①4月1日~4月15日(いつもどおりの話1)
以下、とある男性の日記からの抜粋である――。
◎4月1日
突拍子もないことだけれど、ぼくはここに書き留めておきたい。
ぼくは、小説が大好きだ。
想いを巡らせたファンタジーも、「もしも」を描いたSFも、予測不能のミステリも、とりとめもないコメディも、どれもこれも好きでたまらない。
ただし――これはあくまで、読むことに関してだ。
ぼくは一介の読者でしかないし、物語を書いたことなんかちっともない。
学校の授業で、気乗りしないまま作文やら感想文を書かされたことしかない。詰まるところ素人だ。
だけど、ぼくもいつかは書く側になりたい。
ぼくが書いた小説を、物語を、誰かに読んでもらいたい。自分の考えたあれそれを、一つの作品として形を成して、誰かの目の触れるところへ出してみたい。ふとした拍子に、そんなことを思ってしまった。
まあ、批判的な感想だらけで気が滅入ってしまうか、そもそも書き上げることすら困難としか思えないけれど……とにかく挑戦あるのみだろう。
今日からこの日記に書いていくのは、その経過に関するものだ。
この先に希望と才気溢れる未来が待ち受けていることを、切に願っておくことにしよう。
大学を卒業しても内定が取れなかったことは関係ない。これは、ぼくが表現者、創作者として世に出るため、時間的な猶予を得るための選択である。けしてヤケを起こしたり、現実逃避を行っているわけではない。
たぶん、きっと、おそらく。
◎4月8日
決意表明した日から、早くも一週間が経過した。実家の両親からは電話口でたくさんの侮蔑といささかの憐憫、あと僅かに嘲笑を頂戴したものの、ぼくは今日も元気である。
しかし――何故かというか、当然というべきか、小説はまるで書けていない。
パソコンに向かい、キーボードで文字を打ち込んでは消していくことの繰り返しである。
硬派な文学作品を書こうしたら文脈の齟齬に悩まされ、娯楽に満ちたバトルアクションを目指せば、ズドドでバババでドカンバキンといった文字列が画面を埋め尽くしていこうとする。言葉で表現するということは、かくも難解であったのか。
ちなみに、この日記に関しては問題ない。
誰かに読まれるつもりで書いていないので、文章におかしなところがあろうと、ノリと勢いで誤魔化せる。後から読み返せば頭を痛めることになろうが、その痛みこそが成長をもたらすことになると信じよう。
万が一、誰かに読まれたりしたら……。
そのときは、我が恥の多い人生における黒い歴史の一ページとして、とかく深々と刻み付けられるのだろう。考えたくはないけれど。
それに、他に考えなければならないことがある。ぼくはこれから、どんな作品を書いていけばいいのだろう?
硬派は駄目、アクションも駄目。そうなると軟派で親しみやすく、派手な動作が少なく済むジャンルに着手すべきということだろうか。
そんなものがあるのかと考えていたところ、アルバイト先の書店でちょうどいいものを発見した。
新刊コーナーの棚に居並んでいる、種々様々のキャラクターたち。各々見栄えするポーズや構図で枠に収まり、その誰もが魅力的で、多くの人々が目を引かれる蠱惑的で素晴らしき作品群――。
つまるところ、ラブコメである。いま一番熱いと言っても過言ではないジャンルである。
若かりし時分に思いをはせつつ、どこかさわやかで、甘酸っぱい日々を体験させてくれる。それはさながら渇き果てた現代社会におけるオアシスであり、一読すれば鼓動は高鳴り、心は潤う。嗚呼、なんと尊いものなのか!
……思いがけず気持ち悪いくらいに筆が乗りすぎてしまったが、本題に戻ろう。
このジャンルであれば、スポーツを主題にしたり、冒険やスリルを求めなければアクションを控えめにすることが出来る。ズドドやバババとも距離を置くことが可能なので、さっきみたいな拒否反応も起こさずに済むと思われる。
そうと決まれば、さっそく書き始めよう。今度こそプロットをしっかり固めて、主軸のブレも起こさないように心掛けなければ。
◎4月9日
はてさて、ここで大きな問題に気がついた。ラブコメ作品を書きあげようとしたものの、ぼくは生まれてこのかた二十年余り、恋愛となんてしたことがないのだ。
無論、してみようと試みたことがなかったわけではない。
そう――あれは小学六年生の頃。卒業まであと幾ばくかというときに、ぼくは当時気のあったクラスメイトに告白をしたのだった。日が暮れかかった放課後、人気のなくなったいつもの教室。いかにもありきたりなシチュエーションである。
すると、面と向かったその子から次のような答えが返ってきた。
「…………………キモっ」
たった二文字と、ちっちゃい「つ」で心が粉々になってしまうとは、人の心とはかくも脆いものなのか。はたまた言葉そのものが凶器なのか。そう思い知らされた次第である。
以降、卒業式を終えて別の中学校に通うことになるまで、ぼくはその子から憎しみにも似た感情を向けられ続けたのであった。生理的嫌悪、というやつであろうか。これなら以前のように無関心でいてくれたほうが救われたかもしれない。痛い痛い、心が痛い。
うぷ………。思い出すだけで吐きそうになってきた。一時の蛮勇と思い上がりは、現在、果ては未来まで深々と傷を残すものらしい。リアルは残酷、やり直しはご法度。以降は今後の人生の糧か、笑い話の種にするしかない。
というわけで、この一件を糧にして、優しい優しいラブに溢れたコメディを執筆しようと思ったのだが――今度は別の問題が浮上してきた。
ラブコメに必要不可欠なものは、先述のとおり、魅力的な登場人物である。他のジャンルよりも人間同士のやり取りに主軸が置かれるのだから、これは必然とも言えるだろう。
しかし、魅力といっても千差万別あるわけで、どれが刺さるのかは人それぞれ。
流行り物や伝統に頼れば埋もれやすくなるので、作者自身の独創性も求められるし、ときには深みを出すために己の情動、倫理観、フェチズムをありありとさらけ出すこともある。
つまり――このままだと、ぼくの性癖暴露大会が執り行われることになるわけだ。学生時代に友達同士でするような「クラスの誰が好きなのかトーク」のレベルではなく、もっと奥まった段階で、そこはかとなく生々しいものを。
下手をすれば、今後のぼくの呼び名が「幼馴染大好きかつ母性求むる○○○かつ×××フェチ」(極めてニッチで変質的であるため一部伏字)になってしまう恐れも……。
そう考えたところで、書こうとする手が止まってしまった。
というか、進まなくなった。己の恥と自覚しているものを世に晒す覚悟を、ぼくは持ち合わせていなかったらしい。
ということで、他のジャンルに挑むことにしよう。色恋沙汰から離れたものなら、きっとぼくにも書けるはずだ。
でも、そもそも性癖を晒すこととは創作全般に言えることなのでは……?
そんなことを、思わなかったわけではない。
◎4月15日
先日、実家の近隣にムカデが現れたらしい。幸いなことに目立った被害が出ることはなく、すぐに駆除されたそうだが、なんとも物騒になってきたものである。
いや、そんなことはどうでもいい。どうでもよくないことかもしれないけれど、今のぼくはそれどころではないのである。本来ならば、こうして文字を打ち込むことだってえええええええええええええええええええええm。。。。。。・¥。
…………上記の文章は、けしてタイプミスではない。現在のぼくが抱える苦しみを称えたものだ。
その苦しみとは“魔女の一撃”――ルビを振るなら「ウィッチズブロウ」。日本での俗称は「ギックリ腰」だ。
まさか、これほど辛いものだと思わなかった。立って歩くことは困難、背筋を正せば悲鳴を上げる。椅子に座る瞬間は命がけで、柔らかなクッションに腰掛けようものならば、それはすなわち「死」を意味する。
冗談のようだが、ホントのことである。身をもって味わう絶望とは、まさにこのことと言っても差し支えないかもしれない。言わないかもしれないけど。
どうしてこうなったのか。説明するには、またも行数を割かねばなるまい。
数日前、ラブコメディという難題を前に退却を余儀なくされたぼくは、ようやく次に挑戦すべきジャンルを見定めた。
すなわち――バトルものだ。
人と人との惚れた腫れたに痛めつけられたのならば、そんなものを吹き飛ばすほどの波乱と熱闘を物語に込めればいい。そう思い至ったことが一つの要因だ。
ドカバキ、ズババ、キンキンキン! またもや擬音が山と聞こえてきそうになるが、ここで屈するわけにはいかない。あれもこれも出来ないからと逃げていたら、作家として大成することは叶わないのである。逃げないことこそ第一歩である。
とはいえ、苦手であることに変わりはない。いったいどうしたものか……。
そう考えているうちに、ぼくは閃いた。バトルものにて多用するアクションの描写を深めたいならば、実際に自分で動作を再現し、文章に起こせるほどに体感してしまえばいいではないか!
――今となっては遅いことだが、そのときのぼくは、なんと愚かで浅はかだったのだろうか。何がどうしてそこに至った。
深夜の妄想からきた思いつきか、はたまた未知の才覚による閃きか。開き直って後者であると断言したい所存である。
かくして、ぼくは重い腰を上げええええええええええええrちゅいおいいいいおp@@@@@@@「「「:。
姿勢を正そうとした拍子に思いがけない激痛が走った。今日のところは、もう腰が限界らしい。
続きは明日に記すことにしよう。どうか早く治りますように。