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05.

 祖母の考えはこうだった。

 子爵令嬢として参加すれば嫌でも注目を集めるだろうが、庶民の娘として顔を出せば、特別気に留めるものなどいない。

 アダムのパートナーを演じるのはこの一回だけ。たった一度、夜会に顔を出した程度の『平民』の娘の顔を、わざわざジュリエットがデビュタントになる時まで記憶している者もいまい。

 幸いにして内輪向けの夜会ということで、参加者は主にアッシェンの騎士たちや、ごく親しい知人だけらしい。

 アッシェン領には社交界デビュー前のジュリエットの顔を知るような人間はいないし、ならば偽名が露見する可能性は無に等しい。


「まあもしものことを考えて、少しお化粧を濃くしておくのがいいわね。そうすれば、万が一あなたの顔を覚えた誰かと将来的に顔を合わせたとしても、他人のそら似ということで済ませられるもの。ほら、あなた前に言っていたでしょう。そこにいるメアリはお化粧がとても上手なんだと」


 ちらりと、祖母がジュリエットの背後に佇むメアリに目を向ける。

 確かにメアリの化粧の腕は抜群だ。彼女に頼めば百通りの自分になれる、とさえ感じるほどに。けれど。

 

「正体が発覚することをだけを心配しているのではありません。嘘をつくなんて、アダムさまに失礼だと言っているのです」


 祖母の話が本当なら、アダムはジュリエットを憎からず思っている。けれど『果樹園主の娘であるジュリエット』なんて、元々この世に存在しない。


「一度きりとお約束したとは言え、アダムさまはそのことで多少の期待を抱いたはずです。だって彼は、わたし自身が仮のパートナーとなることを承諾したと思っているのでしょう? なのに、よってたかって騙すような真似をするなんて……」

「だって仕方ないじゃない? 私は隠居した、それなりの資産を持つただの未亡人として、ここで生活しているのだもの。だから、この屋敷の名義もトーマスのものにしているのよ。なのに孫娘が子爵令嬢だなんて知られるわけにはいかないですもの」

「確かにそうですけれど、……でも」


 身分を偽ることは、ジュリエットの名誉だけでなく、祖母の安穏とした隠居生活を守るために確かに必要なのかもしれない。

 だけど、アダムは友人たちにちょっと見栄を張っただけの、純朴な青年なのだ。

 そんな彼を全員で騙し、真実を知らせることもないまま、浮かれる様子を黙って見ていろというのか。

 そんなジュリエットの考えに、祖母は怪訝そうな顔をする。


「あら、ジュリエット。あなたアダムとまだ会ってもいないのに、どうして彼の恋が叶うはずないなんて決めつけているの? もしかすればあなたのほうが、アダムを気に入る可能性だってあるのに」


 ジュリエットはぐっと言葉に詰まった。

 前世の記憶のせいで、騎士との接点をできるだけなくしたいからです、なんて口が裂けても言えない。

 アダムが祖母の言う通りの素敵な青年だとして、顔も性格も相性も何もかもが申し分なかったとして――。それでも準騎士だという一点において絶対に好きにならない自信があるなんて、どう説明すればいいのか。


「もしあなたがアダムを気に入らなければ、当初の予定通り一回きりという約束を守って、彼とはさよならすればいいわ。元々これは彼のほうから、自分を助けてほしいと言って持ちかけてきた話なのだもの。彼だって望みがないと知れば、それ以上無理してあなたに関わろうとはしないわ。単なる青春の一頁として、記憶の片隅に残るだけよ」

「それはそうですけれど……」

「逆にもし彼を気に入って誠実にお付き合いしようと思ったのなら、そこで正直に全てを打ち明ければいいだけの話よ。あなたが実は詐欺師や既婚者だったと言うのならともかく、彼だってそのくらいの嘘で機嫌を損ねるようなことはないでしょう」


 確かに、好意を持っている相手から『実は自分は果樹園主の娘ではなく子爵令嬢だ』と打ち明けられ、怒り出す人間はそうはいないはず。むしろ喜ぶ者が大多数だろう。それほどまでに、貴族令嬢に憧れている平民男性というのは多いものだ。

 一時の火遊びを楽しむつもりなら話は違ってくるだろうが、ジュリエットに限って言えばそういったことは絶対にありえない。男性とお付き合いをするのなら、結婚を前提とした清く正しい真面目な交際が絶対条件だ。


「ねえジュリエット。恋に身分は関係ないのよ。あなた、彼が準騎士だから自分には釣り合わないと思っているのではない?」 

「まさか! そんなこと考えてもいません」


 思いも寄らぬ問いかけに、ジュリエットは慌ててかぶりを振った。

 確かに準騎士は貴族ではない。働き次第によっては騎士となり、準男爵の位を叙爵されることもありえなくはないが、それでも青き血を重んじる者たちの間では、同じ貴族として認めない向きもある。

 本人の目の前で、成り上がり者と口に出して蔑む者すらいるほどだ。

 その事実を鑑みれば、婿の身分が準騎士というのは些か弱いかもしれない。しかしそれはあくまで、家を更に繁栄させ、国家の中枢に入り込みたいというような考えがある場合のみだ。

 

 フォーリンゲン子爵家は既にそこそこの領地と相当な資産を有しているし、両親はこれ以上を望んでいない。

 娘を出世のための道具として利用するつもりは微塵もなく、できれば本人が心から愛し尊敬できる相手と結婚してほしいと思っているらしい。

 もちろん現状を維持しつつ、血統を絶やさない程度の相手、という必要最低限の条件はある。貴族の結婚には国王の承認が必要であり、子爵令嬢と平民とが婚姻関係を成立させ、更に夫に爵位を継いでもらうのは不可能といってもいいだろう。

 しかし準騎士は、平民であって平民ではない。わかりやすく言えば、貴族に(、、、)片足を(、、、)突っ込んだ(、、、、、)ような身分なのである。面目を保つため、結婚に先んじて準男爵の位を授与された例も少なくはない。


 このようにある程度の条件付きではあるが、ジュリエットは結婚に関し、貴族令嬢としては破格の自由を与えられている。大抵の貴族は、娘をより条件のよい家に嫁がせるという野心を叶えるべく、目の色を変えて社交の場へ繰り出すものなのだから。

 つまるところジュリエットの結婚は、多少の制約で縛られつつも、ほぼ本人の意思に委ねられているも同然なのである。

 そしてジュリエットは、相手の身分に対してさほどのこだわりがなかった。


「わたしは、ただ……まだ自分が恋をしたり結婚するなんて、想像がつかないだけです」


 それは半分本当で、半分嘘。

 ジュリエットは既に、恋する気持ちを知っている。それが決して叶わないものだったからこそ、新しい出会いに積極的に踏み出せる気がしないのだ。


「最初は誰でもそんなものですよ。少しずつ少しずつ、手探りで暗い夜道を歩いて行くようなものなの。そうしてある日突然、深い穴にはまって抜け出せなくなる――それが、恋に落ちた時なのよ」


 そっと、祖母がジュリエットの両手を取り、優しく握りしめる。


「私はアダムを気に入っているし、彼があなたのお婿さんになってくれたらとても嬉しいわ。だけど、そんな気持ちが少し先走り過ぎたのかもしれないわね。あなたの意思を一番に尊重する気持ちでいたのに、あなたに相談もせず、勝手にアダムと約束してしまって」

「お祖母さま……」

「でもどうか、夜会に付き合うことだけはしてあげてほしいの。あなたが行かなければ、可哀想なアダムは恥を掻いてしまうわ。これも人助けだと思って。ね?」


 滅多に頭を下げない祖母から下手(したで)に出られ、ジュリエットはつい絆されてしまう。

 それに、関わらないのが一番だと決めたものの、やはり心のどこかに少しだけ、成長したエミリアをこの目で見てみたいという気持ちが残っていた。

 遠くから見るだけ。それ以上は望まない。言葉を交わさなくてもいい。

 ひと目だけでもエミリアの姿を見られれば十分だ。後は目立たず騒がず夜会を乗り切り、早めに城を立ち去ろう。


「――わかりました。お祖母さまのお顔を立てるためにも、アダムさまの仮のパートナーとして夜会に出席します。ですが、こんなことは今回限りですよ」

「ありがとう、ジュリエット。さすが私の孫娘だわ!」


 祖母があからさまに安堵の表情を浮かべ、破顔する。

 ジュリエットはそんな祖母をやれやれと見やり、すっかり冷め切った紅茶で喉を潤したのだった。


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