変人28号 〜ラブコメ未満の幼馴染〜
幼馴染、虹雨鉢子は変人だ。
全体的にこじんまりした体、伸び放題のボサボサ髪、瓶底のような眼鏡。普段は本ばかり読んでいて、一見すると地味・無口・無害と三拍子揃ったモブキャラでしかない。
だが、彼女はこの近所で有名だった。数ヶ月に一度のペースで、何かしら「やらかす」のだ。
大小様々な事件があった。
授業中に教室内でホースを使って水撒きをし、クラスメイトをびしょ濡れにする。小悪魔メイクと称して、大悪魔のような白塗り化粧&スーパー野菜人の頭髪で登校する。馬の面を被って鉄パイプをガラガラと引きずりながら夜中の散歩をした時は、警察が出動する騒ぎまでなった。
その度、俺は言われるのだ。
「正太郎、変人28号をなんとかしろ!」
無茶を言うな。
家は隣だし、保育園から高校まで同じ腐れ縁だ。でも、俺の手元には変人を操るコントローラーもなければ、暴走を止めてやる義理もない。ないったらないのだ。
ちなみに、変人28号とはハチ子のあだ名である。
高校生初めての夏休みまで一週間。
定期テストも終わり、新しい友人ともすっかり打ち解けて、少々浮かれた気分で帰り支度をしているときだった。
俺のもとに静かに近づく影があった。
忍者かと思うような薄い気配に顔を上げると、予想通りの人物がうつむき加減に佇んている。
「ハチ子? どうした」
「……………しょーちゃん。これあげる」
そう言ってハチ子が手渡してきたのは、ヘンテコな箱だった。
色紙で包まれた空のティッシュ箱。側面にはストローがセロハンテープで貼り付けてあり、表面には五つのボタンがくっついていた。ボタンにはそれぞれ、あ・い・う・え・お、と手書きで一文字ずつ書いてある。
あ、これ見たことあるぞ。
確か教育番組の──。
「……はちこコントローラー」
「え? なんちゃらスイッチじゃなくて?」
「これを使うと、私に命令ができる……ボタンを押しながら、書かれた文字から始まる命令文を宣言すると、ストローアンテナからロボットはちこに命令が届く。私はその通りに実行する」
「どんな命令でも?」
「……ん。どんな卑猥でハードな命令でも──」
「待て待て待て待て」
教室にはまだ大勢のクラスメイトがいる。そして、みんな俺たちを見てヒソヒソ話を始めていた。漏れ聞こえてくるのは「あの二人ってそういう関係……?」「見せつけやがって」「虹雨さん意外と大胆だね」のような勘違い発言ばかりだ。
ハチ子の顔を見る。口元が動いていないため、他人から見れば無表情に見えるのだろう。だがその目は、イタズラが成功して楽しそうにしている時のものだった。
「…………しょーちゃん、言ってたから」
「な、何をだ」
「はちこを操るコントローラーが欲しいって」
ハチ子の眼鏡がキュピーンと光る。
キャー、という女子の下世話な悲鳴。男子諸兄はニヤニヤしながらうんうんと頷いている。違う、そうじゃないんだ、という弁明はこの場では通用しないだろう。
──最悪だ。
「……ご命令を。『あ』からどうぞ」
「あ? あー……」
何も思い浮かばない。ただ、クラスメイトの視線がとにかく痛かった。一刻も早くこの場から立ち去りたい。ひたすらそれだけを考え、俺は破れかぶれで命令した。
「あ、アイスでも食いに行くか。とりあえず」
「……ぷふっ」
横を向き、ぷるぷると肩を揺らすハチ子。
くそ、耳まで赤くして笑いやがって。今日こそは絶対に反省させてやる。
クラスメイトの生ぬるい視線を浴びながら、俺たちは連れ立って教室をあとにした。
歩きながら考える。
残るコントローラーのボタンは四つ。い・う・え・おから始まる命令をハチ子に下すことができる。これで、どうにかギャフンと言わせてやる。
ただ、相手はハチ子だ。
生半可な作戦では裏をかかれてしまうだろう。
「…………何考えてるの? しょーちゃん」
「な、なんでもねぇよ」
「では、次のご命令を。次は『い』から始まる命令が可能です。私のオススメは淫──」
「何も言うな。嫌な予感がする」
「もしくはイケナイ遊──」
「黙れ。お前今絶対女子が口にしちゃいけないこと言おうとしてたろ。そういうのダメだからな。俺相手なら冗談で通るが、他の男に変なこと言ったら何されるか分からんぞ。もっとこう、女としての自覚を持ってだなぁ」
俺がくどくどと説教をしていると、ハチ子は珍しく下を向いて黙っている。まぁ、まだ今回は誰に迷惑をかけてるわけでもないしな。少し言い過ぎたかもしれない。
ハチ子は俺の顔を見上げ、小さな声で告げる。
「……わかった」
「そ、そうか」
「……私は別に卑猥なことを言おうとなんてしてないけど、しょーちゃんの頭の中はそういうことで一杯なんだってことが、よく分かった。気をつける」
「ぬ……ぬおおおおおぉぉぉぉぉ」
くっそぉぉぉ。
髪をかきむしる俺の横で、ハチ子は涼しい顔をしてスキップをした。このやろう。もういい。手加減なんてしてやらないからな。
「……もうすぐアイス屋さん」
そう呟いたハチ子の視線の先には、ショッピングモールがあった。映画館から服屋、スーパーや雑貨屋まで入っている。のんびり過ごすにはうってつけの場所だ。
ここの一階に、全国チェーンのアイス屋がある。ハチ子が頼むアイスの味はいつも同じで──。
そこまで考え、俺は閃いた。
ベンチに座り、二人でアイスを食べる。
俺はいつものチョコミント。ハチ子もいつものイチゴミルクだ。相変わらず無表情に見えるが、眼鏡の奥の目は愉悦に揺れている。
計画通り。俺は「はちこコントローラー」を取り出すと、おもむろにボタンを押して命令した。
「命令『い』。イチゴミルク味、俺にも味見させてくれよ。嫌とは言わないよな。くくく……」
そう言って、彼女の手からアイスを奪う。
そのままガブリと齧り付き、ゆっくりと咀嚼する。口の中いっぱいに甘酸っぱい味が広がっていった。たまにはこの味も悪くないな。
俺の狙いは「間接キス」だ。
おそらく動揺したハチ子は、大好きなイチゴミルク味のアイスなのに、羞恥に悶えて心の底から味わえないだろう。くくく、完璧な作戦だ。
勝利を確信しながらハチ子に目を向ける。
「…………ん。チョコミントも悪くない」
ハチ子は俺のアイスを食べていた。
しかも、表面を全体的にペロペロと舐める形で、だ。
「い、いつの間に俺のアイスを……?」
「……イチゴミルク渡すとき、交換でもらった。もしかして無意識だった?」
そう言って、チョコミントを俺に返してくる。
どこから見ても、ハチ子が舐めていない場所は残っていない。これでは、俺のほうが間接キスになってしまう……!
愕然とする俺の顔を、ハチ子はジッと覗き込む。
「……ごめん。勝手に食べて。もう少し返す」
「返す?」
「まだ口の中に残ってる。これだけでも……」
ハチ子は俺の膝の上に乗ると、両頬をつかんでくる。小さな口を少し開き、それを俺の口へと近づけてきて──。
って待て待て待て。
「い、いらんいらん」
「そう。残念……ぷふっ」
ハチ子は盛大に吹き出すと、くつくつと肩を揺らしながらベンチに座り直す。そして、自分のイチゴミルクアイスを普通に食べ始めた。間接キスなど気にもしていないらしい。
悔しい。今回の作戦は失敗だ……!
「ママー、あのおねえちゃんたち、らぶらぶ」
「うふふ。邪魔しちゃだめよ?」
親子連れらしき会話が聞こえてくるのを無視して、俺は次の作戦を練り始めた。チョコミントアイスには、ほんのりとイチゴミルクの味が混ざっていた。
ハチ子は、雑貨屋で買ったウサギ耳のカチューシャを恥ずかしげもなく身に着けていた。白いフワフワの手袋も妙にマッチしている。
無表情のまま、抑揚のない声を出す。
「……命令通り、ウサギの格好で語尾をピョンにしてるピョン。満足したピョン?」
時おりピョンと飛び跳ね、俺の反応を見ては楽しそうな目をして笑う。
「くっ……なぜ平然としてるんだ」
「しょーちゃんの趣味に付き合ってるだけピョン。周りの人も、どちらかというと私よりしょーちゃんのことをジロジロ見てるピョン。女の子にウサギの格好をさせる男子高校生ピョン」
いや、そんなことはないだろう。
周囲に目を向けても、俺個人というより俺たち二人を見てヒソヒソと話しているような……。
それはそれで嫌だ。
というか、馬の面を被って平然と街を練り歩けるハチ子なら、ウサギの格好くらい余裕だろう。なぜこの命令にしてしまったんだ……。
「や、やっぱりやめないか。その格好」
「……だめピョン。命令は絶対ピョン。次の命令は『え』、どうするピョン?」
完全に劣勢だ。
だが、今はとにかく周囲の目が痛い。俺を煽るようにピョンピョン飛び跳ねるハチ子も邪魔だ。人目を気にせず、どこから落ち着いて作戦も練られる場所はないか……。
「……落ち着ける場所を探してるピョン?」
ハチ子の眼鏡がキラーンと光る。
「やめろ。ハチ子が言うとなんか卑猥だ」
「……何も言ってないピョン。思春期男子の脳内は度し難いピョン。すぐそこにカフェがあるから少し休もうか提案しようとしただけピョン。今回は本当ピョン」
「お前このやろう、ホントこのやろう……」
顔が熱いのを自覚する。
違うのだ。こんな人の集まる場所で、辱めを受け続けるうちに脳の思考回路が普段と違う感じになって、いつもなら思いつかないようなアレコレが頭に浮かんで──。
ハチ子!
楽しそうな顔するな!
「……次の命令は『え』だピョン」
「くっ……」
周囲を見渡す。
どこか、どこか逃げ場は……。
そうだ、ひらめいた。
「命令『え』。映画を見るぞ。他のお客さんの邪魔だからウサギも終了な。これで作戦を立てる時間は十分。次の『お』を覚悟しろ、ふはははは」
高笑いする俺に、親子連れの視線が刺さる。き、気にしないぞ。これも勝利のためだ。
さぁ、ハチ子よ覚悟しろ。
「……いいけど、帰りが遅くなるから家に電話しておく。しょーちゃんちにも伝えておいてもらう?」
「あ、じゃあよろしく」
お隣さんだもんな。
ハチ子はウサギのカチューシャを外しながら、ものすごく普通のテンションで「帰りが遅くなる」「しょーちゃんと映画見てくる」「しょーちゃんちにも伝えといて」と電話していた。
なんで俺、高笑いとかしてたんだろう……。
恥ずかしい。
映画館を出ると、すっかり日が暮れていた。
子ども向けのアニメ映画だったが、悪くなかったと思う。それなりには楽しめたかな。
「しょーちゃん……涙の跡が残ってる」
「え、あ。いや、ばか、泣いてねぇよ」
「……無理しなくていい。私も感動した」
「う……。まぁ、けっこう良かったよな」
「……ん」
俺とハチ子は、だいたいツボが似てるからな。
健気な子どもとか、優しいおばあちゃんとか、頑張る犬猫とか、そういうベタな奴にすごく弱い。子どもの頃は、よくDVDなんかを見ながら一緒に鼻水流してたもんなぁ。
映画についてアレコレと話しながら、晴れやかな気持ちで家路につく。今日は久々に楽しかった。
……何か忘れてるような気がするけど。
「しょーちゃん」
「ん?」
「最後の命令は『お』。どうする?」
「あ……」
す、すっかり忘れてた。
普通に映画を見て満足しちゃってたし……うわー、どうしよう。
俺は頭を掻きながら、空を仰ぐ。
雲ひとつない星空の中、三日月はやけに綺麗に見えた。
「……どんな命令でもいい。誰にも言いふらさないし、馬鹿にもしない」
「あぁ、それは分かってるよ」
分かってる。ハチ子はハチャメチャなこともするけど、本当に人が嫌がることはしないんだ。だから俺も、なんだかんだハチ子に付き合っちまうんだけど。
「……しょーちゃんなら、本当に何してもいい……してほしい。私に可愛げがないのは知ってるけど」
ハチ子は足を止める。
俺は彼女の前に立ち、頬を掻く。
別に俺は、ハチ子の容姿も悪くないと思ってる。
男がみんな巨乳好きだと思うなよ。髪はもう少し手入れしてもいいと思うけど。瓶底メガネの奥の目は、意外とまつ毛が長いのを俺は知ってる。
ハチ子のメガネを外す。
悔しいけど、嫌いじゃないんだよな、この顔。
「命令『お』。俺と……」
「…………ん」
ハチ子の肩が、少し震えている。
俺は彼女の手を取ると、大きく深呼吸をした。
「……俺と、手繋いで帰るぞ、昔みたいに。このメガネは家につくまで預かっておく。前見えないだろ、へへん」
自分でも何を言ってるのか分からないまま、胸ポケットにハチ子のメガネを挿し、手をとって歩きはじめる。昔はよくこうして歩いたよな……。
結局、今日もハチ子には勝てなかった気がする。
「……しょーちゃん」
「ん?」
「ヘタレ」
「くっ……」
繋いだ手は少し汗ばんている。
でも、今さら離すことはできなかった。瓶底メガネがないと、ハチ子は歩くことすら覚束ない。なにより、コントローラーの命令は絶対なのだ。
翌日の放課後だった。
俺のもとに現れたハチ子は、またもや自作のコントローラーを手に持っている。書いてある文字は、か・き・く・け・こ。昨日と同じパターンだろうか。
ハチ子の顔を覗き込む。
「はちこコントローラー?」
「……似てるけど、少し違う」
ハチ子のメガネがキュピーンと光る。
クラスメイトは既にニヤニヤしていて、俺達の会話に耳を傾けているようだ。なんだか嫌な予感がするが……。
「……これは、しょーちゃんコントローラー」
「へ?」
「……命令『か』。覚悟して。昨日のようにヘタレさせない。今日で決める」
おぉ、というクラスメイトのどよめき。
俺は白目をむきそうになる。
ハチ子はいつものように表情を動かさないまま、メガネの奥で楽しそうに笑った。