第17話「悪魔の毒刃」
最早サソリとしての面影は失われていた。
確かに節足は両側に4本ずつ生えてはいるが、それだけしかサソリの要素はない。
本来あるはずのない人形の上半身が存在し、背中から2本のはさみが触手のように生えている。
さらに右腕は細長く尖った槍のような形状になっており、刀身は5メートルくらいある。
低い唸り声をあげ、赤黒く光る瞳からは尋常でないほどの殺意を感じる。
そして何より先程よりも1回り大きく、ただならぬオーラを放っている。
ユイはそれで目を見開き、腰を抜かしかけてしまいそうになっていた。蛇に睨まれた蛙というのはまさにこの事かもしれない。
足元が震え、全身に恐怖心による悪寒が走る。頭に流れている血液が一気に引いてしまい、立ちくらみすら感じる。
ここで座りたかったのだが、そうすると本当に動けなくなってしまうのではないかと思い、なんとか踏ん張った。
そして腹をくくり、覚悟を決めた。
「こうなったら最後まで戦って足掻いてやる」
ユイはステッキを巨大サソリに向けて構えた。
すると巨大サソリは獣の雄叫びのような砲口をあげた。それが建物の壁や天井を反射して、ユイの全身へビリビリと伝わっていく。
そして巨大サソリは長く尖った右腕を上空に振り上げ、ユイ目掛けて勢いよく振り落としてきた。
不意討ちであったため瞬間移動することはできなかったが、寸でのところでユイは反射的に後方へ避けた。1歩手前の方で巨大な針が地面に突き刺さり抉られる。しかしその抉られ方が先程よりも深くなっているように見える。
「さっきより攻撃が強い」
ユイは着地するや否や少し狼狽えてしまうが、すぐに自分も攻撃準備に入ろうとする。
止まったままだと狙われやすいので、空中を動き回りながらエネルギーを貯めようと考え、地面を蹴って飛び上がった。
すると一瞬で天井すれすれのところまで宙に浮いて静止したのだ。
別にそれほど強く蹴ったわけでも、能力を発動する時のように強く念じたわけでもない。なのにそれができるということは、おそらく空中浮遊は意識的に発動させるものではないということが推測できる。
何にせよ、これで心置きなくエネルギーの充填に集中することができるということだ。
それが理解できたところで、ユイはステッキを両手で握り、その先端にエネルギーを収束させた。光の粒子が一点に集り、光球へと形成され膨張していく。
当然のことだが待ってくれるはずもなく逆にそれを妨げようとする。巨大サソリは地面から勢いよく腕を抜き取り、背中に生えた2本の触手を伸ばし襲い掛かってきた。どうやら触手の先端のはさみで拘束するつもりらしい。
しかしユイはそれを意図も簡単に避けた。多少避けるよう意識したもののほとんど自分の意思は干渉していない、ほぼ無意識の状態である。
それからは巨大なはさみと空中でおいかけっこする形になり、気づくと光球は先程巨大サソリを吹き飛ばした時と同じ大きさに膨張していた。
「よしこれでもう1度」
そう歓喜したそのときだった。
ふと目の前を見ると、巨大サソリの右腕の尖った先端部分がこちらに迫ってきていた。
「いっ!」
ユイは咄嗟に止まろうとした。しかし高速で空中移動しているため急に止まることができず、針は光球を捕らえてしまった。
光球は巨大な針に数ミリほど貫通したところで眩い光を放って爆発した。
「きゃぁっ!」
ユイは短い悲鳴をあげ、激しい衝撃と爆風により大きく後方に吹き飛ばされてしまう。
壁に背中を強打するとそのまま滑り落ちるように地面に倒れた。この時初めて受けた痛みにより踞ってしまう。
痛い、恐い。
そしてこの2つの感情により、ユイの中の恐怖心が増幅されていく。
しかしそんな状態になってしまっても、更なる恐怖が容赦なくユイに襲い掛かる。
仰向けになったところで、突然2本の巨大なはさみでユイの両腕を鷲掴みにされ、地面に押さえつけられてしまう。
ユイは驚き、そして恐る恐る顔を上げた。
そこには巨大サソリが眼を赤黒く不気味に光らせて、こちらを睨んでいた。禍禍しいオーラを放ちながら、殺すことを今か今かと待ちわびているように見える。
まずい、早く逃げないと。
ユイは瞬間移動するよう強く念じた。
しかしどこに移動すべきか全くイメージすることが出来ない。それどころか余計に焦ってしまい、考えがまとまらなくなってしまう。
そうしているうちに巨大サソリは右肘を引き、針の先端をこちらに向けて狙いを定めていた。
これを見たことで、ユイの思考は完全に『恐い』という文字で侵食されてしまう。全身からは冷や汗が滲み出て、焦りがさらに増幅されてしまう。
とにかく腕を押さえつけられているはさみを退かそうと必死で動かした。しかし、強く挟まれているせいでびくともしない。
「離して、離してよ!」
最早届きもしない願いを大声で叫ぶしかない。
「離してよ、離」
ドスッ
直後、腹部に違和感を感じた。
ユイは恐る恐る下の方に視線を向けた。そしてそこに写る異様な光景に目を見開いてしまう。
巨大な針が突き刺さっているのだ。そして抜き取られるとそこから夥しい量の鮮血が滲み出るように吹き出してきた。
「ぅわああぁぁぁ」
吐血と共に、悲痛な叫び声をあげてしまう。
傷口から今までにないほどの尋常でない痛みと熱さ、そして痺れで全身を蝕んでいく。息も過呼吸でまともにすることができない。
痛い、苦しい、熱い。
その言葉で脳内で埋め尽くされていき破裂してしまいそうだ。
腕を押さえつけているはさみを外されると、風穴を開けられた腹部を押えもがき苦しみだす。
じわりと視界が涙で歪んでいき、情けないほど泣きわめいてしまう。
それからしばらくして意識が朦朧とし、体が言うことを聞かなくなってくると大の字になった。呼吸も薄くなり、痛みすら感じなくなっている。
ああ、わたし死ぬんだ。
そう思うと、徐に頭を横に向けた。
するとぼやけてよく見えないが確かに人の影が見えた。
「・・・・・ミツ・・・・・・キ・・・」
確信はないがなんとなくそう思った。いや、そうであってほしかったのかもしれない。
不思議な気持ちだった。普段当たり前のようにいる存在がこんなにも愛おしいなんて。
「ああ・・・・・・そうか・・・・わたし、やっぱり・・・・・あなたの・・・・こ・・・とが」
その言葉を最後にユイの意識は途絶えた。