第13話「後悔のその先」
ユイは違和感を感じていた。
つい先程いかにもやばそうな雰囲気の女性に火の玉のようなものを投げつけられた。それが本物の火の玉か、それとも違うかは定かではないが、とにかく体に何かしらの異常があるはず。
しかし、今感じている感覚は明らかに体そのものというより、外的によるものだった。
ユイは今の自分の状況を知ろうとゆっくり瞼を開いた。
すると目の前に女性の顔があった。しかし先程までの不気味な笑みは消え、目を見開いてどこか焦っているような表情に変わっていた。
そしてさらに下の方を見ると、首筋から肩、背中のラインまで見えたところで、今自分が女性に押し倒されていることに気づいた。
「・・・・・・・・あ・・・え」
突然のことでどうしても動揺が隠し切れず、声がうまく出ない。
いったいなんでこんなことになっているの。
状況が読めず、混乱するユイ。
すると女性は密着している体を離し四つん這いになり、
「大丈夫?怪我とかしてない?」
と早口で聞いてきた。
とても先程とは全く違う雰囲気で別人のようだ。
「え?あ、はい」
ユイは慌ててそう伝えた。
多分、押し倒されたことでどこかしら擦り傷や打ち身はついていると思うが、それに気づいたのはもうしばらく後だ。
すると女性は一瞬だけ口元に笑みを浮かばせると傍らに退いた。横を振り返り、視線の先を睨んだ。
ユイも起き上がり、女性が見ている方向を目で追った。
7メートルくらい離れた位置、人ではない何かが夕日に照らされている。
そのシルエットはまるでサソリのような形をしていた。
いやそんなはずはない、日本にサソリなんか。
ユイはそう思いながら自分の見ているそのシルエットに目を疑い、もう1度よく見てみることにした。
胴体から短い脚が左右に5本ずつ生えており、そのうちの手前側のは巨大なはさみとなっている。そして何より特徴的なのは、全長10メートルくらいの長さの細長いしっぽ、その先端には鋭い針が尖っている。
これはどう考えてもサソリそのものの見た目だ。
ただ違うとすれば、サソリにしてはやけに大きすぎるということ。
ユイは今まで境遇からそのサソリの正体をなんとなく察することができた。
「・・・・・・・・魔物」
そう、今魔物が目の前にいる。みらいショッピングモールで大量殺戮を行ったあの怪物と同じ存在がまた再び自分の前に姿を現した。
「よりにもよってこのタイミングで来ますか」
女性は左手でユイを庇いながら、舌打ちをした。
巨大サソリは細長いしっぽをうねうねさせ先端の針をちらつかせている。そして8本の節足を器用に動かしながらこちらに近づいてくる。
ユイの中の恐怖心も、その度にどんどん膨れ上がっていく。
今真横で膝をついている女性に感じていたものとは違う、はっきりと確信できるほどの『死』の恐怖。
鼓動が早くなり、喉が渇くほどの過呼吸で吐き気すら感じる。全身に流れていた血が一気に引き、めまいや寒気がする。
ショッピングモールでの魔物騒動の時は、遠くからしか魔物を見ることができなかったが、今こうやって面と向かって見ると確かにそれが伝わってくる。おそらくミツキも・・・・・。
すると突然両肩に何かが触れる感覚がした。
はっと我に返ると、女性が顔を覗き込んでいた。そしてまた早口で話し出す。
「ここで時間を稼ぐから、あなたは早く逃げなさい」
「え?」
「早く!」
そう言われると、ユイは慌てて立ち上がり、振り返って走り出した。
巨大サソリはそんな逃げだすユイの背後目掛けて、勢いよくしっぽを伸ばし鋭い針を突き出してきた。
しかしそれは、女性が翳すことで出現させた魔力壁によって阻まれ、金属音が鳴り響くと激しく火花が散り弾かれた。
「行かせない」
女性が巨大サソリの前に立ちはだかる。
ユイは無我夢中で走り続けた。
とにかく道に沿って走って行き、突き当りに当たると適当に右へ左へとやみくもに進んでいく。
途中、大きくカーブしたところのごみ置き場で、置いてあったごみ袋を蹴散らしてしまったが、元に戻す余裕もなかったので無視してしまった。
とにかく早く、もっと遠くに・・・・・・。
ユイは中学時代、陸上をやっていたためそれなりに持久力はあった。それでも、中学3年になって引退してから半年くらい経っていたため、大分体力は落ちてしまっているが。
呼吸をリズムよくすることができない。髪も乱れていき、全身から汗がにじみ出ている。足も鉛をつけているみたいで重い。手に持っている学生鞄なんて手放したいくらいだ。
それでもユイは、そんなきつさ辛さを我慢して走り続けた。
それからしばらくしてとうとう体力の限界が来てしまい、膝に手をついて立ち止まってしまった。もう足も震えてとてもじゃないが走れそうにない。
ユイは呼吸がある程度落ちついてから顔を上げ、乱れた髪を指で退かして現在地を確認した。
見るとそこは薄気味悪い廃れた廃工場だった。
建物の外装は所々が錆びついていて、ボロボロになっている。看板も外れていたり、汚れていたりでまともに読むことができない。そして何より埃っぽく、油臭い。
正直、普通は柵がなくても絶対入りたくないが、今回ばかりは何処でもいいから隠れられて休むことのできいる場所で休みたいという気持ちが勝ってしまった。
入り口にはチェーンで繋がれていたり、『立ち入り禁止』の看板が刺さっている訳でもなかったので大丈夫だと考え、勝手に敷地内に入ってしまった。
辺りを見回すとかなりの広さで、だいたい3000坪くらいはあると思う。所々に鉄の柱がピラミッド型に山積みにされ、ブルーシートが被さっている。
察するに、ここはその鉄の柱を製造する工場だったのだろう。
それからよろめきながら中の方へ歩いて行き、建物の内部へ入った。
そこは外もそうだったが、それよりも殺風景な空間が広がっていた。
あるとすれば、入り口の左脇に鉄パイプが数本束になって紐にくるまれ、壁にもたれ掛かっているだけ。本来窓があったと思われるところは、四角くくりぬかれていて、そこから入るそよ風は肌寒さを感じる。
ユイはその入り口の右脇に座り込み、学生鞄を脇に置くと膝を屈めた。自分の無力さと臆病さに絶望しながら。
「逃げてしまった。あの時みたいにまた逃げてしまった。」
ユイは罪悪感という負の感情に侵食されかけている。
確かに女性は逃げろと言い、ユイは言うとおりにそうした。しかし、それは自分自身の望みでもあった。
目の前に刃物を向けられたことで、生まれて初めて死の恐怖を味わい、すぐさまその場から逃げ出したい気分になっていた。
ただその行為は一緒にいた女性を見捨てることに繋がってしまい、自分の中の善意がそれを許さず、必死でその気持ちを押さえ込んでいた。
そして女性のあの一言だけで簡単にその縛りが解かれてしまい、逃げてしまった。
あの時と同じように。
ショッピングモールでも、実際には殺されかけていなかったが、逃げ出したい気持ちと友だちを助けたいという気持ちが天秤のように揺れ動いていた。
しかしそれもミツキの逃げろという言葉で、逃げ出したい気持ちの方にあっさり傾いてしまった。
つまり、同じ過ちを2度も繰り返してしまったことになる。
いや、他の人からしてみれば間違いじゃないかもしれない。なぜなら戦う力もないし、逃げるのが賢明な判断に違いない。
それでも、どうしても許せなかった。
だって、誰かを見捨てて自分だけ助かろうなんて、卑怯で最低じゃないか。
ユイは顔を埋めると、膝を両腕で強く抱いた。
「わたしに力があったらこんな思いしないで済んだのに・・・・・・・」
少女の泣き声が、建物の壁を返して寂しく響き渡る。
ユイは目線が膝から見える辺りまで顔を上げ、横に置いてある学生鞄に視線を向けた。するとチャックを開け、中に手を突っ込んで漁りだした。そして中で目当ての物が指に触れると、それを掴んで引っ張り出した。
それはかなり年季の入ったハンターケースの懐中時計だ。
外装はシルバーで、所々に小さい傷が入っている。リューズの部分はスイッチになっており、そこを押すと蓋が開くようになっている。
ユイは懐中時計を掌に載せ、人差し指でスイッチを軽く押し、蓋を開けた。文字盤が露出されたが、時計の針は『11:36』で止まっている。
つまり、壊れているということだ。
なぜこんな壊れた懐中時計なんか持ち歩いているかというと、これはお守りでもあり、前の持ち主の形見でもあるからだ。
裏蓋を見ると、アルファベットで名前が彫刻されている。
『Hajime』
それが前の持ち主の名前であり、ユイの父親の名前だ。
これをもらったのは中学入学してからすぐ、母親から入学祝いとして
壊れていたものだから最初がらくたを押し付けられたかと思っていたが、母が、
「これね、お父さんがもっていたものなの。ほんとは私の宝物なんだけど今日からユイちゃんの物だよ。だからきっとこれがあなたを守ってくれるわ」
と笑顔で言われたものだから、断れずに受け取ってしまった。
正直、懐中時計持ち歩いている女子高生なんて今どきいないのだから、滅多に人前で取り出したりしない。
因みに最後に懐中時計を外に取り出したのは、高校入学前に中学の鞄から高校の鞄に入れ替えた時だけ。本当は自分の引き出しの中にしまっとこうと考えたが、それだとせっかくくれた母に悪いと思い今も持ち歩いている。
お守り、といっても何も効果はないことは実証されている。
なぜなら、ここ最近よくわからない怪物の被害に遭い、つい先程殺されかけたのだから、お守り効果なんて信じられるはずがない。
ユイは怒りが込み上がったせいか、懐中時計を強く握りしめた。
「何が守ってくれるよ。寧ろ散々な目に遭ってばっかじゃない」
それから思わずそれを地面に叩きつけようとしたが、自分の中の自制心がそれを止めた。そして、そんな情けない自分に激しい嫌悪感を感じ、下唇を強く噛み締めた。
悔しい、本当に悔しい・・・・・・・・・・。
そう思った次の瞬間だった。
突然、左の方で何かが千切れる音と、金属が擦れるとが聞こえたのだ。
ユイはそれに反応するように振り向くと、壁に寄りかかった鉄パイプ、でもどこか様子がおかしい。
じっくり見ようとしたが、天井の隙間から出る夕日の光が眩しすぎてよく見えない。なので、光を遮るように手を額に当て、目を逸らして見てみることにした。
細かく揺れる鉄パイプを上から順に見ていくと、真ん中の方で縛っていた紐が今にも千切れそうになっていた。
「うそでしょ!?」
ユイは慌てて立ち上がろうとしたが、足元がふらついてうまく動かせない。
「ブチッ」
紐が切れる音がすると、束になっていた鉄パイプは擦りあいながらバランスを崩し、その何本かがユイの方に倒れてきた。
もうだめ・・・・・・・・・・・・・・・・・。
すぐさま間に合わないことを悟ると、両手で頭を押さえ身を屈めた。
「ガシャーーン」
鉄パイプが地面に叩きつけられる音が、激しく舞う砂埃と共に鋭く鳴り響いた。
しばらくして、ユイは自分の体に痛みがないのに違和感を感じた。
あれ?痛くない・・・・・・・・・・・・・・・・。
そう思い恐る恐る顔を上げてみた。そこは紛れもなく廃工場の建物内だった。ただ、景色が先程と若干違う。
辺りを見回してみると、右斜めに先程倒れてきた鉄パイプが無造作に散乱しているのが目に入った。そして、その前にユイが入ってきた入り口がある。
「え、あ・・・・・・・・え?」
突然の出来事に呆気にとられ、状況が把握できない。
確かにあそこに自分がいた、そのはず。しかし、現に今はそことは少し離れたこの場所にいる。しかも自分が気が付かないうちに。
「いったいどうなってんの!?」
冷静さを失い混乱状態に陥ったことで、感情が制御できずに思ったことを声に出してしまう。
すると、ユイはふと自分の手元が光っているのに気が付いた。不思議に思い手元を見てみると、その光を発している物の正体が懐中時計であるとわかった。
そして、よく見てみると裏蓋に刻まれていた名前が『Hajime』でなく、別のに変わっていたのだ。
『Chronus』
そう刻まれていた。
「クロ・・・・・ノス?」
ユイは突然刻まれた名前をなぞるように読み上げた。
すると忽ち光の強度が増しユイの体を包み込んだ。
「わ!」
短い悲鳴の後、建物内が眩い光に満たされていく。