③4月21日~4月23日(降って湧いてきた話1)
◎4月21日
今日の日記。
宝くじで三百万ドルが当選しました。やったあ、嬉しいなー。
……まあ、当然のごとく噓である。話では聞いたことがあった、詐欺業者からのダイレクトメール。郵便受けに入っていたそれの文面が、冒頭のとおりだったのだ。
また、このハガキによると、ぼくの名義を無断で使用して海外の宝くじを購入したところ、奇跡的な幸運で一等を引き当てたとのことだった。なんというミラクル。いったいどこからツッコめと? いますぐ通報してやろうか?
でも……もし仮にそんな大金を手に入れたら、ぼくはいったいどうするだろう?
調べてみたところ、いまの為替レートは一ドル=百四十円くらいらしい。つまり三百万ドルは、ゼロが二つ増えて三億円ほどとなる。なんという大金。まさに夢のようではないか。
まず、このアパートから引っ越すだろう。
どこかに土地を購入して、一億円を超える豪邸を立てて、家具、家電を新調して、奨学金を返済して、それから、それから……。
――ここまで考えてみて、ぼくは嫌になった。
考えてを詰めてみればみるほど、どうにも世知辛くなってきたのである。なんだよ、奨学金の返済て。現実的にも程がある。
ありがちなパターンとして車やバイクを買ったところで、ぼくは免許を持ってない。いまから取りに行くという案もあるが、仕事の後に教習所に通うのが面倒くさい。休日を潰すのも嫌だし、合宿免許なんてもっと嫌だ。自分のペースでやらせて欲しい。
なら、いっそ投資でもするか――なんてアイデアもよぎったけれど、到底無理なので諦めた。あれはセンスと時の運を要するものだ。下手に触れば損か破滅だ、ファイアだ。
というか、こういう場合って、税金でいくら払うのか……。
いよいよ虚しくなってきたので、ぼくは件のハガキを破り捨てた。一時の夢を見せてくれてありがとう。でも、夢はいつか覚めるもの。大きい夢ほど覚めれば辛いのだ。
――だけど、もしそんなことがあったらなあ……。
一介の小市民であるぼくは、まだまだ夢にすがりたい所存である。
◎4月22日
いま、ぼくは動揺している。まだ、現実であったという認識が出来ていない。
せめて、心を落ち着かせるため、事の次第をここに記そうと思う。
内容としては至極単純――ぼくの借りているアパートの扉前に、数千万かそれ以上の大金が置かれていたのである。
そのまま積み上げられていたわけではない。キャスター付きの大きなキャリーケースに、ぎっしりと札束が詰め込まれていた。整然とならぶ、小金色した偉人の顔。朝っぱらからこんなものを目の当たりにしたので、驚きのあまりまた腰を痛めそうになったくらいだ。
当然、すぐに通報した。震える指で携帯端末の画面を押して、警察へ連絡した。
始めこそいたずら扱いされそうなったものの、のんびりやって来た警官たちも慌てふためいて、さらには余所から応援を要請する羽目になるほどの一大事件へ発展した。取り調べなんかも受けたものの、ぼくが無関係であることはちゃんと伝わったらしい。
それで、ようやく引き上げていったのは、陽も暮れかかったころだった。生憎なことに仕事は休みであったので、ほぼ一日をロスした形だ。なんてろくでもない休日だ。
でも、さながら刑事ドラマ、あるいは二時間のサスペンスドラマのような体験を出来たことは、ある意味ではこの上ない幸福だったかもしれない。リアリティというものを知ることこそが、作家の本文とも言えるのだから。
ただし……それらの冒頭十分くらいが、いかに心苦しいものか思い知ることにもなった。
以降の展開のためにサラっと流されているけれど、目の当たりにすれば謎と不安とストレスがマックスの生き地獄である。実際に体験した後には、それを上手にフィクションへ落とし込んでみせることなど、ぼくにはとても出来そうにないと思わされた次第である。
というか、どうしてあんなものが置かれていたんだ? ぼくには心当たりはまるでない。
あるはずもないし、あってほしくない。たしかに非日常的な出来事を求めはしたけれど、こんな物騒なものはお呼びでない。
仮に望むとするならば……もっとこう、心に優しいやつがよかった。ハートフル、ってほどでもないが、ファンタジーな感じというか、とにかく荒んだ感じじゃないやつだ。寓話的、と呼ぶのが相応しいだろうか。
まあ、こんなことを書いたところで、何も起こりはしないだろうし、起こったところでパニックになるだろうけれども。
そろそろ文章を締めようとしたところで、つけっ放しのテレビ画面に速報が流れ込んできた。どうやら近隣区域において、ムカデが大暴れしているらしい。おそらく、ここは大丈夫だと思うけれど、最近の物騒さを思えば不安も募るものだ。
どうか明日は平和な一日でありますように――そう切に願っておくこととしよう。
◎4月23日
玄関扉を開けたら、そこは異世界だった。
徹夜明けに見た夢ではない。まして酔っぱらって見た幻覚でもない。しっかり素面で出くわした、まごうことなき現実である。頬をつねればちくりと痛いし、何度も扉を開け閉めしても景色は変わらないのだから間違いない。
なにがどうしてこうなった。昨日の札束事件から、まだ一日しか経っていないというのに。たしかにファンタジーな出来事を望みはしたけれど、こうして本当に目の当たりにするなんて想定していない。もはや狂気の沙汰としか例えようがないではないか。
戸口の外に広がっているのは真っ青な空。そこには山や陸地がさながら小島のように浮かんでおり、白い雲は手に取れそうなほど近くに流れている。
つまり、ここから出ようとすれば、有無を言わさず高高度からダイブすることになり、そのまま地上か海上に落下、激突、全身粉砕もしくは落命というスペクタクルなのだ。新手の嫌がらせか、これは。
でも、ここが異世界だというのなら、魔法の力でなんとかなるかもしれない。
玄関扉を開けたときも、気圧の差から室内の空気が勢いよく外へ流れ出したりすることもなかったので、すでに不思議の一端を体感している。可能性はゼロじゃないのだ。
あるいは、誰かが迎えに来てくれたりするのだろうか? フィクションの世界ではこういうとき、翼の生えた空想上の生物や、空飛ぶ箒や船が現れるパターンだってある。リアルでは絶対お目にかかれない、とてもファンタジーな展開だ。
だけど、時刻は午前八時半。出勤時刻に追われたぼくは、厳重に戸締りして窓から出かけることにした。なんとなく目をやってみたら、そっちはいつもの景色だったのである。ベランダに出ても問題なし。住んでいるのは二階なので、フェンスや物置の屋根を伝えばなんとか降りることも出来た。不幸中の幸いとは、まさしくこのことだろう。
その後、うっかりチェーンまで掛けてしまったのを思い出したのは言うまでもない。外壁をよじってベランダへ登ろうとして、それを見ていたご近所さんに通報されかけたのも、過ぎてしまえば一つの思い出である。
さらば、異なる空の世界。悪く思うな、ファンタジー。
リアルに生きるこのぼくは、地に足をつけて生きねばならんのだ。
――でも……やっぱり行ってみたかったなあ、異世界。
非常に惜しいことをしたという後悔に苛まれながら、今日は床に就くことにしよう。明日も早番なのだから。