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14.

「ご本人の口からいつかお伝えすべきことと、あえて黙っておりました。けれど、あんなことになるのなら、もっと早く奥さまにお教えしておけばよかった」

「いいえ、いいえ……!」


 オスカーの母が先代アッシェン伯夫人でないことは知っていた。けれどまさかそんな事情があったなんて、考えもしなかった。

 彼は一体どんな気持ちで、自分のことを『妾腹の私生児』などと呼んだのだろう。

 そして自らの誕生が、母が手込めにされた結果のことだと知った時、何を思ったのだろう。


『貴女にとって俺の妻になったという事実が、輝かしい人生についた一点のしみでしかないことはわかっている』


 ――あの言葉を口にした時、旦那さまは、一体どれほどのお気持ちを抱えて……。


 胸が引き裂かれそうな思いに、涙が溢れてくる。

 苦しかっただろう。そして辛かっただろう。

 母の名誉と姉との約束を守ろうと、ひとり悩んだであろうオスカーの気持ちが痛いほどよくわかった。


 きちんと話しておいてほしかったとも思うし、信頼してほしかったとも思う。たとえオスカーの母に起こったできごとや(シャーロット)の存在を知ったとて、リデルの彼に対する想いが変わることなどありえなかったのだから。

 けれど信頼していなかったのは、きっとリデルも同じなのだ。だから怖くて、勇気を出して尋ねることさえできなかった。あの女性はどなたですか、と、ただ一言聞くだけで済んだのに。

 それを、今更知るなんて。


「奥さま、差し出がましいことは十分承知の上で申し上げます。どうか……どうか、ご主人さまに打ち明けてくださいませ。自分はリデルさまの生まれ変わりであると。それだけであの方は救われるのです」

「え……?」


 後悔に呆然と立ち尽くすジュリエットを見上げながら、カーソンは悲痛な声で告げた。


「どうして我々使用人が、あの方のことを〝ご主人さま〟とお呼びするかご存じですか? ――奥さま亡き後、ご主人さまが厳しくそう定められたからです。奥さまが〝旦那さま〟と呼ぶお声を、決して忘れたくないからと」

「カーソンさん、わたしは……」

「ご主人さまは、奥さま亡き後ずっと苦しんでおいででした。エミリアお嬢さまがおいでにならなければ、このまま後を追うのではないかと思うほどに……! 今でもずっと、奥さまを亡くした日の悪夢にうなされていることを、わたくしは存じております。ですから、どうか……どうか……っ」


 最後のほうは、叫びにも似た懇願だった。

 痛いほどに両手をきつく握りしめられ、まっすぐな言葉に胸を突かれ、それでもジュリエットは首を縦に振ることができなかった。

 

「わたしは……わたしは、既に亡き人間です」


 灰色の目が、落胆の色を宿す。

 それでもジュリエットは言葉を止めることなく、自分なりの素直な気持ちを伝えた。


「本来なら、ふたりに関わることさえできなかった身……。すぐには決められません。それに、まだ混乱していて……」


 今はまだ、心が千々に乱れて考えが纏まらない。

 あれほど疎まれていたのに、いきなりそのようなことを言われても信じがたいし、簡単に信じられない。

 けれど、信じたい気持ちも確かに存在しているのだ。

 リデルから彼への愛は失われることなく、ジュリエットの心の中に未だ残っているのだから。


「ごめんなさい、カーソンさん。でもまだしばらくは、秘密にしていただきたいのです」

「奥さま……」


 ジュリエットの手を握っていたカーソンの手が、そっと離れていく。

 それでもまだしばらくは物言いたげな顔をしていたが、やがてジュリエットの心が固いことを悟ったのだろう。静かに立ち上がると、乱れた衣服の裾を直し、深く一礼する。


「……かしこまりました。他ならぬ奥さまのお願いです。仰せの通りにいたします」


 ですが、とカーソンは付け加えた。


「最後にひとつだけ聞いていただけますか? ご主人さまのあの目の傷――、あれはクレッセン公によるものです。公は、奥さまがお亡くなりになったのはご主人さまのせいだと酷く責め立て、激昂しておられました。それで、剣で斬りつけ……」

「お兄さまが……?」


 彼が隻眼になったのは、騎士団の任務か何かで傷を負ったからなのだと思っていた。騎士団は危険な仕事も多く、怪我人は絶えなかったから。けれどまさか、あの優しい兄がオスカーに斬りつけたことが原因だったなんて。

 俄には信じがたい。けれど、カーソンがそのような偽りを口にするはずもない。


「わたしが死んだ原因は野盗で、旦那さまは何も悪くないはずなのに……」


 彼は確かにリデルのことをとても可愛がってくれていたが、道理がわからぬ人間ではなかったはずだ。

 父親が早くに亡くなった後も、クレッセン領を継ぎ、公明正大で立派な領主として慕われていた。


「もちろんでございます。クレッセン公のお怒りは、真に理不尽なもの。それでも、クレッセン公が今も酷くご主人さまを憎んでおられるのは事実。どうか今度の査察では、エミリアさまのことをお気にかけてくださいませ」

「それは……もちろんです」

「ありがとうございます。――それから、これだけは覚えておいてください。このカーソンは、いつでもあなたさまのお味方であることを」


 彼女は部屋を出て行く直前に振り向き、もう一度頭を下げた。かつてと同じく、すっと背筋を伸ばして。女主人にそうするように。

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