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今年の年始は炊き出しのようなことをやっておくか

 今年の正月松の内の7日までは、庭竈(にわかまど)もしくは庭火(にわび)庭囲炉裏(にわいろり)と言われるものを行っている。


 これは庭に設置した竈や囲炉裏で米を炊いたり、餅入りの雑煮を作って、訪れたものに振る舞うのだが、これはもともとは日本では奈良の風習で、江戸時代には江戸にも広まったようだ。


 だが、更に元をたとれば中国で行われていた團圓飯という、大晦日の晩御飯に直系の親族が集まって食卓を囲み、一年の最後の食事を共にするというものだったが、それが日本では年が明けてから集まるに変化したらしい。


 そして今は三河屋を訪れた門口芸人の二人組に挨拶を受けている。


「今年もよろしくお願いします 」


「ああ、こちらこそよろしくな。

 良ければ雑煮でも食ってかないか?」


「それはありがたいことです、ぜひいただきましょう」


 そして椀に入った雑煮をうまそうに食っている二人に俺はいった。


「お前さんたちに妻子がいるなら連れてきても構わないぞ」


「それはますますありがたいことです。

 是非お願いいたします」


 正月などに家々の門口(かどぐち)に訪れて祝言(ほかいごと)を発するおこなう門付芸としては、門口や座敷でその一家の予祝の祝言を謡う「萬歳(まんさい)」同じく養蚕の予祝の祝言を謡う「春駒(はるこま)」同じく農耕の予祝の祝言を謡う「鳥追(とりおい)」大黒天の面や頭巾をかぶり、お福やえびすを伴って現れる「大黒舞」獅子の頭をかぶる「獅子舞」福禄寿の扮装をして歌い祝詞をあげる「ちょろけん」などがあり、これらはあらかじめ良いことが起こるよと言っておくことでそれの実現を願う予祝芸能であり門付芸人にとっては最大の稼ぎどきである。


 もともと季節の節目に神やその使いが門口祝福に訪れるという民間信仰がもとなので、正月の門付け萬歳に対しては米や餅を祝儀として与えたのは、彼らが正月に来る歳神の使いであると見なされていたからだ。


 基本的にはそれぞれの芸人にはお得意として定まっている家があるので、そこを巡回してまわり、全く知らない家に飛び込みで芸を見せることはほとんどないのだが、俺は門付け芸人たちの元締めでもあるので、挨拶のためにたくさんの芸人たちがやって来ている。


 そのかわりと言っては何だが、その際に門付芸人としての今年度の正式な登録と一ヶ月の上納金100文を受け取っていたりするので、結局はおあいこさまと言えるだろう。


 江戸城や大名屋敷の新春の予祝は、三河萬歳がわざわざ上京してやったが、三河萬歳は土御門家の支配下の陰陽師がおこなっている。


 三河萬歳の太夫は武士のように帯刀、大紋の着用を許され、頭には風折烏帽子を、扇は中啓を用いた、本来であればこれらの出で立ちは大名が得る官位の五位以上の武士が、大紋を着用するための慣わしに沿ったもので、またこれも身分外を象徴する者たちであるといえるな。


 ちなみに三河屋に訪れた普通の芝居の役者や旅芸人、小見世や切見世女郎にも庭竈の握り飯や雑煮の振る舞いなどは行ってるので、正月早々腹を減らして死にそうってやつは多分いないと思う。


「正月早々から餓死とかいくらなんでも悲惨だしな」


 下から金を集めるものにはそれをちゃんと再配分する義務もあると俺は思うぜ。

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