改めて考えるとこの時代には職業選択とか移動の自由なんてないんだよな
さて、吉原も品川もそれなりに落ち着いてきた。
「ま、まだまだ油断は禁物だけどな」
しかしながら改めて考えると、この江戸時代という時代は、職業選択とか居住地の移動の自由というのは、、21世紀に比べればかなり少ないんだよな。
特に武士や穢多非人に関しては居住地移動の自由はないに等しいと言っていい。
あ、武士に関しての参勤交代は、サラリーマンの単身赴任みたいなもので、好き好んで地元と江戸を往来してるわけじゃない。
とはいえ地方に住んでいる武士が、国許に妻子を残しての江戸に単身赴任を行うのは、特になにもない田舎育ちの武士にとっては強い憧れであり、酒と女を楽しめる遊郭遊びは、かなり贅沢であったが楽しみにしていたものでもあるようだ。
「ちゃんと金を払ってくれるなら、暇な武士は客としてほんとありがたいんだがな……」
もっとも下級武士は金がないので、寺社参りや遊郭の冷やかしなどで時間を潰すことも多かったわけだが、なかには絵画や俳諧、文筆、囲碁や将棋などの師を求め、同好の士と交わって名をなす風流な武士も、意外と少なくなかったりもするしそういった武士は吉原の屋内遊技場にも結構来ていたりする。
「品川にも遊女と安く囲碁や将棋、麻雀を打てる屋内遊技場を作るのもいいかもな」
基本的に、江戸時代の職業は家業であった。
特に武士は家督は単独の血統相続で行う。
これは徳川家康が三代将軍を選ぶに際し、お家騒動を避けるため「能力に関係なく長男が家を相続する」と言ったルールを制定したところが大きく、その後、このルールは武士身分全体に定着した。
それ故に、平和な江戸時代では貧乏で次男以下を育てる余裕がない家では、次男以降の子供はできてしまったら、中絶したり生まれた直後に間引いたりし、比較的裕福な家でも四男以下は中絶するのが暗黙の諒解であったようだ。
万一怪我や病気などで跡取りがいなくなっても、養子を貰えば問題はなく、その養子候補はたくさんいたので、むしろ部屋すみとして肩身の狭い思いをしていた次男や三男にとっては、跡取りが死んでくれたほうがありがたかったりもしたようだ。
これは農民などの百姓も同じで、土地は長男が単独で全部相続する。
尤も江戸時代初期は、新田開発などによって耕作可能な土地が大きく増えていったりしたので、活発に分家が行われていたりもするので、江戸時代初期には農家の分家も多くできたようだが、中期以降は、耕地の拡大がほぼ不可能だったため、単独相続が一般化していったんだな。
田分け者というと愚かな事を言うが、分割相続ではそのうち生活が成り立たなくなってしまうのが明白だからな。
武家も家光が相続することを定める以前は、知行地を分割相続していたのではあるけど。
そして武士も農民も土地に縛られているため転居というのは基本的にできない。
その一方、職人や商人の相続については、長男を含めた男子を後継ぎにすることはあまりなく、娘に家と跡を継がせ、番頭や手代から有能な者を選び、娘と結婚させて婿養子として家業を委譲していくことが多かった。
これは職人や商人などは、才能のない人間がついだら潰れるからだ。
そして商人や職人は土地に縛られないので、武士や農民に比べると移動は割と自由。
とはいえ商売のできる場所は、大きめの都市以外は少ないわけだが。
遊郭はちょっと特殊で、西田屋なんかは息子が引き継いでいっているのだが、中期以降はやはり娘が婿養子をとっていくことが多くなっていったようだ。
実質的に店を回すのは、内儀と遣り手だったりするからな。
そして江戸時代は女性が就ける職業はとても少ない。
基本は結婚して家事育児を行うのが当たり前だからで、現代と違い家事に関しての負担がでかいということもあるのだが、それでも口減らしとして働き口を必要とする女性はそれなりにいる。
「できる範囲でやっていくしかねえがな」
21世紀であれば実際はともかく、女性だから働けないとされる職業は少ない。
競馬のジョッキーや自衛官、土建の管理職などにも女性の進出は進んでいる。
尤もその割合は高いとは言えないけどな。
江戸時代の女の子はある意味いざというときには売ることができる財産のようなものであった。
もっとも19世紀後半のからゆきさんのように、戦前くらいまでは娼婦として売られる女性は普通に存在していたりもしたのだが。
「芸事や教養を教え込む手間を掛けてない分飯盛女の扱いは悲惨だったみたいだし、初心にかえってこれからやっていこうか」
吉原の遊女は芸事や教養を教え込むために、手間隙金をかけているのでまだ扱いはマシな方で、四宿の飯盛女の扱いはずっとひどかったはずだ。
そのあたりも加味して品川の遊女女中下女たちにもまともな生活ができるようにしていかないとな。