品川の飯盛旅籠の目玉はやはり新鮮な魚介料理だな、まずは安い値段で人を集めようか
さて、品川の公許遊郭化に伴い、飯盛旅籠の一つを買い取って品川の、街における飯盛り女などの生活改善に取り組んできたが、そもそもの集客の目玉がなければ、根本的な売り上げの改善は難しい。
なので、今日は冬の間に凍らせ氷室の中でわらやおがくずに包んで保存している氷を、吉原の氷室から品川に人を使って運んでいる。
「今ごろの旬の魚介といえば、サザエやアオリイカにイサキ、アジ、チダイなんかかね」
品川は、吉原と違い、海産物や青物の市場が直ぐ側にあるので、新鮮でうまい魚介類が手に安く入る。
そして、日本は四方を海に囲まれている島国のため、比較的新鮮な魚介を手に入れることはできたが、この時代は冷蔵技術はないので、基本的には干したり塩漬けにして保存することが多い。
なので、刺身は海の近くでないとなかなか食べられず、大きな皿の上に殺菌作用のあるクマザサの葉を敷いて、その上に魚やイカ、貝などの身をおいて酢味噌や酢生姜など、酢を和して食べる膾のほうが一般的だ。
ちなみに、醤油は下り醤油と言って、大阪から運ばれてくるものはまだ高価なので、現代のような刺し身が普及するのは、もう少し時代を下ってからだな。
暖かくなってくると、刺し身の身から出る血が、皿にじみ出てくるために皿にすだれを乗せ、そこに刺身をのせたりもする。
今は初鰹の時期だが、からし味噌やからし酢、酢味噌で食するのが一般的で、まだまだ江戸近辺の醤油の質が良くないので、刺身は相変わらず味噌や酢で食べるのが普通だ。
これは関東の水が関西の水よりも、水質が良くないことが大きかったりする。
1700年代には、濃口醤油が開発されるが、刺身を醤油につけて食べる習慣は、幕末の文化文政の1800年台に入ってかららしいんで、刺し身には醤油という習慣は、実は結構新しいものだったらしい。
その頃には、銚子や野田でつくられる「地廻り醤油」の醸造技術も上がって美味しくなり、濃口醤油が多く生産されて庶民にも普及すると、江戸前の海で取れるコハダサバなどの光ものと言われる青魚や、マグロなどの赤身の魚など白身魚よりも癖が強くて臭みのある魚も、香りの強い濃口醤油のつけることで、美味しく食べられるようになるし、それによりヅケと言う醤油に漬け込む方法も広まるんだけどな。
鯉のあらいを酢味噌で食べるのは、醤油が高価だった頃の名残りもあるんだろう。
そして江戸末期には刺身屋と言う屋台も登場し、そこではカツオやマグロの刺身が、50文や100文という安い値段で食べられるとよく売れていたらしい。
実際は100文はそこまで安くはないけどな。
とはいえ、永禄年間(1558年から70年頃)には、すでに野田の飯田市郎兵衛が、味噌から豆油(たまり)をとり、醤油の醸造には成功し、川中島の合戦に際し、武田方にこれを納め、その美味が全軍の士気を大いに鼓舞しと言われている。
俺はその醤油も買い付けて、船で運ばせている。
「野田の醤油はまだまだ無名だが、もっと広まっていってもおかしくはないんだよな」
今日は品川の旅籠は、特別に定額刺し身食べ放題サービスをやるのだが、そういったことは引き札と呼ばれる、チラシのようなものを、少し前から吉原と品川で無料で配って知らせている。
21世紀だと、チラシは新聞に綴じ込んであるのが一般的だが、江戸時代ではかわら版に宣伝広告的な要素は基本的にはないので、チラシはチラシとして単独で配られたり、売られたりしていたのだ。
やがて品川の旅籠についた俺は主人に聞いた。
「今日の予約はどんな感じだ?」
「はい、座敷は全て埋まっています」
「そうかそれはよかった」
「その中に薩摩藩藩主の島津光久様もいらっしゃいますが」
「なるほど薩摩藩下屋敷はこちらに近いはずだし、吉原よりはこちらのほうが来やすいのかもな」
「大藩の大殿様でいらっしゃいますよ?!」
「吉原じゃ親藩や譜代のお殿様もお客様としてよく来るぜ」
「それはそうでしょうが……」
「今後は大大名の藩主様とかも来ることも増えるだろう。
うまくやっていくしかない」
「わ、わかりました」
島津光久は、薩摩藩2代目で猛将島津義弘の子供の島津忠恒の実子で、実は江戸生まれだったりする。
現在の鹿児島である薩摩や大隅は、桜島などの火山灰が降る積もったシラス台地であるため、米を作れる場所が少なく、しかも石田三成の検地の結果、武士の数が同じくらいの石高の他藩と比べて多い状態を江戸幕府も継続した。
それを琉球経由の東南アジアとの朱印船貿易で賄っていたが、朱印船貿易制度がなくなって東南アジアへの渡航が禁止されると、金山開発やシラス台地の開発などに方針転換をしている。
ちなみに史実の品川のお得意さんの一つが、薩摩藩の藩士であったりもするんだ、もう一つは芝の寺の坊主だったりするのはあれだが。
さて、今日の定額刺し身食べ放題だが、刺し身として出すときはともかく、その前になるべく鮮度が落ちないように魚や貝、イカなどを氷水に浸しておき、鮮度が落ちないようにしつつ、大皿へカツオ、イサキ、アジ、チダイ、シタヒラメ、アオリイカ、サザエなどを盛って行き好きなものを食べられるようにする。
そして価格はあくまでも宣伝広告のために行うので、赤字覚悟の大特価の500文だ。
あ、その後で遊女を抱きたいときは別料金だけど。
そして薩摩の殿様のところで対応していた遊女が俺を呼びに来た。
「薩摩のお殿様が、戒斗様とお話しをしたいそうであります」
「おう、わかった今行くぜ」
俺は薩摩のお殿様のいる部屋へ向かい、座敷に上がることにする。
「三河屋楼主戒斗、失礼致します」
すっと障子を開けて中を見る。
「うむ、そなたがこの新しい楼主か。
見事な料理である」
「お褒めの言葉をいただき、誠にありがたく」
「特にこのチダイの刺し身は見事であるな。
そしてわさび醤油もうまい」
「この時期のチダイはマダイよりもうまいと言われております。
そしてわさび醤油は刺し身にはとても合うのではないかと」
「うむ、そちも気に入ったぞ。
何より旨味を逃さぬような処置を丁寧に施してありながら、安いのが良い」
「流石に毎回この価格は無理でございますが、可能な限り食べやすい価格にしていくつもりでございます」
「それは女に関してもそうしてもらえるとよいのだがな」
どうも吉原は堅苦しい上に価格が高すぎる」
「なるほど吉原でも安い店はございますし、品川でも高い店もあってよいかと考えておりますが、あまり堅苦しくなく手頃な値段の店も当然必要かと考えております」
「うむ、我々は薩摩隼人は公家かぶれではないのでな」
「どうぞ今後もよろしくお願いいたします」
「うむ、贔屓にさせてもらうとしよう」
とりあえず薩摩の殿様の胃袋を掴むことはできたようだし、西国の大名や芝や高輪などに武家屋敷がある大名や旗本には品川を利用してもらえるようになればいいな。