訊き返そうとしたところで、少女は再び口を開いた。

「では、お伺いします――もし、ムカデを討ち滅ぼすことが出来るとしたら、あなたはどうなさいますか?」

 話の方向性が予想外のほうへと広がっていったことに、ぼくの頭は混乱する一方だった。


                            ○


 念のために書き加えておくと、事の始まりは十五年ほど前のことである。そろそろ桜も散るかと思われた春のある日、やつらは月の裏側から、はるばる宇宙を渡って地球までやって来たのだった。

 最初に気がついたのは、どこぞの国の名のある天文台だった。彼らがいつものように月を観測していると、暦では満月の日であるはずなのに、どこか形が違っていた。さらに精密に調べてみると、天体望遠鏡のレンズには、端が砕けて円形でなくなった月と、その破片と思しきものがいくつか写り込んでいたらしい。

 さらに、そのうちの一番大きな破片の一つが、ありえない軌道を描きながら地球へ接近していることが判明した。

 このことが公表されるや否や、世間は揃って大パニック。どこそこに落ちるらしいだの、地球が滅ぶかもしれないだの、神の怒りだのノアの箱舟だのと、あることないこと盛りだくさんのお祭り状態。いろんな人たちが泣いて、笑って、怒り散らしている様は、当時まだ小学生だったぼくの目にも異様に映ったのを覚えている。

 混乱がピークに達してきたころになって、ようやく破片は落ちてきた。もしも全長数百キロに及ぶそれが命中すれば、あわや地球は大惨事。人類は知恵を絞って落下コースを計算し、ミサイルで撃ち落とす作戦に打って出た。一か八かの賭けだったけれど、それしか選択肢がなかったのである。

 そして……ここで奇跡が起こった。

 なんと隕石は、地球の人々が手を出すまでもなく、ひとりでにバラバラに砕けていったのだ。大気圏へ突入する直前に、数百、あるいは数千の欠片となって、世界各地へ散らばっていく。さらに一部は成層圏で燃え尽きたらしく、甚大な被害には見舞われたものの、地球生命滅亡という最悪のシナリオは回避されたのだった。

 人々はこれを大いに喜んだ。希望ある明日を迎えたことに、多くの人が歓声を上げた。

 だがしかし――その僅か半年後、その声は悲鳴に変わっていた。

 夏を過ぎ、秋になって、もうすぐ冬がやって来るというころになって、世界各地に未知の怪物たちが現れた。ほとんどの個体の大きさはおよそ二メートルから八メートルほど。中には十メートルや二十メートルの個体もおり、二足歩行の人型のものから四足の獣型、あるいは直立の恐竜を思わせる型も確認されたりと、まさに多種多様であった。

 ただ、いずれの個体にも共通していたのは、頭部には虫を彷彿とさせる複眼や触角があったこと。同様に狂暴性を有しており、他の生物には敵意を剥き出しにして襲い掛かるという性質を持ち合わせていたのだった。

 無論、人類もその対象だった。某国の都市の地下から最初の個体が現れたときには、予想だにしていない出来事に動揺する人々を、街並みもろとも瓦礫に沈めてしまった。さらには口から火を吐くタイプだったので、平和だった市街はたちまち地獄に早変わりする。

 この異常な事態を前に政治的判断はすっ飛ばされて、軍隊が出動し、最新の兵器、銃火器を総動員したことで、最初の個体は出現から三十時間ほどで討伐された。人々はまたも絶望を乗り越えて、平穏を取り戻すことが出来た――。

 ――のは、ほんのひとときだけだった。先の個体に呼応するかのように、他の個体現れたのである。一体だけでなく、複数。同じ場所ではなく、世界各地に。それぞれ異なる特徴を持ち合わせた怪物たちが、続々と声を上げたのだ。

 当然のごとく、世界はまたも大混乱。ぼくの暮らす日本にも現れたので、そのパニックのほどは身をもって思い知らされているし、覚えている。

 怪物たちはどんどん現れる。そのたびに人は戦って、どんどん倒れ、疲弊していく。

 その最中で行われた調査で、「件の怪物たちは、先日落下した隕石の破片から生まれているのではないか?」という推測が出された。この一ヶ月間に怪物が現れた地点を記録していったことで、ようやく導き出されたのである。

 だがしかし……そのことがわかったところで、事態は好転しなかった。

 隕石の破片の撤去が推し進められたものの、それでも怪物は現れた。そもそも、隕石の破片は無数に砕けて散ってしまっているので、大きいものはともかく、小さいものはどこに落下したのか知りようもなかったのだから、どうしようもなかったのだ。

 さらに、どこぞの新聞会社が、正式に全世界へ公表される前に飛ばし記事を書き上げてしまったものだから、またも不要な混乱が発生した。

 その見出しを飾った一文は、次の通りだ。

“It comes for the Moon, Categorized Disaster. ”

 この英文を大雑把に翻訳すると、「月から来た、厄災に類するもの」となるらしい。今となっては事実でしかないけれど、あまりにもSF映画染みたこの記事に、必要以上に信じる人々と、必要以上に疑う人々が大喧嘩を起こしたのだった。

 ちなみに日本においては、一部界隈で語感のいい部分のみが取り上げられた結果、怪物たちは「ムカデ」というあだ名を頂戴することになったのだった。こんなときに不謹慎ではあったのかもしれないけれど、世間に浸透してしまったのだから仕方がない。

 そんなこんなで、ムカデが現れてから十数年経過したものの、いまでもやつらとの戦いは続いている。銃火器、化学兵器、レーダー技術が発達しても、土木作業及び建設業で用いられるはずだった巨大人型重機が決戦兵器として駆り出されても、果てにはレーザー砲なんて物騒な武装が正式に運用されるようになっても、まだ終わりは見えていない。

 暦が巡って夜空を仰いでみても、そこに浮かんでいるのは満月ではなく、砕けて欠けたままの白い石ころ。望遠鏡を覗いて見えるのは、かつての面影も風情も感じられなくなった、まばゆく輝く恐怖の痕。

 これが、ぼくが知りうる限りの、今日の世界における常識である。


                    ○


 閑話休題。

 かくして、白黒ぶち猫を助けたことから端を発した一件は、まるで思ってもいなかったほうへと向かい始めていた。

「――ムカデを……滅ぼす?」

 着物の少女が真剣な面持ちで発した言葉を、ぼくはすんなりと飲み込めなかった。

だって、そうじゃないか。ムカデとは、巨大ロボット兵器を用いたり、一国の軍隊が総動員したりしなければ倒せない怪物だ。ましてや、地球に落ちた月の破片の数だけ存在するかもしれないのに、それらすべてを無くしてしまうだなんて。妄想、虚言、はたまた絵空事の類にしか思えない。そうとしか思いようがない。

「いや、無理でしょ。あんなバケモノ、どうしようもないよ」

 とうとうぼくは、目の前にいる少女に疑念を覚え始めていた。この娘が飼っている猫が人語を話したことは疑いようもない事実だったけれど、この娘自身の言葉が信じられなかった。理屈も道理もぼくの認識から外れすぎていて、理解が追いつかなかったのだから仕方がない。

 だけど……当の着物の少女本人は、ぼくの後ろ向きな意見など意に介さず、その瞳には曇り一つもないようだった。

「可能です。あの怪物たちは、必ず根絶やしにすることが出来るのです! この――“刃隠鍔内祈念刀”さえあれば!」

 少女は語気を強めて、疑う余地などまるでない、というように言ってのけると、両腕で抱いていた白黒ぶち猫を降ろすと、肩からたすき掛けしていた風呂敷包みを外して開けた。

 そこから取り出されたのは、刃の付いていない刀――要するに、日本刀の柄だった。いかにも年代物といったふうで、素人目にもどこか歴史的な値打ちすら感じさせる代物だ。

 ……というか、正式名称なんだっけ?

「あの……申し訳ないけど、もう一回言ってもらえる?」

「え、何がですか?」

「だから、その刀の名前」

「ああ。“刃隠鍔内祈念刀はがくれつばうちきねんとう”です。漢字では、刃が隠れる、鍔の内側に祈り念じる刀と書きます。これは平安の頃、かの藤原秀郷殿が大百足を退治した際に大蛇の一族から授かったとされる代物で――」

「いや、ルーツまで説明しなくていいから」

 とにもかくにも、思った以上に由緒ある一品であるらしい。どっかで聞いたことある偉人の名前まで出てきたので、腰が引ける気さえするくらいだ。嘘じゃなければ、だけれど。

「それで? その刀があれば、ムカデをどうにか出来るって?」

「はい。現代に至るまで、千年に及ぶ年月の間、幾度と現れた妖怪、化生の類をたびたび討取っていたそうです。此度もまた振るわれるときが訪れたのだと、翁も申しておりました」

 着物の少女の言葉に、床にしゃんと座っている白黒ぶち猫は、返事代わりにひと鳴きしてみせた。ずっと疑問に思っているけど、こいつってそんなに偉いのか?

 というか、ムカデってSFめいたものじゃなくて、オカルト方面のやつだったのか。

 情報が開示されるたびに、頭の中の常識がひっくり返されていくけれど、ぼくはその話のすべてを鵜吞みに出来ないでいた。

「でも、そのキネントウってやつ、刃が付いてないじゃないか。そんなので戦ってきました、なんて言われても信じられないけど」

「ああ、そういうことでしたか。でしたら……」

 そんなことかと言わんばかりな着物の少女は、ひとつ息を吸ってから、刀身のないおんぼろの柄を強く握りしめた。

 そうして、瞼を深く閉じたかと思うと、かっと見開いて一声叫んだ。

「聖紋、認証!」

 着物の少女の唱えた文言に応えるように、古びた柄が輝きを放った。欠けた刃すら付いていなかったはずの鍔より上の部分に、みるみるうちに光が集まって線を描いていく。

 やがて現れたのは、空色の刀身だった。覗けばそのまま景色が見えるほど透き通っていて、

光を遮る、あるいは反射する鈍色のそれとは相反するもののようだった。

こんなものを見るのは、生まれて初めてだ。SF映画やアニメ作品なんかではよく登場する代物だけれど、まさかすでに存在していたなんて……。

 ――だけど、ちょっと待て。一見すると未知なるものだが、実際のところはただの光る玩具という可能性だってあるのではないか?

「もしや、これをまやかしか、ハッタリとお思いですか?」

 どこか呆れたふうな表情でぼくを睨みながら、着物の少女はそう言った。どうやらぼくの考えは、彼女にもわかるほど顔に出ていたらしい。

「……では、実際にご覧に入れましょう」

 ぽつりと呟くと、着物の少女は腰を落としつつ、光の刃の切っ先をぼくのほうへ向けた。けして勘違いなどではなく、間違いなくぼくを見据えていた。

 ――まさか……ぼくを切る気か⁉

 焦りと怯えと混乱でひっくり返りそうになるぼくなど気にも留めず、着物の少女は右手で構えた刀を軽やかに振るった。宙には空色の光の軌跡が、鮮やかに描き出される。

 そうして切られたものは、ぼくではなかった。ぼくが切られていたのならば、この文章が残されているはずがないので当然のことである。

 切られたのは――ぼくの住まいの玄関扉だった。

 備え付けのストッパーで開けたままになっていたアルミ製の扉が、角を落とすように斜めにバッサリ切られてしまっていた。蝶番の部分は辛うじて無事だったものの、空洞になった断面をまざまざと見せつけて、切り口も鮮やかに仕上がっている。思わず言葉も出ないくらいだ。

「どうですか? 見事なものでしょう?」

 開いた口が塞がらないでいるぼくに、着物の少女は誇らしげに胸を張った。人の戸口を破壊しておいてこの態度とは、なるほど相当に太い性根の持ち主らしい。おかげであれこれ混乱していた頭の中が、一つの言葉で埋め尽くされるくらいだった。

「帰れ」

「…………え」

「帰れ。今すぐ」

 怒り混じりにそう吐き捨てて、ぼくはそそくさと部屋へ戻った。乱暴に玄関扉を閉めて、着物の少女と白黒ぶち猫を外に締め出す。

 ……はずだったのだが、やはりそうはいかなかった。被害のほどは思ったより酷く、斜め切りされた傷跡からは、アパートの廊下がそのまま見えた。

「あの……これ、直せますけど……」

 そこから恐る恐る覗き込んでいた着物の少女は、非常に申し訳なさそうな面持ちでそう言ったのだった。

 現在の時刻は午後二時ごろ。天候はなおも晴れ模様。

 そろそろ修理が終わりそうなので、今日の日記はとりあえずここまでとする。

 不可思議な客人にして、扉を壊した当人である少女とその飼い猫。

直してもらって当然ではあるけれど……頑張ってくれたみたいなので、せめてお茶とお菓子くらい出すことにしようか。


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