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07.

変更点:二章01において登場した『乳母の描いたリデルとエミリアの肖像画』を収めた場所を、今回

小さな額の中→ロケットペンダントの中

へ変更しました。

 朝の食卓で焼きたてのパンを千切りながら、オスカーはそっと、向かいの席に目をやった。

 正確に言えば、真正面にある席の、そのまた隣に座る愛娘へ。


 父から送られる視線に気付いてないはずはないだろうに、エミリアは顔を上げもせず、ブスッとした表情でにんじんのスープを飲んでいた。

 今朝、初めて顔を合わせた時からエミリアはこんな調子だ。

 一応朝の挨拶こそ交わしたものの、ぞんざいと言うかおざなりと言うか……。


 ――あら、お父さまごきげんよう。


 愛想も小想(こそ)もない声でそう言ったエミリアは、そのままぷいっと顔を背け、以降ずっとこのような態度をとり続けている。


「あー……、エミリー? 昨日の夜会はどうだった。楽しく過ごせたか?」

「もちろん。お父さまもいない中、お客さまたちの長ったらしく有意義なご挨拶をたくさん聞けたわ。そう、わたしひとりでね」


 ポロ、とオスカーの手から千切ったばかりのパンが落下する。幸いにして落ちた先は綺麗な皿の上だったが、オスカーはご機嫌斜めな娘の雰囲気に気圧されるあまり、拾うことすら忘れてしまった。

 刺々しい返事にしばらく言葉を紡げないオスカーであったが、背後に控えている給仕メイドの刺さるような視線を受け、ハッと我に返る。

 咳払いを何度か繰り返し、気を取り直してもう一度娘へ話しかけた。


「今朝、お前へ贈られた品物を見てきたぞ。あんなにたくさんいただいて、お前も嬉しかっただろう」

「ええ、とっても。皆さん毎年、わたしのためにあんな素敵な贈り物をたくさん。可愛いぬいぐるみや宝石箱、流行のリボンもあったわ。お父さまからは何もいただけなかったけど」


 ガシャン、と今度はフォークが床へ落ちた。動揺したオスカーの肘がぶつかったのだ。

 給仕メイドが慌てて床へしゃがみ、新しい物と取り替える。


「あ、ああ……すまない」


 オスカーは意味もなくテーブルナプキンで口元を拭い、水で喉を湿らせた。まだ何も口にしていないというのに、喉がカラカラに乾いていた。


「エミリー、お父さまからはちゃんと新しい教科書を贈っただろう、王都の貴族たちの間でも評判の、有名な学者が書いたもので――」

「あら、あれが贈り物だったの? あまりにもためになる実用的な品物だったから、てっきり違うのかと。ごめんなさい、お父さま」


 反省の気持ちなど微塵も感じられない声と表情で、エミリアがツンケンと謝罪の言葉を口にする。嬉しくない、という態度を前面に押し出しながら。

 ぐっ、とオスカーは言葉に詰まった。 

 父親として、本来ならここで娘の無礼な振る舞いを叱らなければならないのだろう。いくら贈り物の内容が気にくわないからと言って、彼女の嫌味な態度は貴族令嬢としても、また娘としても相応しくない。

 しかしオスカーはどうしても、エミリアには弱くなってしまう。娘がどんな我儘を言っても強く言い返せず、最終的には折れてしまうのだ。


「……エミリー。私からの贈り物が不満だったのなら、何でも欲しい物を買ってやると前にも言っておいただろう? ドレスでもネックレスでも新しい馬でもいいから、と」


 甘やかしている自覚はあったが、オスカーは娘から言われた物は何でも買い与えてしまう。

 家庭教師いわく、それでエミリアが我儘放題の傍若無人な性格にならなかったのは奇跡だとのことだ。

 娘は確かに我儘なところもあるが、それは年相応のもので、同じ年頃の子供と比べて特別際立っているわけでもない。少なくともオスカーの考えはそうだ。


「覚えているわ。そしてお父さま、わたしは言ったわよね。お友達がほしいって」

「ああ、だからお前の友人としてエヴァンズ男爵夫人の娘たちを――」

「男爵夫人の娘! あの子たち、まだ三歳じゃない! そんなのお友達って言わないわ」


 オスカーは眉を下げた。

 確かに、娘の家庭教師であるエヴァンズ男爵夫人の娘――双子の姉妹たちは、まだ三歳だ。十二歳のエミリアと意思の疎通を図るには、かなり時間がかかりそうである。


「使用人の子供たちとも自由に遊んでいいと言っただろう」

「何を聞いても〝はい〟か〝いいえ〟しか言わない相手を、お父さまはお友達って呼ぶの?」

「それは……いや、そうだが、しかし……」


 娘の言うことには一理も二理もある。

 オスカーの目から見ても、使用人の子供たちは皆、エミリアに対して一線を引いて接していた。もちろん親からきつく言い聞かされているのだろうが、あれでは友人とは呼べない。

 それだけに、オスカーは咄嗟に反論もできず、口中でもごもごと独り言を呟くことしかできない。


「あのねお父さま。わたし、お友達は自分で決めたいの。お友達って自然とできるもので、誰かから〝はいどうぞ〟って差し出されて作るものじゃないでしょう?」

「そう、だが……」

「でもお父さまは、どこかの誰かと交流するわけでもないし、わたしがお城から出るのも嫌う。これでどうやってお友達を作れって言うの?」


 勢いに圧倒され、完全に無言になったオスカーへのエミリアの追撃は、なお止まない。

 この部分は一体誰に似たのか。もともと口達者な彼女は、自分の有利を見て取ると、ここぞとばかりに攻勢へ回るのだ。


「でも昨日は、ちょっとだけ期待していたの。だってお父さまが、夜会に来た人とならお友達になってもいいって言ってくれたんだもの。それなのに昨日、ちょっと目を離した隙に、どこかの誰かさん(、、、、、、、、)がわたしの大切なお友達を追い出してしまったのよ」


 やたら力の込もった「どこかの誰かさん」という言葉は、エミリアがその人物の正体に気付いている証拠である。現に彼女は、猫のような目に不機嫌な色を滲ませ、オスカーをじっと見つめているのだから。

 娘の怒っていた理由はやはりそれだったのか、とオスカーは納得した。


 客人は自主的に家へ帰った、と説明するよう侍女たちには指示していたが、その内の誰かがエミリアの耳に噂話を入れてしまったのだろう。 

 一晩明けた今日、『伯爵をひっぱたいた女性』の噂は、既に城中を二周も三周も駆け巡っていたのだから。

 しかしどんなにエミリアが立腹しようが、オスカーもこればかりは譲歩するわけにもいかない。 


「お前が言っているのは、ジュリエットという女性のことだろう」

「そうよ。具合が悪くて泣いていたのに無理矢理追い出されてしまった、可哀想なジュリエット」

「……っ。エミリー、お前に黙って彼女を帰したのは悪かった。だが……」


 オスカーは一旦言葉を切り、給仕メイドに外すよう視線で告げる。

 彼女が出て行ったのを確かめ、声を少々潜めて話を続けた。


「皆には黙っていたが、ジュリエットは身分と名前を偽って夜会へやって来たんだ。怪しいと思ったから帰しただけの話だ」


 そう、オスカーは間違っていない。

 エミリアを守るために必要な行動をとっただけ。

 そもそも身分詐称は褒められた行為ではなく、警戒した城主が危険分子を排除するため動くのは悪いことでも何でもない。呑気に日和っていては、守るものも守れないからだ。

 昨晩口にした通り、騎士団で尋問しないだけでもありがたく思ってほしいくらいである。


 その上オスカーは彼女の名誉を守るため、一部の人間を除いては、ジュリエットの件について詳しいことを話さないと決めたのだ。

 それはむしろ寛大だと賞賛されるべきことで、責められるいわれはどこにもないはず。

 それなのに、なぜか。昨晩からずっと、心のどこかに小さな棘が引っかかっているような、奇妙な違和感が拭えない。


 とはいえそれは、エミリアを説得するのとはまた無関係な部分であるように思え、オスカーはひとまず娘との会話に専念することにした。


「嘘をつくのは悪いことだ。それにこれまで私に近づくため、何人もの女性がそういう手段で城へ侵入したのは、お前も知っているはずだろう?」

「知っているわ。最近で言うと、男性のふりをしてお父さまの従僕になろうとした子爵令嬢がいたわよね? もちろんあの女性(ひと)たちのことは大っ嫌いよ。でも、ジュリエットは全然違う。嘘をついたのだって、きっと何か理由があったのよ。人を見る目のないお父さまにはわからないみたいだけど」


 昨日初めて出会った相手の一体何がわかる、と返したいのをオスカーはぐっと堪えた。

 エミリアはまだ子供で、世間知らずだ。

『一流の詐欺師は世界で最も立派な人間に見える』という言葉があるくらい、世の中は見たものが全てではなく、非常に危険なのだ。 

 あのジュリエットという少女だって、見た目は礼儀正しく品のある令嬢に見えたが、腹の中は真っ黒かもしれないではないか。


 エミリアは大人びていて年齢よりもしっかりして見えるが、自身の考えが絶対だと思っているあたり、まだまだ精神的にも幼い。未熟で、親の助けが必要な時期は過ぎていないのだ。

 更に言えば、オスカーに似て非常に頑固で自分を曲げないところがある。頭ごなしに自身の考えを否定されたところで、意見を聞き入れるとは思えない。

 だからオスカーはあまり彼女を刺激しないよう、静かに懇々と諭すことに徹する。


「エミリーの、他者(ひと)を信じようとする素直な気持ちは本当に立派だ。だが、時には疑うことも大事だと普段から教えているはずだ。それに、親には子を守るという大事な役目がある。少しでも怪しい人間がいれば、我が子が危険な目に遭う前に遠ざける。それが父親としての義務だとわかってくれるだろう?」

「だったら、毎年お誕生日の夜会のたびにわたしをひとりで置き去りにするのも、父親としての役目? わたしを守るという義務はどこにいったの?」

「それは……。もちろんお前に危険が及ばないよう、いつも周囲にたくさんの護衛や侍女たちを置いているだろう。いいかエミリー、お父さまはお前のためを思って――」


 ガタン、とエミリアが椅子を鳴らして立ち上がる。

 これまでツンと冷たく取り繕っていた彼女の顔に、初めて表情らしいものが浮かんでいた。――怒りと、悔しさだ。


「お父さまはいつもそう! お前のため、お前のためって口では言いながら、わたしのことなんてちっとも考えてくれないんだわ!」

「エミ――」

「もういい! お父さまなんて知らない! ごちそうさまでした!」


 膝に敷いていたテーブルナプキンを乱暴に食卓の上に叩きつけ、エミリアは大きな足音を立てながら扉の外に出て行き、食堂を後にした。

 開いた扉の隙間から、廊下に控えていた給仕メイドが慌ててその後を追いかけていくのが見える。

 室内にはオスカーだけがひとりぽつんと取り残され、扉がバタンと閉まる音がやけに大きく鳴り響いた。

 すっかり硬くなったパンを見下ろし、オスカーは小さく溜息をつく。

 いつもこうだ。娘と話していると、大体こんな風にこじれて終わる。

 オスカーはオスカーなりに一生懸命やっているつもりなのだが――、自信があるとは到底言えない。


「……貴女は、こんな俺を見てどう思うのだろうな」


 シャツの下からペンダントを取り出し、オスカーは呟いた。

 リデルなら、もっと上手に娘と接してくれたことだろう。

 母親から娘を奪い、娘から母親を永遠に奪ったオスカーが、そんなことを考える資格なんてない。

 それなのに娘と衝突するたび、こんな時リデルならどうしていただろうと想像してしまう。


「俺は、弱いな……」


 罪悪感から娘とまともに向き合うことすらできず、いつまでも過去の幻影に縋っている。

 自ら手放した幸福を、決して手に入らなかった未来を、今更になって追い求める愚かな男。

 それが、かつて『氷の騎士』と呼ばれた男の末路だとは、誰が想像していただろう。

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