清花の遊び相手が出来たのはいいことだ
「えびじょー、まってー」
「あはははは」
今日俺や妙と清花、芝居の一座の一部で吉原の運動公園に来ているが、海老蔵と清花はすごく楽しそうに、地面を跳んだり跳ねたり走り回ったり運動器具を登ったり降りたりしている。
こういう光景は21世紀の公園や保育園でもよく見たが、子供はただ走り回ったり、滑り台を登ったり降りたりするだけでも楽しいようで、ずっと動き回っているよな。
自由に自分が思うとおりに体を動かせるようになり、それによって見知らぬいろいろなものを見られるようになったりするのだから、当たり前ともいえるけど。
ちなみに清花はイヤイヤ期は来てない、江戸時代は子供を大声を出して怒鳴ったり、手をあげるのは絶対にダメで、子供にはやさしく、でもしっかりとなぜそういうことをしてはいけないかを根気よく説いて聞かせるのが普通だった。
そしてそういった中で親は、尊敬できる人であるということも納得させるだけの実際の行動も必要だ。
もっとも子供がどうしても言うことを聞かない場合は、橋の下や河原に捨てられたりする場合もあったり、蔵に閉じ込められたりする場合もあったわけで、捨てられたり蔵にとじこめられるのが嫌なら子供もいうことをきちんと聞くしかないという面もあったろうけど。
あと基本的な躾や教育に関しての担当は父親がメインで、これは親の職業を子どもに継がせるのが普通だからだが、武士や農民などは嫁取りが普通なので男を、商人や職人は婿取りが普通なので女を、自分の後継者として育てることが大事だからで、子どもをうまく育てられない父親は駄目という考えもあった。
もちろん父親の躾や教育を可能にしたのは、江戸時代は職場と家が一緒だからというのもあるのだが。
「うーむ、清花にはもっとこうやって体を動かしてやる機会をやるべきだったかな」
俺がそう言うと妙がうなずいた。
「たしかにそうでしたね、でも、落っこちたり転んだりして怪我ないか心配です」
「たしかにな、見ているとちょっと心配にはなる」
俺も妙も何やかや見世などの用事で忙しいことや、清花が玩具や絵本で満足してくれていると思いこんでいたこともあって、清花は部屋の中でおとなしくしていることが多かったけど、数えの3歳(現代の2歳)くらいは運動能力がそれまでに比べて飛躍的に成長する時期で、もっと動き回ることをしたかったのだろう。
俺と一緒に散歩に行くのもすごく楽しみにしてたしな。
「いくよー」
「あーい」
手鞠をぽいぽいとお互いに投げ合うのもとても楽しそうだ。
そんな清花の一日はこんなかんじだ。
まず明け六つの卯の刻(おおよそ朝6時)に起床。
「とーしゃおはよ!」
「ああ、清花、おはよう」
起きたら乳母さんが清花に乳をあげてそれが朝飯代わりだ。
江戸時代では数えの6歳(現在の5歳)ぐらいまでは、母乳を上げるのが普通、もっとも子に歯が生えたら少しずつ物を食べさせていくようにしたほうがいいと言う人間もいたがね。
それが終わったら、厠で排泄した後で、朝四ツの巳の刻(おおよそ朝10時)ぐらいまで清花は遊ぶ。
「わんわ、わんわ!」
積み木だったり犬のおもちゃだったりするが、一人で遊ぶのが今までは多かった。
これからはなるべく散歩したり運動公園で運動をさせようとは思うけどな。
そのあと遊びに飽きたり疲れたりして、昼九の午の刻(正午)くらいには電池が切れたように眠る、昼寝の時間だな。
「おやしゅみでしゅ」
昼八の未の刻(およそ午後14時)くらいには起き出してまた遊ぶ。
「とーしゃおさんぽ!」
「ああ、いこうか」
だが、夕七つの申の刻(およそ午後16時)にはまた母乳を飲み、排泄をしてお風呂に入り暮れ六ツ(およそ午後18時)には寝る
「おーしゃ、かーしゃ、おやしゅみなしゃい」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい」
まあそんな感じなのだが今はそれでいいと思う。
5歳(現代の4歳)になったらいろいろな勉強も始まるんだけどな。