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【コミック全8巻】拝啓『氷の騎士とはずれ姫』だったわたしたちへ  作者: 八色 鈴
終章 拝啓『氷の騎士とはずれ姫』だったわたしたちへ
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01.

 その日の早朝、ジュリエットはひとり、アッシェン城の正門前に佇んでいた。

 季節はもう秋。木々を彩る葉の色は緑から赤や黄色へ。そして冬へ移り変わろうとする空気は冷たく、澄んでいる。

 

 夜明けを待つ薄闇と静けさの中、他にひとけはなく静かだ。

 もの寂しげな音とともに風がふきすさび、ジュリエットはそのあまりの冷たさに、肩から掛けていたショールを抱え込むように被り直した。

 そうしてしばらく経った頃。

 城の方から、旅行鞄を抱えた人影がやって来るのが見えた。


「ミーナ」

「リデル……いえ、ジュリエットさま」


 ミーナが軽く目を瞠る。

 周囲に見送りの者はない。オスカーが禁じたからだ。彼女にどんな事情があったとて、罪を犯すというのはそういうことだ。

 むしろ事件が落ち着いてから、今日この日まで城に置いてもらえただけでも十分な温情である。


「どうしてこちらへ……? 見送りは禁じられていたはずです」

「わたしはアッシェンの人間ではないのよ。少し命令違反をしたくらいで、文句を言わせたりしないわ」


 それにおそらく、オスカーはこの程度のことでジュリエットを咎めたりはしないはずだ。

 むしろ彼は、リデルとミーナの別れを邪魔しないために、使用人たちに見送りを禁止したのではないかと思う。


「ふふ、わたしもなかなか強くなったでしょう?」


 冗談めかして言うと、少し固かったミーナの表情がふっと和らぐ。

 彼女はしばらく無言でジュリエットを見つめた後、眩しそうに目を細めた。


「……いいえ、姫さまは元々強いお方でした。周囲からどんなに誹られようと、はずれ姫と呼ばれようと、決して誇りを失わなかった。いつも自分にできることを、精一杯探しておられました」

「あなたにそう言ってもらえて、とても嬉しいわ。わたしはきっと他のどんな誰より、ミーナにそう言ってほしかったんだと思う」


 野盗に立ち向かった時、本当は少しだけ怖かった。逃げ出したい気持ちもあった。

 けれど、己はミーナの主人であるという思いが、彼女を守らねばという思いが、リデルを強くしてくれたのだ。

 ジュリエットの言葉に、ミーナは一瞬だけ顔をくしゃりと歪めて泣きそうな顔をした。けれどすぐ、いつも通りの静かな表情に戻る。


「さあ、外は寒うございます。そろそろお部屋へお戻りくださいませ」

「ええ。それでは……身体に気をつけて」


 ジュリエットの横を、ミーナがすり抜ける。

 これから彼女は遠い北の地の修道院へ行く。修道院での生活はつましく、厳しいものとなるだろう。もう二度と、ジュリエットとミーナが顔を合わせることはない。

 

 その時ジュリエットの頭の中を、様々な思い出が駆け抜けていった。

 眠れない夜、たどたどしく絵本を読み聞かせてくれたミーナ。悪夢を見たと言って泣くリデルを、優しくあやして子守唄を歌ってくれた。

 隠れて台所に忍び込み、焼き菓子を盗み食いして共に叱られたあの日。手を繋ぎ、城の中庭を探検したあの日。

 そしてアッシェンに輿入れしたあの日──。


『大丈夫。姫さまには私がついていますからね』


 どんな時も、ミーナはいつもリデルのそばにいてくれた。


「──ミーナ!!」

 

 気づけばジュリエットは、遠ざかるミーナの背中を全力で追いかけていた。

 驚いたように振り向く彼女の数歩手前で足を止め、声の限りに思いの丈を伝える。


「生きていてくれてありがとう! エミリアのこと、ずっと見守っていてくれてありがとう! わたしは鈍感で、あなたの抱えていた思いにも気づけず、あなたを傷つけてしまったけれど……。あなたと出会えたこと、あなたがずっとそばにいてくれたこと、本当に嬉しかったわ」


 途中から涙が溢れ、前が見えなくなる。声は涙声で、顔もぐしゃぐしゃできっとみっともない有様だっただろう。

 けれどミーナは、そんなジュリエットを決して笑いはしなかった。


「私も……姫さまのようなご主人さまにお仕えできたことは一生の誇りです」


 そう言って、ポケットから取り出したハンカチでジュリエットの顔を拭いながら、泣きそうな、困ったような顔で笑う。


「もう……泣かないでください。せっかくの可愛らしいお顔が台無しですよ」


 そうしていると小さな頃、悲しいことがあるといつもミーナが飛んできて涙を拭いてくれたことを思い出し、ますます涙が止まらなくなった。


「姫さまが泣いていると、私まで悲しくなってしまいます」

「でも、ミーナも泣いているわ」


 いつの間にかミーナの目からもぽろぽろと涙の雫が溢れ出しているのを見たジュリエットは、とうとう堪らなくなって、彼女に抱きついた。


「元気でね。風邪を引かないでね。そしてたまにはお手紙をちょうだい。約束よ」


 その一つ一つに律儀に返事をしながら、ミーナは優しくジュリエットの背中を撫でる。


「さあ、姫さま。これ以上は名残惜しくなりますから」

「ええ……」


 やがて涙が止まった頃、二人は揃ってぐずぐずと洟を啜りながら、別れを惜しむようにゆっくり身体を離した。

 ミーナの目は赤く腫れ、鼻の頭が赤く染まっている。きっと自分も同じような顔をしているのだろう。

 そのことを気恥ずかしく思いながら、ジュリエットは照れ笑いを浮かべた。


「……あなたのこの先の旅路が良きものであることを祈っているわ」

「姫さまも、どうかご自分の心に正直に、ご自分の幸せのために生きてください。ミーナはいつでも、あなたさまの幸福を祈っております」


 そう言って、ミーナは一礼した。

 かつて王女に仕えた侍女にふさわしい、美しく優雅な礼だった。

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