桃香の水揚げ――三人の男と一人の娘
――数日後。
俺は、三人の男について調べた。
商家の主人。
旗本の屋敷にも出入りする男。
そして、水戸徳川家に近いところから話を持ってきた男。
三人とも、表向きには問題がない。
金はある。
身元も悪くない。
吉原での遊び方にも慣れている。
だが。
俺が知りたいのは、そんなことではなかった。
桃香を任せられる人間なのか。
それだけだ。
「……まずは一人目だな」
そう言うと、向かいに座っていた桃香が筆を置いた。
「旦那様」
「何だ?」
「その方、どんなお人柄でありんす?」
「商売熱心な男だ」
「それは、お仕事の上でのことでありんしょう?」
俺は桃香を見る。
「……よく見ているな」
「五年も旦那様のお話を聞いておりんすもの」
桃香は小さく笑った。
「それで、わっちを買いたいというお人は?」
「金払いは良い。遊び方も派手だ」
「ふうん……」
桃香は少し考えた。
「では、旦那様は、その方がお好きではないのでありんすね」
「なぜそう思う?」
「旦那様が、その方の話をするときだけ、眉間に皺が寄りんす」
「……」
「違いんすか?」
「……合ってる」
桃香はくすりと笑った。
「やっぱり」
その顔を見て、俺は少し驚いた。
昔なら、俺が何かを言えば、それをそのまま信じていた。
今は違う。
俺の言葉だけではなく。
俺の顔まで見て判断している。
「一人目は、俺が先に会う」
「わっちも会ってみたいでありんす」
「……お前が?」
「はいな」
桃香はまっすぐ俺を見る。
「わっちのことを買いたいという方なのでありんしょう?」
「ああ」
「なら、わっちも、その方がどんなお人か知りとうござんす」
「嫌なら断っていい」
「もちろんでありんす」
即答だった。
「旦那様に任せきりにするつもりはござんせん」
「……」
「わっちのことなのでありんすから」
その言葉に。
俺は何も言えなかった。
そして。
一人目の男と会った。
「いやあ、噂通りですな」
男は桃香を見るなり、満足そうに笑った。
「これは確かに、良い値がつきそうだ」
桃香の笑顔が、一瞬だけ止まった。
だが、すぐに頭を下げる。
「お褒めいただき、ありがとうござんす」
「琴も三味線もできるとか」
「はい」
「和歌も?」
「少々」
「なるほど。芸が多い娘は重宝しますな」
男は楽しそうに笑う。
俺は黙っていた。
桃香も黙っていた。
だが。
しばらくして、桃香が口を開いた。
「旦那様から、わっちのことをいろいろお聞きになったのでありんしょう?」
「ええ」
「では……」
桃香は男を見る。
「わっち自身には、何かお尋ねになりたいことはござんせんの?」
男が目を瞬かせた。
「何ですと?」
「琴が弾けるか、歌えるか、和歌が詠めるか――」
桃香は穏やかに笑った。
「そういうことは、もうご存じなのでありんしょう?」
「……」
「でしたら、わっちがどんなものを好むのか、とか」
少しだけ首を傾ける。
「何を嫌うのか、とか」
男の顔から笑みが消えた。
「そういうことは、お知りになりたくはござんせんか?」
俺は思わず桃香を見た。
男はしばらく黙ったあと。
「いや……あなたは随分と変わった娘ですな」
「そうでありんしょうか?」
「普通なら、そんなことは言わない」
「では」
桃香は微笑んだ。
「わっちは普通ではないのでありんすね」
男が苦笑した。
だが。
その後の話は、どうにも噛み合わなかった。
男は最後まで桃香の芸や容姿の話ばかりをした。
帰り際。
「……どうだった?」
俺が聞くと。
桃香は少し考えてから答えた。
「お断りしたいでありんす」
「理由は?」
「わっちを見ているようで、見ておりんせん」
「……」
「顔と芸しか見ておりんせんもの」
桃香は静かに言った。
「わっちは、あの方のところへ行ったら、ずっと『商品』でありんしょう?」
「そう思うか」
「はい」
迷いのない返事だった。
「だから、嫌でありんす」
俺は頷いた。
「俺も同じだ」
「ふふ」
桃香が笑う。
「では、一人減りんしたね」
「……楽しんでないか?」
「少しだけ」
桃香はいたずらっぽく笑った。
「自分で選べるというのは、思ったより楽しいものでありんすね」
その言葉が、妙に胸に残った。
そして。
二人目の男。
こちらは、かなり印象が違った。
物静かで、礼儀も正しい。
桃香が座ると、まず頭を下げた。
「初めまして」
「お初にお目にかかりんす」
「あなたのことは、いろいろと伺っています」
「そうでありんすか」
「ええ。ただ、噂だけで判断するのも失礼でしょう」
男は桃香を見る。
「よろしければ、あなた自身のお話を聞かせていただけますか」
桃香は少し驚いた。
「わっち自身の?」
「はい」
「……珍しいお方でありんすね」
「そうでしょうか」
「ええ」
桃香は少し考えてから、笑った。
「では、何からお話しすればよろしいのでありんしょう?」
「好きなものからでも」
「好きなもの……」
桃香は指先を顎に当てる。
「春の雨」
「ほう」
「雨の日に琴を弾くのが好きでありんす」
「なぜです?」
「音がよく響くからでありんす」
「なるほど」
男は興味深そうに聞いている。
「では、嫌いなものは?」
桃香は一瞬黙った。
そして。
「……人を決めつけるお人」
男の眉がわずかに動いた。
「それは、ずいぶんと難しい答えですね」
「そうでありんすか?」
「ええ」
「でも、本当に嫌いなのでありんす」
桃香は笑っている。
けれど、その目は笑っていなかった。
「わっちのことを何も知らぬのに、勝手に『こういう女だ』と決めるお人は苦手でありんす」
「では、私も気をつけなければなりませんね」
「……ふふ」
今度の笑顔は、先ほどより自然だった。
男との話が終わったあと。
俺は桃香に尋ねた。
「どうだった?」
「悪くないお方だと思いんす」
「それだけか?」
「はい」
「気に入らない?」
「そういうわけではござんせん」
桃香は少し考えた。
「ただ……」
「ただ?」
「わっちを尊重してくださるお方なのは分かりんした」
「なら――」
「でも」
桃香が俺を見る。
「まだ、わっちはこの方を知りんせん」
「……」
「一度話しただけで、人を決めるのは嫌なのでありんす」
俺は思わず笑った。
「なるほど」
「何がおかしいのでありんす?」
「いや」
俺は首を振った。
「ずいぶん慎重になったと思ってな」
「旦那様が、いつもそうしろと仰っていたではありんせんか」
「そうだったな」
「なら、ちゃんと教えを守っておりんす」
そして。
三人目。
水戸徳川家に近い男。
その男が部屋に入ってきた瞬間。
桃香の表情が変わった。
ほんのわずかだった。
だが、俺には分かった。
桃香も。
俺も。
相手を警戒している。
「お初にお目にかかります」
男は丁寧に頭を下げた。
「桃香と申します」
桃香も頭を下げる。
男は桃香を見る。
だが、その目は他の男とは違った。
値踏みではない。
観察だ。
「……噂以上ですね」
「どんな噂でありんしょう?」
桃香が尋ねた。
「聡い娘だ、と」
桃香は少しだけ笑った。
「それは、あまり嬉しい噂ではござんせんね」
「なぜです?」
「賢い女は、扱いにくいと思われることもありんすから」
男が笑った。
「なるほど」
「それとも――」
桃香は男をまっすぐ見る。
「扱いやすい女をお探しなのでありんしょうか?」
俺は息を止めた。
男も一瞬、黙った。
やがて。
「いいえ」
「では、何をお探しで?」
「あなたです」
その答えに。
桃香の目が細くなった。
「……それは、おかしな話でありんすね」
「なぜです?」
「わっちは、まだ何もお話ししておりんせん」
「それでも、あなたを知りたいと思ったのです」
「どうして?」
「それは――」
男が言葉を選ぶ。
桃香は急かさない。
ただ、じっと男を見ている。
「水戸様のお耳に、あなたの話が入っているからです」
桃香の表情から、笑みが消えた。
「……水戸様?」
「正確には、水戸様の周辺にいる方々です」
「わっちの何が、そんなに珍しいのでありんしょう?」
「芸ではありません」
「では?」
「あなたの人を見る目です」
桃香は黙った。
そして。
「それを買いたいのでありんすか?」
男は答えなかった。
その沈黙だけで。
桃香には十分だったらしい。
「……旦那様」
「何だ?」
「この方とは、二人でお話ししてもよろしいでありんすか?」
俺は少し驚いた。
「いいのか?」
「はい」
桃香は男を見る。
「わっちも、聞きたいことがござんす」
男が頷いた。
「何なりと」
「では」
桃香は静かに尋ねた。
「わっちを水戸様のところへ連れていくおつもりでありんすか?」
「そのような約束はしていません」
「では、誰かに会わせる?」
「それも、まだ決まっていません」
「なら」
桃香は微笑んだ。
「わっちに何を求めておられるのでありんしょう?」
男は黙った。
桃香はさらに続ける。
「芸を見せることでありんすか?」
「……」
「話を聞くことで?」
「……」
「それとも」
桃香の声が、少し低くなった。
「わっちに、誰かの話を聞かせたいのでありんすか?」
男の目が変わった。
ほんの一瞬。
だが。
桃香は見逃さなかった。
「……当たりでありんすか?」
男は苦笑した。
「本当に聡い」
「褒めていただかなくても結構でありんす」
桃香は笑った。
「今のわっちは、あまり嬉しくありんせん」
そして。
俺を見る。
「旦那様」
「何だ?」
「わっちは、この方のお話をもう少し聞きとうござんす」
「……分かった」
「ただし」
桃香は男へ向き直る。
「わっちを何かの道具として扱うおつもりなら、最初にそう仰ってくださいまし」
男は答えなかった。
桃香はそれを見て。
静かに笑った。
「……やはり、何かありんすね」
その瞬間。
俺は悟った。
もう、俺が桃香を守るだけでは足りない。
桃香自身が、自分の身に何が起きようとしているのかを知ろうとしている。
そして。
俺が知らないところで。
桃香はすでに、自分の人生を自分の手で選び始めていた。




