品川の飯盛旅籠を買い取って三河屋品川分店としたぜ。
さて、あまり状態がよくなさそうな、飯盛旅籠のおじゃれに話を聞いてみたが、どうやら伝馬の支払いが滞っていて、現状の経営は結構厳しいらしい。
明暦から元禄ぐらいまでは、全体的な景気もよいが、だからといってみなが商売の経営に成功するわけでもない。
バブル時期に経営に失敗して借金を抱えるやつもいたし、コンビニやデリヘルが出てきたときもそれらのオーナーになるのは、もてはやされたがそれでも失敗する人間も少なくなかった。
無論、バブルが崩壊したあとや、コンビニやデリヘルが世間的に定着したあとから、その経営に参加した連中のほうが、経営に失敗する可能性はずっと高かったわけだが。
「まあ、誰がやっても、経営がうまくいくってわけじゃないしな」
というわけで、翌朝この宿の主人と話をしてみた。
「お前さんが、ここの旅籠の主人さんかい?」
俺がそう言うと主人は青白い顔で答えた。
「はい、そうです。
何か重大な話があると、お聞きしましたが」
俺は、大きくうなずいて答える。
「ああ、この旅籠の権利を借金や女中ごと、買いたいんだがどうだ?」
そうすると主人は驚いたように言った。
「この宿の権利を買いたいですと?!
私としては助かりますが千両(おおよそ一億円)は必要になりますけど、本当にできますので」
俺はうなずいて言う。
「ああ、大丈夫だ。
俺は惣名主の三河屋の戒斗。
昔ならいざしらず、今はそのくらいはなんとかなる」
「吉原の、惣名主さんでしたか。
なら金もお有りでしょうな。
そして私はお払い箱ということでしょうか」
「いやいや、お前さんが俺の指示に従って、店を経営するなら今のままでも構わないぜ」
「そ、それはどのようなことで?」
「おじゃれや留女、下女なんかの下働きのものにも、ちゃんと飯を食わせること。
そしてお前さんも同じものを食べることだ」
俺がそう言うと主人の顔色が悪くなった。
「わ、私に下女と一緒のものを食べろと?」
「ああ、それが嫌なら、やめてもらっても構わん。
俺はそうしてるけどな。
そして品川なら、蜆や蛤なんかの棒手振りでも、生活して行くのは難しくはなかろうしな」
俺がそう言うと主人は考え込んだ。
「うむむ……」
今まで経営者として良いものを食っていたのに、今後は使用人と一緒のものを食えと言われても納得はいかんか。
まあ、俺自身も結構甘やかされていたようだから、わからなくもないが、もうそんなことを言ってる場合じゃないことは理解してほしいもんだ。
しばらくして主人は決めたようだ。
「わかりました、私も皆と同じものを食べるようにいたします」
「ああ、あと俺のとこから若い衆を置かせてもらうぜ。
俺自身もこっちになるべく来るようにするしな」
「……わかりました」
「せめて一汁一菜は、毎日きちんと食べさせてやれな」
「はい」
経営者の中には売上が悪いからと、従業員の給料は削っても、自分の金の取り分は確保する人間も多い。
しかしそれでは、現場は反発するだけだ。
職場の人間のやる気を上げるためには、経営者はちゃんとやる気を上げるための何かを用意するべきだ。
職場が嫌になって一人突然逃げ出して、それでも残された従業員にはお客様には内情は関係ないと仕事をそのまま回させて回ってしまうと、経営者は一人少なくても大丈夫だと判断したりするが、そこで更にもうひとり飛んで、店そのものが完全に回らなくなることもよくある。
それを従業員のせいにするのは、経営者が無能だと俺は思うんだがな。
人手不足は、その職場に魅力がないから起こることだろ?
経営者は従業員、つまり現場の目線も、ある程度持つのは大事だと思うんだよな。
「じゃあ、品川の名主さんの所に話をしに行くか」
「わかりました」
そして品川の名主に、この旅籠の主人を伴って会いに行く。
「おや? 三河屋さん、尾張屋さんいったいどうなさいました?」
「ああ、俺は尾張屋の旅籠の権利を借金や女中ごと買いたい。
こっちとは話はついたが名主のお前さんにも話は通しておかないとな」
「なるほど溜まってる伝馬の負担金を三河屋さんが肩代わりしてくださいますか」
「ああ、そのかわり尾張屋の経営は俺がする、番頭として主人には残ってもらうが、家から若い衆は派遣させてもらう」
「なるほど、そのためには千両(おおよそ一億円)は必要になりますが?」
「ああ、問題はねえ」
「わかりました、では金は後ほどとして証文を作成いたしましょうか」
「ああ、そうしてくれ。
あと屋号が尾張屋のままなのは、なんか不吉だし、三河屋品川分店にしてくれるか」
「わかりました」
こうして俺は、尾張屋を三河屋品川分店として名を改め、品川での飯盛旅籠、後には正式な遊郭の置屋にするべく手に入れたのだった。
決して安くはないが、品川の改革には、やはり中から改革していくほうがいいだろう。
吉原でもやったようにな。