21.
エミリアの消えていった方角をしばらく見つめた後、ジュリエットは改めてイーサンに向き直った。
「それで、あなたはこれからどうする気なのですか?」
「どう、とは?」
「娘を攫われたオスカーさまは、あなたを決して赦しはしないでしょう。エミリアから事情を聞けば、あの方はすぐ、アッシェン騎士団を率いてここまでやってくるはずです」
目立つことを嫌ったのか、ジュリエットが見た限り、イーサンが連れている手勢はそう多くはない。アッシェン騎士団が駆けつければ、すぐに全員捕縛されるだろう。
そしてオスカーが国王へイーサンの犯した罪を奏上すれば、いくらイーサンが王族に連なる血筋とはいえ、事態を揉み消すことはできなくなる。
それなのにイーサンは、さもおかしな質問をされたというように、またたきを繰り返した。
そして、心の底から面白がっているような軽やかな笑い声を上げる。
「あはははっ。君はやっぱりリルだ。純粋で、綺麗で、醜い考えなんて何一つ持ち合わせていないんだね」
「何を――」
「事を詳らかにしたら、困るのは君なんだよ」
危機感など微塵も持ち合わせていないというような顔で、イーサンがジュリエットに近づく。
一歩、また一歩。そのたびにジュリエットも同じだけ後退して、彼から距離を取った。
「ねえ、リル。私は今度こそ君を手放したくないんだ。だから、アッシェン騎士団が到着する前に、君を私の隠れ家へ連れて行って、君を私のものにする。そうすれば、あのアッシェンの若造も、さすがにうるさく騒ぎ立てることはできなくなるだろう?」
イーサンの言っている意味を瞬時に理解し、ジュリエットは全身の血が沸騰する思いだった。
確かに、オスカーがことの顛末を国王に報告してイーサンが罪人と認められれば、その事件は大勢の貴族たちに知られることとなる。
イーサンはきっと法廷で、声高に主張するだろう。
ジュリエット目当てでエミリアを誘拐したこと。
ジュリエットを己の隠れ家に連れ去ったこと。
そしてその隠れ家で、ジュリエットを己のものにしたこと――。
「なんて卑怯な……! そんな脅しに、わたしと旦那さまが屈するとでも!?」
「心外だね。これは決して脅しなんかじゃないよ。本気だ。それに……、エミリアの誘拐事件を追及することによって、君の名誉は地に落ちる。いくら君が彼にとって赤の他人とはいえ、そのことを知った上で陛下に私の罪を訴えるほど、あの男が冷徹になれるとはとても思えない」
ジュリエットは未婚の娘だ。そして未婚の娘が婚約者でもない男に純潔を奪われたと世間に知られれば、ジュリエット本人だけでなく一族全体の不名誉となってしまう。
娘が穢され、世間に白い目を向けられたとなれば、両親はどんなに悲しむだろう。その姿を想像し、一瞬怯んだ隙をイーサンは見逃さなかった。
「でも大丈夫、私は君を冷たい視線に晒させたり、日陰者なんかにしたりは決してしないよ。君が私のものになった暁には、正式に私の妻として迎えてあげよう。そうしたら、君は世界一幸せな花嫁になれる」
彼の目は、ジュリエットやその中にいるリデルを見ているようで見ていなかった。
彼の頭の中にあるのは自分のことだけ。リデルのことなど、きっとなにひとつ考えていない。
「昔言っていただろう? 物語のような幸福な結婚をするのが夢だって。あの男には叶えられなかったその夢を、私が叶えてあげる。……だからこちらへおいで、リル」
イーサンが、茫然自失とするジュリエットの手を取ろうとしたその時。
「――姫さまに触らないで!」
ざん、と空を切る音と共に、空中を赤い花弁のようなものが舞った。よく見ればそれは血だった。
どこからか取り出した短刀を手にしたミーナが、突然イーサンに斬りかかったのだ。
短剣はイーサンの腕を僅かに切り裂いたが傷は浅く、彼を怯ませるには至らなかった。
イーサンは怪我をしていないほうの手をすかさず振り上げ、躊躇なくミーナの頬に振り下ろす。
大きな打擲音が鳴り響き、悲鳴を上げたミーナが大きくよろけてその場に倒れ込んだ。
「驚いたな……」
起き上がろうとする彼女の手を靴底で強く踏みにじりながら、イーサンが淡々と呟く。
ミーナが呻き声を上げたが、彼は決して容赦しなかった。
「飼い犬が主人の手に噛みつくなど、一体どういうつもりだ? ミーナ」
その声は静かだったが、確かな怒りを孕んでいた。





