桃香は引っ込み禿として順調に育ってるぜ
さて、俺が桃香を羅生門河岸で拾ってから、4年ほど経った。
引っ込み禿として、俺自身が世話をしているのは、拾った手前というのもあるが、桃香には売れっ子になりそうなオーラのようなものが見えたからであるし、桃香は実際に様々な芸事教養の類をきちんと身に着けている。
そして4年でずいぶんと美しくなったと思う。
「最初は、お前を河岸見世のドブ臭いやつなどと、言っていたやつも、今では何も言えなくなったな」
ニパと笑い桃香が嬉しそうに言う。
「あい、それも全部、戒斗様のおかげでありやすよ」
「いや、そんなことはないぞ。
桃香、お前の努力と、生まれ持った素質のためだよ」
「そうでやすか、それはありがたいことでやすな」
実際に顔も薄汚れていて、ヒョロヒョロのガリガリだった最初の姿が嘘のようだ。
そして今は藤乃の踊りの稽古の最中で、俺もそれに立ち会っている。
先輩や同期の禿も当然いるが、桃香はその中でも抜きん出ていると、俺は思うが贔屓目じゃないと思いたい。
「うん、桃香の歌舞音曲も、だいぶ様になってきたな」
藤乃がニコニコしながら相槌を打った。
「そうでやすな、戒斗坊っちゃんの目は正しかったでやすよ」
歌舞音曲とはそのとおり、歌と踊りと楽器演奏などの遊芸を、総称していう。
現代の舞妓は、そのとおり踊りを舞う見習いの女で、芸妓は立方と呼ばわる比較的若い舞踊を主にする者と、地方と呼ばれる、ベテランの長唄や清元などの唄、語りや三味線や鳴物の演奏をうけもつ者にわかれるが、江戸時代初期の太夫には、歌舞音曲すべてをきちんと行えるだけの技量が求められ、太夫候補である引っ込み禿、引っ込み新造には当然それらを習得させるわけだが、すべてのものが十分なレベルに達するわけではない。
そうなると、中見世などへ移動することも充分あるのだ。
「後4年もしたら、新造出しもしてやらんとな」
妙が嬉しそうに言う。
「お披露目のときは、盛大にやって上げましょう」
「ああ、そうだな」
禿は15歳前後で、新造となって遊女の見習いとして、太夫と友に宴席を盛り上げたりするようになるが、新造となったことを披露するために、揚屋や引手茶屋への道中を行うのだ。
無論、太夫付きの禿は、太夫の道中の先頭に立つので、其れなりに顔は広まっているはずだが、太夫道中の主役は、あくまで太夫で、禿は荷物持ち的な立場でしかないからな。
俺は桃香を拾ったときに”もしかしたら、今死んでしまったほうが楽かもしれない。それでも、この苦界でまだ生きていく気はあるか?”と聞き、桃香はそれにうなずいた。
おそらく桃香の母親が、まともに稼げなくなったときから、桃香はろくに食っていなかったはずだ。
だからそれが続くかもと思っていたかもしれないが、俺は食事と睡眠に関してはまっさきに改善した。
着るものについては、遊女はもともと一般庶民よりも見栄えが大事なのもあって、禿でもそれなりのものを着れたしな。
むろん桃香だけを、特別扱いしているつもりはない。
ただこの世界は売れっ子になりそうなものに、集中して投資するのが儲けを上げるために必要なことでもあり、それは21世紀の風俗でも、江戸時代の遊郭でも変わらない。
もちろん売れそうにないからと、見捨てるようなことはしていないけどな。
大見世の遊女に向いていない場合でも、中見世では稼げたり、工場での働きには向いていたり、万国食堂や、吉原旅籠の中居になったりと、働き口はいろいろある。
ただし、俺は品川の遊郭の責任者にもなったから、そちらもうまくやっていかねばならない。
多くの人間の命や人生を、俺は肩に背負っているのも、忘れてはならないよな。
やがて歌舞音曲の稽古も終わって、俺たちは自室に戻った。
俺が戻ると俺のもとへ清花が駆け込んできた。
「とーしゃー!」
「しゃぼんー」
「ん、シャボン玉をやりたいのか?」
「あい」
俺がそう聞くと、コクコクうなずく清花。
「じゃあやるか」
「あい!」
シャボン玉遊びは、実は江戸時代でも大人気の遊びだ。
"シャボン売り"と呼ばれる棒手振りが、売って回っているくらいにな。
もちろん江戸時代にはプラスチックのストローはないので、その代わりに細い竹の管や葦の茎などを使い、石鹸水の代わりに、ムクロジなどの果皮などの水溶液を使っていたりするが、三河屋では石鹸はあるからな。
「いくぞー」
”フー”
筒の先から次々に作られる、虹色のシャボン玉に清花は大喜び。
「きえー」
シャボン玉遊びは、男の子もやるが、女の子に特に人気で、やはり時代が変わっても女の子は綺麗なものが好きなんだろう。
「清花もやるか?」
「やりでし!」
夢中になってシャボン玉を作ってる清花も、もう何年かしたら芸事や教養を身に着けないといけなくなるんだけどな。
婿養子を取って三河屋の内儀になるにしても、太夫を目指すとしてもそれらは必要だし。