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01.

 聖堂に、司祭の厳かな声が響き渡る。


「オスカー・ディ・アーリング。汝はこの女性、リデル・ラ・シルフィリアを妻とし、幸せな時も困難な時も、共に助け合い、互いを愛すると誓いますか」

「誓います」


 固く低い、青年の声が隣で上がる。


「リデル・ラ・シルフィリア。汝はこの男性、オスカー・ディ・アーリングを夫とし、幸せな時も困難な時も、共に助け合い、互いを愛すると誓いますか」

「……誓います」


 緊張に震えながら、リデルも小さな声で答えた。


「汝らの誓いを、我らが母スピウス女神は聞き入れられました。互いにこれを忘れることなく、いずれ神の御許へ召されるその日まで、互いへの愛と尊敬を持って支え合いなさい」


 司祭が言い終えると共に、祝福のベルが鳴り響く。

 その日エフィランテ王国第四王女(プリンシア)リデルは、氷の騎士と名高いアッシェン伯爵の妻となった。




 ドアの隙間から廊下の様子を窺っていたリデルは、コツコツと近づいてくる固い足音に、急いで廊下へ飛び出した。


「だ、旦那さま!」


 呼びかけに、今まさに玄関扉から出ようとしていた男が、ゆっくりと振り向く。

 漆黒の髪に、同じく漆黒の騎士服。腰に佩いた剣までが黒い鞘で覆われている中、冴え冴えとした冬色の目がことさらに際立っていた。

 アッシェン伯オスカー・ディ・アーリング。ひと月前、リデルの夫となったばかりの男性だ。

 夫の顔が、リデルの姿を認めた瞬間ほんの少しの苛立ちを宿す。


「……何の用だ」

「あ……。あの、こ、これを……」


 不機嫌に問われ、リデルは少々臆しながらも、手に持っていた小さなかごを差し出した。

 胡乱げにかごを見つめるばかりで受け取ろうとしない夫に、リデルは焦りながら早口で説明する。

 ぎゅっと、かごを持つ手に自然と力がこもった。


「旦那さまのお留守中、他の騎士の奥さまたちから聞きました。騎士の妻は、旦那さまのためにお弁当を作ることも多いのだと。それでわたし、料理人の方たちと――」

「要らん」

「え」


 あまりに簡潔な、布を裁ち切るようなきっぱりとした言葉に、一瞬、何を言われたのかわからなかった。口を開けたまま呆けるリデルに、夫はますます不機嫌な表情になり、固い声で告げる。


「必要ないと言った。俺が、貴女にそんなことを頼んだか?」

「い、いいえ、ですが……」


 震える手で、リデルはドレスの裾を握りしめる。

 確かに、夫はリデルに何かを頼んだことなど一度もない。

 領地のことはすべて彼が取り仕切っているし、優秀な部下や使用人たちも大勢いる。手は十分に足りていた。

 だからこそ、そんな中でも何かできることはないかと、自分なりに考えた結果だったのだが――。


「貴女は何もしなくていい。余計なことなどせず、大人しくしているんだ」


 そう言い捨てて、夫は振り返りもせずドアから出て行った。

 残されたリデルは泣きそうになるのを必死でこらえ、かごを差し出したままの状態で固まっていた腕を、力なく落とす。

 そうしてとぼとぼ食堂へ歩いて行き、テーブルの上でかごの蓋を開けた。


「余計なこと、か……」


 ゆでた海老と玉子サラダ。

 ピクルスにハム、トマト。

 栄養たっぷりの具材を挟んだパンが、丁寧に詰められている。

 料理人たちから教えてもらって一生懸命作ったサンドイッチ。料理をした経験なんて一度もなかったから、指を切ったり火傷したりしながら、下手なりに頑張って練習した。

 ようやく他人に出してもいいだろうレベルになったから、オスカーに食べてもらいたかったのだけれど……。彼にとっては、ただの迷惑だったらしい。

じんわりと、また目頭が熱くなる。


「あら、奥さま! どうなさったのですか。そのかご、旦那さまにお渡しすると仰っていたサンドイッチでは?」

「ご迷惑だったみたい。必要ないって」


 食堂に入ってきた侍女のミーナに、リデルは淡く微笑んで答える。

 ミーナは目を丸く見開いて驚きをあらわにし、その後すぐ、怒りだした。


「せっかく奥さまが頑張って作られたのに! 必要ないなんてあんまりですわ! それに結婚してからずっと、奥さまをろくに顧みもせず――」

「そんなこと言ってはだめよ。わたしの下手なサンドイッチより、騎士団の食堂で出てくる料理のほうがいいに決まっているもの。そんなことにも気付けないわたしが悪かったの」

「奥さま……」

 

 ミーナが痛ましげな目を向ける。空元気を出してみたが、やはり無理しているのが伝わるのだろうか。

 結婚してひと月。

 その間、オスカーとリデルの距離が縮まる気配は少しもない。

 初めは、そういう人なのだろうと思っていた。騎士団長まで務めているほどの立派な武人だ。自分にも他人にも厳しい、生真面目な性格の人なのだろうと。

 けれど、どんなにリデルが歩み寄ろうとしても、オスカーはにこりともしなかった。

 それどころか、リデルを避けているようにさえ思えた。

 彼がリデルの部屋を訪れたことはないし、その逆もない。つまりふたりは、初夜すら終えていないのだ。


 落ち込むリデルを、ミーナは優しく励ましてくれる。

 旦那様は美しい奥さまを前に、照れていらっしゃるだけですよ、と。

 だけど、リデルは自分が美しくないことを知っている。

 地味で、陰気で、一緒にいると気分が滅入る。そんな陰口を聞いたのも、十六年という人生で一度や二度ではなかった。


 だからこそ、リデルは初め、とても期待していたのだ。

 王である父から縁談を持ちかけられ、拒絶もせず自分を娶ってくれた夫と、仲良くやっていけるのではないかという期待を。

 夫となる彼にこれから一生懸命尽くし、寄り添って生きていこうと誓った。


 けれどそんなリデルの決意は早々にくじかれた。

 夫は初夜の晩、友人たちと朝まで飲み明かして過ごしたのだ。

 夫の訪れをいつまでも待ち続けたリデルは翌朝、寝不足の状態で、彼が一ヶ月にわたる領地の視察へ旅立ったことを知らされた。

 夫からの伝言も置き手紙もなかったため、何も知らないリデルにそのことを教えてくれたのは侍女頭だった。


 領主として、そして騎士団長として、彼が非常に多忙な日々を送っているのはわかる。けれどこのままでは、一生彼と話ができないまま終わってしまうのではないだろうか。

 自分に悪いところがあるのなら、直すから言ってほしい。せめてもう少し、共に過ごす時間を増やしてはもらえないだろうか。

 結婚してたった一ヶ月だが、リデルは夫と仲良くなれる日が来ることを、毎日祈り続けていた。 


「これはあなたが食べてくれる? 見た目は少しいびつかもしれないけれど、味は料理長の保証つきよ」

「でも……」

「そんな顔しないで」


 リデルは心配そうなミーナを安心させようと微笑む。


「大丈夫、旦那さまはお忙しいだけよ。きっとお仕事が落ち着いたら、もう少し一緒に過ごしてくださると思うわ」


 ――だが結局、そんな日が訪れることは一度もなかった。

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