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13.

 ジュリエットは石を呑んだような気持ちで立ち尽くす。

 もし少しでもカーソンの心に迷いがあれば、どうにかごまかせたかもしれない。

 けれど自分を見つめる眼差しの強さに、ジュリエットは咄嗟になんの言い訳もできなかった。


「以前から、違和感はあったのです」


 涙を拭いながら、カーソンが静かに続ける。


「あなたさまがお嬢さまに向ける眼差し――そして、愛おしげに微笑みながらも、どこか罪悪感に駆られたような表情。ご主人さまとお話なさる時の、遠慮がちだけれど焦がれるようなお顔……。どれもこれも、見覚えのあるものでございました」


 何か言わなければ。そう思うのに、口を開けばはくはくとした呼吸ばかりが発せられ、意味をなす言葉がなにひとつ出てこない。

 それほどに、カーソンの言葉はジュリエットにとって予想外のものだったのだ。


「それに、ご自身では気付かれていないかもしれませんが、あなたさまはお嬢さまとお話ししている時、よく、手をこう動かすのです」


 彼女は手を微かに持ち上げたかと思うと、ぎゅっと握りこぶしを作ってそろそろと下げる。

 はっとさせられた。

 それはカーソンの言った通り、ジュリエット本人ですらほとんど気付いていなかった、無意識の行動。


「――頭を、撫でたかったのでしょう? 生前、満足にそうしてあげられなかったぶん」


 掠れた声に胸を突かれ、喉をますます詰まらせる。目の奥が熱くなり、それをごまかすため、ジュリエットは服の裾を強く握りしめる。

 拭った端からまた新たな涙が生まれて、カーソンの頬を濡らしていた。

 常に冷静沈着なメイド頭の姿はどこにもなく、そこにはただ、亡き女主人との再会に胸を熱くさせる女性の姿があった。


「それでも最初の頃は、気のせいだと。その程度の共通点など、誰にだって存在すると……。ですが、この刺繍を見て確信いたしました」

「カーソンさん、わたしは……」

「もし、これがわたくしの思い違いでしたら、老いた女の世迷い言だと笑っていただいても構いません。気の触れた女がおかしなことを言っていると、吹聴していただいても構いません。ですが、どうか――」


 カーソンは震える両手を組みながら、祈るようにその場に跪く。そして驚くことに、ジュリエットの靴に縋り付くようその場にひれ伏したのだ。


「カーソンさん……!? 頭を上げて――」

 

 服が汚れることも、髪がほつれることも厭わぬ行動に目を見開くジュリエットを、後悔の滲んだ瞳が射貫くように見上げる。それだけで身動きが取れなくなるほど懸命な表情であった。


「あなたさまが本当に奥さまであるのならば、ただ一言でよいのです。そうだ、と。お前の言う通りなのだと、仰ってくださいませ」


 長い間、沈黙が流れた。

 このまま何も言わず立ち去ることもできたし、カーソンの言うとおり、ただの妄想だと切って捨てることもできただろう。

 けれど、どうしてもそうできなかった。彼女の真摯な思いに触れ、知らぬふりをして言い逃れするなど、ジュリエットにはできなかったのだ。


 目を閉じ、深呼吸をする。

 これから自分が発する言葉の重みに耐えるように、ジュリエットはしばらく天を仰いだ。そして。


「……あなたの仰る通りです」


 目を開き、告げた。ジュリエットとしてではなく、リデルとして。

 カーソンが弾かれたように顔を上げる。

 跪く彼女と目線を合わせるように、ジュリエットもまた床に両膝を突いた。皺の目立つ手を両掌でそっと包み込み、握りしめながら、はっきりと告げる。


「カーソンさん。わたしが命を落とした後も、ずっと覚えていてくださったのですね」

「当然でございます……!」


 力強くジュリエットの手を握り返しながら、カーソンは震える声で繰り返す。


「当然で……ございます。奥さま。ずっとお会い……したく……」


 時を経た再会に、彼女はそれ以上言葉が出ないようだった。

 ジュリエットは無言でカーソンの背に手を回し、抱きしめる。静かな室内にしばらくの間嗚咽が響き、その間ずっとふたりは抱き合っていた。


 ひとしきり涙を流したところで、カーソンはすんと洟をすすりながら静かに口を開いた。


「……あなたさまがご存命の折、わたくしはどうしても言い出せないことがございました。それが、ずっとずっと、心残りでございました」

「え……?」


 震え、掠れる声で、カーソンは己の後悔を吐露する。

 それはジュリエットにとって、あまりに予想外の告白であった。

 

「シャーロットさんが……旦那さまのお姉さま……?」


 もはや取り繕うことも忘れて愕然と呟けば、カーソンは小さく頷いて説明する。


「ご主人さまから堅く口止めされていたからとはいえ、奥さまにだけはなんとしてでもお伝えすべきことでした」


 オスカーの母は先代アッシェン伯の正妻ではなく、彼に手込めにされた貧しい農民の女性だったこと。シャーロットはその女性が夫との間にもうけた娘であったこと。

 そして父の死後、オスカーはシャーロットを姉としてアッシェン城へ迎えようとしたが、シャーロット自身がそれを固辞したこと――。

 

「シャーロットさんはお母さまの名誉のため、先代伯爵によって強引に慰み者にされた事実をこれ以上誰にも知られたくないとお考えでした。それに、ただでさえ〝穢れた血〟と貶されるご主人さまのことも案じて……」


 自分のような身分の低い姉がいると知られれば、王女を娶るオスカーに迷惑をかける。シャーロットはそう思い、決して己の立場を明かすことなく、一領民として暮らすことを決めたという。

 そんな姉の意向と母の名誉を守るため、オスカーは彼女の考えに従った。

 カーソンやスミスなど城内のごく一部の者を除き、その事実を知る者はほとんどいなかったという。

 

「ご主人さまは弟として、シャーロットさんの生活を援助しておられました。けれど〝姉〟と明言できない以上、その様子は何も知らぬ人々にとって、愛人を囲っているように見えたのでしょう」


 その後は、ジュリエットも知っている通りだ。

 よかれと思って黙っていたことは裏目に出て、リデルはシャーロットのことを愛人と思い込んだ。何一つ、オスカーに尋ねることすらせずに。

 

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