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品川の飯盛り女とかもなんとかしないとな

 さて、吉原の損料屋での衣装やふんどしのレンタルサービスは好評で、思っていたよりもふんどしなどの貸し借りが多いことから、洗濯、のりを付けた後の乾燥、火熨斗でのシワ取り、仕立直しなどに切見世女郎などを多く雇うことが出来た。


「予想以上に雇えてよかったぜ」


 同じことは品川の方でもやってみたが、吉原よりも体裁にこだわらない客が多くて吉原ほどには貸し借りの数は多くないがそれでもそれなりの雇用は出来た。


「品川は吉原ほどじゃねえのはまあ仕方ねえか。

 こっちはそういう場所でもあるしな」


 品川のような宿場町は旅行などの人の出入りで食べているから、そういった目線も必要ということだな。


「吉原の客は大名や豪商で住む場所も決まっているから囲い込む意味があるが、品川は旅人などが多いからどうやって銭を落とさせるか考えないと駄目だな」


 江戸時代の物見遊山は、神社仏閣めぐりを中心としているが、芝の増上寺にまけないくらい品川にも神社仏閣はある。


 東海寺、牛頭天王社(品川神社)、清徳寺、一心寺、貴船明神社(荏原神社)、洲崎弁天、寄木明神社など品川には寺が多く、一つは徳川幕府の命によって、明暦の大火以降に品川の宿場町の周辺に寺を集めたこともあるが、古来から東海道は重要な幹線道路であり、そのための宿坊として、また目黒川という軍事的な場所でもあることから寺が造られてきたということもあるのだろう。


「それはともかくやっぱ飯が重要かな?」


 旅籠の部屋の作りは皆どこも大して変わらないから差別化は難しい。


「そういやまだ七輪は普及してないのだっけか、なら作ってみるのがいいかもな」


 七輪に似た物自体は平安時代くらいにはもうあるようだがその普及は早くとも元禄以降で実際は江戸時代後期くらいらしい。


 現状では手軽に魚や肉を焼くというのは難しいので串に挿して囲炉裏で炙るか、火鉢があればそれを使うか、刺し身か煮るかが主だったりする。


「ひさしぶりに親分に頼むか」


 というわけで親分に絵を書いた上で説明した。


「また変なものを考えついたな。

 まあ職人は紹介できるぜ」


「そりゃ助かるぜ」


 というわけで親分の紹介で前にタジン鍋を作ってもらった、陶器の職人に珪藻土を使っての七輪作りを依頼してみた。


「またおかしなものを考えますな」


「それはもう言われたぜ」


「まあいいでしょう。

 作ってみましょう」


「おう助かるぜ」


 江戸時代の七輪は陶器製で割れやすかったらしいけど珪藻土ならそういった欠点もなくなるはずだ。


 そしてしばらくして出来上がった。


「出来ましたぜ」


「おお、いい感じだな」


 早速炭を入れて火をつけ、その上に鉄の網をおいて、採れたての魚や貝を載せて焼くといい匂いがする、そしてたべてみたけど。


「おお、やっぱうまいな」


 七輪は移動させやすく、それで魚や貝に加えて海老や蟹、烏賊などを焼いてもうまい。


「これを使った料理を薦めさせるか」


「宿でも使うが宿とは別の居酒屋・料亭を買ってこれを使わせるか」


 この時代の居酒屋や料亭の配膳は実は男が殆どであったりするのであるが、あえて女にもそれをやらせてみたが力という点では特に問題はないようだ。


 現代でも七輪焼の焼肉屋の配膳で女が運んでいたりするけど、七輪はさほど重くないのがいいんだよな。


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